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 あれは俺が十歳の頃の話だ。
 陰陽寮の仕事から帰ってきた両親が、原因不明の熱病に倒れた。

 北野天満宮の裏手にある塚に、巣を作っていたあやかしを退治したせいだろう。

呪いや毒の類を受け、何日も身の内から焦がされるような灼熱感と激痛に苦しみ、最後は……。

『ああ、なんで消えへんねん!』

 床に伏せっていた両親の身体から、火が上がる。内側でくすぶっていた熱が一気に外へ噴き出したみたいに、発火している。

 俺は自分の羽織で、何度もふたりの火を消そうとした。そんな俺の努力を嘲笑うかのように、火は強くなっていく一方だった。

『うああああっ、うがああっ』

『ぎゃあああああっ』

 耳を塞ぎたいほどの両親の悲鳴。皮膚や肉が焼ける匂い。俺はただ、「どうして!」と繰り返し泣き叫ぶ。

『ぐあああっ、ぁ……こう……めい……逃げるんや……っ』

『なに言うてんねん、親父!』

 こんな時まで自分の心配をする親父に、俺は怒鳴る。

『っ、そうよ……どうかあなただけは、無事、に……っ」』

『お袋まで…… !』

 おふくろの笑みが炎の中に消えていく。

ふたりを形作る骨や肉までもが炎に溶かされていく様を、俺はなす術なく見つめることしか出来なかった。

  両親を無情にも焼いた炎が、住み慣れた屋敷さえも燃やし尽くそうとしていた。

 やがて骨も残らず炭になった両親を前に放心していると、辺りに割れたような声が響いた。

『消えぬ……怒りが、憎しみが、悲しみが……』

 黒く大きな影が天井に映り込む。その声を聞いた瞬間、虚ろだった心に一筋の光が差した気がした。

 俺はゆっくりと天井を見上げ、影を睨みつける。

『許さぬ……我が同胞にした仕打ち、必ずやこの恨み晴らしてみせようぞ。お前たちの血筋の末代まで、呪い殺してくれる』

『俺も許さへん。この恨みを晴らしたる。それまで首を洗うて待っとき』

『面白いことを言う。安心しろ、お前はすぐには殺さない。お前に妻ができ、子ができ、孫ができ……そうして繋がれた命をひとつずつ燃やし尽くして、我らが土蜘蛛の怒りを買ったこと、後悔させてくれるわ』

 あやかしは人間の敵。ただ殺すだけじゃ飽き足らず、じわじわと炎で焼いて殺すなんて、どんな理由があったとしても非道すぎる。

 ──そないなあやかしは、この世から消えるべきだ。

***

 今日も光明さんの仕事に付き添って、私はタマくんと一緒に陰陽寮に来ていた。

 水珠と赤珠はいつものことだけれど、ポン助もお留守番だ。

さすがに陰陽師がいる陰陽寮に、商店街で盗みをしていたあやかしを連れてくるわけにはいかない。

本人はものすごく、ものすごーく、ついて行きたがっていたけれど。

「というわけで、きみたちには京都に行ってもらうことになったから……って、私の話を聞いてるかな? 光明」

 光明さんから応答はない。

さっきから、光明さんは心ここにあらずで、所長さんがこれから担当する仕事の説明をしている間、ぼんやりと湯のみに視線を落としたままなのだ。

「光明さん、光明さん!」

 肘で光明さんを突くと、ようやくはっとしたように顔を上げ、「……あ」となんとも抜けた返事をする。

「あ、 じゃないよ、光明。私の話、ほとんど聞いてなかったでしょ?」

「……すんません」

「まあ、無理もないよね。今回の仕事は、光明にはかなり苦しい案件になるだろうし」

 光明さんにとって、苦しい案件?

 私はタマくんと顔を見合わせる。それから、隣に座っている光明さんに視線を向けた。

 光明さんはいつも以上に無表情で、誰にも自分の感情を悟られまいとしているかのようだった。

「京都にある光明の屋敷にねえ、土蜘蛛の巣食う塚ができちゃったらしいんだよ」

「土蜘蛛?」

 どこかで聞いたことがあるな、と記憶の引き出しを頭の中で引っ張り出していると、ポンスケの言葉を思い出した。

『あなた様は鬼(おに)、妖狐(ようこ)、烏天狗(からすてんぐ)、大蛇(だいじゃ)、猫又(ねこまた)、土蜘蛛(つちぐも)、犬神(いぬがみ)……あやかし七衆(ななしゅう)の頭首のひとりであらせられる猫又の姫様にございますポン!』

 そのあやかし七衆とかいう頭首のひとりに、土蜘蛛がいたな。ということは、私は前世で仲間だったのだろうか。

「土蜘蛛は名前の通り、蜘蛛のあやかしだよ。あれは吐いた糸で死体を操り、毒で身体に異常を起こす力を持ってる。土蜘蛛の塚の近くに植えられていた木を伐採した者は、病死したって事例もあるんだ」

「その土蜘蛛は、どうして光明さんの屋敷に?」

「……私の口から話していいのかい?」

 所長さんは、わずかに首を傾ける。光明さんは横目で私を見るや、「別に構わへん」と答えた。

「俺だけが話さへんのも、不公平やからな」

 私が両親にされたこと、暗闇が怖いこと、それは私が勝手に話したことだ。

 だから、義理を感じることはないし、出会った頃の光明さんなら、お前には関係ないと突っぱねたはず。

 でも、私には知られてもいいって思ってくれたんだ。少しは光明さんに気を許してもらえたって自惚れても、いいのかな?

「そう? じゃあ、私から話すけど……屋敷は光明のご祖父母が管理していたんだ。ほら、ご両親は亡くなっているからね」

 あやかしに殺されたんだよね……。

 少しだけ重たい空気が、私たちの間に漂う。

「管理しとった言うても、屋敷は半分以上燃えて住める状態やないけどな」

「じゃあ、どうして管理を……」

「……焼け焦げてようが、俺の帰る家やさかい。ほんまは自分で管理したかったんやけどな、俺は呪いのことがあったさかい、こっちの別荘に移り住まなあかんかったんや」

「それでおじいちゃんとおばあちゃんに、屋敷を任せてたんですね」

 納得している私の横で、タマくんが「んー」と難しい声を漏らした。

「その住めなくなった安倍さんの家に、なんで土蜘蛛の塚が? あやかしは、あまり人里を好まないだろ。わざわざそこに巣を作る目的に、見当はついてるの?」

「……ついてる。そやさかい、この案件を俺に任せたんやろう、所長」

 光明さんの視線を受けた所長さんは、「そうだよ」と頷いた。

「光明の親を死に追いやった、あやかしの仕業かもしれないからね」

「えっ……そんなつらい案件を光明さんにさせるなんて、酷すぎます!」

 思わず立ち上がった私を、光明さんはため息をつきながら見上げる。そして、「座っとき」と言い、私の腕を引いてソファーに座らせた。

「俺はずっとこの日を待っとったんや。いつか、親父とお袋を殺したあやかしを見つけて、滅したるって決めとったさかい。向こうから会いに来てくれて、むしろうれしいくらいだ」

 光明さんが浮かべた笑みは、見ているこっちが凍りつきそうなほど冷たいものだった。

「じゃあ、出張に行ってくれるってことでいいね?」

「はい、すぐにでも立ちます」

 すぐにでもって……。

「目的地、京都だよ?」

「もう忘れたのか? 喰迷門を使えばすぐやろ」

「それは嫌っ、それだけは絶対に嫌っ」

「わがまま言いなや」

「だって、口の中に入るなんて、生理的に受け付けないんだもん! こう、ぞわぞわっと鳥肌が立つっていうか!」

 腕をさすりながら抗議するけれど、光明さんはつんと顎を上げて言い放つ。

「お前の選択肢はふたつにひとつだ。おとなしゅう喰迷門で行くか、俺に気絶させられて喰迷門で行くか、選べ」

「どっちも大差ないじゃん!」

 お笑い芸人のノリツッコミみたいに、コントを繰り広げる私たちを所長さんは呑気にお茶(ちなみに激辛)をすすりながら、タマくんは苦笑いしながら眺めている。

「私は絶対に新幹線で行くからねーっ、I LOVE文明の利器!」

 陰陽寮には、私の絶叫が響き渡った。