「そうだよな。風船だって同じだもんな。一気に空気を入れたら破裂する」
海翔が拓斗の目をじっと見て、クールな表情のまま告げる。
「ま、そういうことです。瞬間的に空気を入れても風船は膨らみません。ずっとずっと空気を送ってあげないといけないんです」
うちの弟は頭が切れるな、と自慢のような、軽い敗北感のような気持ちになっていると、遥平が「たくとにいちゃんも」とミニシュークリームのパックを差し出してきた。
ありがとう、と言って遥平の頭を撫でながら、拓斗はミニシュークリームをひとつ手にする。
……と、これで終われば〝ちょっとしたいい話〟で終わるのだが、子育てというものはそんなにきれいには幕が下りなかった。
「そういえば、今度、ふたりの通ってる『みどり保育園』で、給食参観があるのですよね?」
ミニシュークリームを食べながら、海翔が冷蔵庫に貼ってある行事予定表に顔を向ける。拓斗が目を丸くした。
「え? それいつだよ」
「来週の木曜日。保護者も一緒に給食を食べて、味などを確認するらしいですよ」
「やっべ。忘れてた。何だ、その素敵企画は」と、拓斗がスマートフォンを取り出して日数を数える。
「よかった。ぎりぎり有給申請、間に合いそうだ」
すると、ミルクティーを飲んでいた心陽が目に見えて肩を落とした。
「たくと、くるのー?」と口をへの字にしている。
「明らかにイヤそうな声だな、心陽」
「だってぇ……」
と心陽が海翔の方を見た。
海翔が小首を傾げて質問する。
「兄さんが〝きもい〟からですか?」
「ぐふっ」と拓斗が胸を押さえた。
心陽がそんな拓斗の様子を見ながらちょっと困ったような顔になる。
「きもい、っていうか、はずかしい……」
と、心陽はもじもじした。
遥平はのどかな表情でシュークリームを味わっている。
「恥ずかしいのか……?」
と拓斗が心外そうに尋ねた。
心外そうにしている拓斗に対して、海翔が心外そうに声をかける。
「恥ずかしくないと思っていたのですか」
「どういう意味だよ」
「僕たちが小学生の頃、授業参観で両親が来たとき、恥ずかしくなかったのですか」
拓斗はびっくりしたような顔になった。
「恥ずかしいわけないじゃん。普通にうれしかったよ」
「……兄さんとはどこか相容れないものがあるらしいですね」
海翔は恥ずかしかったらしい。
そういえば、海翔の授業参観のあとは「海翔に無視された」と、いまは亡き父が落ち込んでいたことがあったっけ……。
「心陽。パパがいたら恥ずかしいのか?」
と拓斗が心陽に直接聞いている。
心陽は即答した。
「いまのたくとはきてほしくない。なんかバカだし、キモいから」
「…………」
こてんぱんに言われて拓斗が沈黙している。
「そんなこといっちゃだめだよ、はーちゅん。たくとにーちゃんがかわいそう」
「だって、たくとなんだもん。はずかしいよ。やだ」
「よーちゃんもはずかしいけど……」と遥平。
〝よーちゃん〟というのは遥平のあだ名である。
「さっきみたいに抱きしめたりすりすりしたり、赤ちゃんにやるような行為はやめて、ということですね?」
海翔が確認すると双子が頷いた。
拓斗はまたしても分かりやすくショックを受けている。
「パパの愛なのに」とか呟いていた。
「その愛は別の形で表すことを考えましょう」
「ぐぐっ……海翔、冷たい奴だな」
ミニシュークリームが最後のひとつになっていた。遥平が心陽に譲り、心陽は遥平に譲る。
そのやりとりが数回繰り返されて、心陽が最後のひとつを頰ばった。
ふんわりした性格で食べることが大好きな遥平だが、みんなで分けっこした方がおいしいと知っているのだった。
子供たちの和やかな光景の横で、大人の男兄弟の不毛なやりとりが続いていた。
「あのね、兄さん。そんなことでは、心陽ちゃんが思春期になったら、『パパくさい』とか『パパの洗濯物と一緒に洗濯しないで』とか言われるようになりますよ?」
「そんなこと言われたら、俺、死ぬ」
「死なないでください。そのうち恋人とか連れてきますよ?」
「心陽はやらん。そいつ殺す」
双子たちは両手でカップを支えながらミルクティーを味わっている。
拓斗の親バカ発言は、拓斗が正式に父親であると分かってから毎日の日課のようになっていて、心陽たちには大して感動を与えなくなっていた。
拓斗の方は日に日に親バカの度合いが上がっていくのだが、そのせいでむしろ冷静な双子たちとの距離が離れているようにも見え……。
「まったく……。これでは、どちらが大人だかさっぱりです」
「だって、心陽かわいいんだもん」
かわいいと言われた心陽が「たくと、キモい」と言い返す。
けれども、ちょっと頰が赤いのがやはりかわいらしい。
この素直でないところは一体誰に似たのだか……。
遥平が「よーちゃんは?」と言いたげな顔で眉を垂らして見上げたので、拓斗は条件反射的に遥平に頰ずりした。
「小さい子供の前で『殺す』なんて物騒な言葉を使わないでください。自分だって他人様の家の娘さんに双子を産ませてるんですから」
「ぐっ……。すまない」と、拓斗が遥平を抱きかかえたまま反省する。
人間とはつくづく自分勝手だなと拓斗は思う。
他人様が同じように親バカ発言をしているのは見聞きしたことがある。
しょうがないなとか、ああはなりたくないなとか、いろいろ思っていたものだが、いざ自分がその立場に立ってみると案外簡単に親バカになってしまう。
そして――これまた身勝手に――思うのだ。
「だってうちの子は特別だもん」と。
どこの家も同じように特別で大切な子供なのに。
「さて、給食参観ですが――僕もその日は講義を休みにできそうです」
「おー」と双子が歓声を上げた。拓斗が少しさみしげな顔になったのを遥平が見逃さない。
「たくとにいちゃんもきてね」
「よーへーっ!!」と拓斗が遥平にすりすりした。
「わわわ」と遥平が目を回す。
拓斗が遥平を解放すると、今度は遥平が心陽に話しかけた。
「はーちゅんも、ほんとはたくとにいちゃんとかいとにいちゃんのふたりできてくれたほうがいいよね?」
遥平が姉の心陽の説得を試みる。
「うん」と心陽が頷く。
感動して心陽を抱きしめようとした拓斗に、心陽の語彙の足りないところを、海翔が補い、釘を刺した。
「保育園ではくれぐれも恥ずかしい振る舞いをしないように」
分かってるよ、と拓斗が唇を尖らせる。
本当に分かっているのだろうかという海翔のため息を聞きながら。
このちょっとした保育園行事から、また予想できない方向へ物事が進んでいくのだが、双子たちはもちろん、拓斗も海翔もこのときはまったく思ってもいなかった。
海翔が拓斗の目をじっと見て、クールな表情のまま告げる。
「ま、そういうことです。瞬間的に空気を入れても風船は膨らみません。ずっとずっと空気を送ってあげないといけないんです」
うちの弟は頭が切れるな、と自慢のような、軽い敗北感のような気持ちになっていると、遥平が「たくとにいちゃんも」とミニシュークリームのパックを差し出してきた。
ありがとう、と言って遥平の頭を撫でながら、拓斗はミニシュークリームをひとつ手にする。
……と、これで終われば〝ちょっとしたいい話〟で終わるのだが、子育てというものはそんなにきれいには幕が下りなかった。
「そういえば、今度、ふたりの通ってる『みどり保育園』で、給食参観があるのですよね?」
ミニシュークリームを食べながら、海翔が冷蔵庫に貼ってある行事予定表に顔を向ける。拓斗が目を丸くした。
「え? それいつだよ」
「来週の木曜日。保護者も一緒に給食を食べて、味などを確認するらしいですよ」
「やっべ。忘れてた。何だ、その素敵企画は」と、拓斗がスマートフォンを取り出して日数を数える。
「よかった。ぎりぎり有給申請、間に合いそうだ」
すると、ミルクティーを飲んでいた心陽が目に見えて肩を落とした。
「たくと、くるのー?」と口をへの字にしている。
「明らかにイヤそうな声だな、心陽」
「だってぇ……」
と心陽が海翔の方を見た。
海翔が小首を傾げて質問する。
「兄さんが〝きもい〟からですか?」
「ぐふっ」と拓斗が胸を押さえた。
心陽がそんな拓斗の様子を見ながらちょっと困ったような顔になる。
「きもい、っていうか、はずかしい……」
と、心陽はもじもじした。
遥平はのどかな表情でシュークリームを味わっている。
「恥ずかしいのか……?」
と拓斗が心外そうに尋ねた。
心外そうにしている拓斗に対して、海翔が心外そうに声をかける。
「恥ずかしくないと思っていたのですか」
「どういう意味だよ」
「僕たちが小学生の頃、授業参観で両親が来たとき、恥ずかしくなかったのですか」
拓斗はびっくりしたような顔になった。
「恥ずかしいわけないじゃん。普通にうれしかったよ」
「……兄さんとはどこか相容れないものがあるらしいですね」
海翔は恥ずかしかったらしい。
そういえば、海翔の授業参観のあとは「海翔に無視された」と、いまは亡き父が落ち込んでいたことがあったっけ……。
「心陽。パパがいたら恥ずかしいのか?」
と拓斗が心陽に直接聞いている。
心陽は即答した。
「いまのたくとはきてほしくない。なんかバカだし、キモいから」
「…………」
こてんぱんに言われて拓斗が沈黙している。
「そんなこといっちゃだめだよ、はーちゅん。たくとにーちゃんがかわいそう」
「だって、たくとなんだもん。はずかしいよ。やだ」
「よーちゃんもはずかしいけど……」と遥平。
〝よーちゃん〟というのは遥平のあだ名である。
「さっきみたいに抱きしめたりすりすりしたり、赤ちゃんにやるような行為はやめて、ということですね?」
海翔が確認すると双子が頷いた。
拓斗はまたしても分かりやすくショックを受けている。
「パパの愛なのに」とか呟いていた。
「その愛は別の形で表すことを考えましょう」
「ぐぐっ……海翔、冷たい奴だな」
ミニシュークリームが最後のひとつになっていた。遥平が心陽に譲り、心陽は遥平に譲る。
そのやりとりが数回繰り返されて、心陽が最後のひとつを頰ばった。
ふんわりした性格で食べることが大好きな遥平だが、みんなで分けっこした方がおいしいと知っているのだった。
子供たちの和やかな光景の横で、大人の男兄弟の不毛なやりとりが続いていた。
「あのね、兄さん。そんなことでは、心陽ちゃんが思春期になったら、『パパくさい』とか『パパの洗濯物と一緒に洗濯しないで』とか言われるようになりますよ?」
「そんなこと言われたら、俺、死ぬ」
「死なないでください。そのうち恋人とか連れてきますよ?」
「心陽はやらん。そいつ殺す」
双子たちは両手でカップを支えながらミルクティーを味わっている。
拓斗の親バカ発言は、拓斗が正式に父親であると分かってから毎日の日課のようになっていて、心陽たちには大して感動を与えなくなっていた。
拓斗の方は日に日に親バカの度合いが上がっていくのだが、そのせいでむしろ冷静な双子たちとの距離が離れているようにも見え……。
「まったく……。これでは、どちらが大人だかさっぱりです」
「だって、心陽かわいいんだもん」
かわいいと言われた心陽が「たくと、キモい」と言い返す。
けれども、ちょっと頰が赤いのがやはりかわいらしい。
この素直でないところは一体誰に似たのだか……。
遥平が「よーちゃんは?」と言いたげな顔で眉を垂らして見上げたので、拓斗は条件反射的に遥平に頰ずりした。
「小さい子供の前で『殺す』なんて物騒な言葉を使わないでください。自分だって他人様の家の娘さんに双子を産ませてるんですから」
「ぐっ……。すまない」と、拓斗が遥平を抱きかかえたまま反省する。
人間とはつくづく自分勝手だなと拓斗は思う。
他人様が同じように親バカ発言をしているのは見聞きしたことがある。
しょうがないなとか、ああはなりたくないなとか、いろいろ思っていたものだが、いざ自分がその立場に立ってみると案外簡単に親バカになってしまう。
そして――これまた身勝手に――思うのだ。
「だってうちの子は特別だもん」と。
どこの家も同じように特別で大切な子供なのに。
「さて、給食参観ですが――僕もその日は講義を休みにできそうです」
「おー」と双子が歓声を上げた。拓斗が少しさみしげな顔になったのを遥平が見逃さない。
「たくとにいちゃんもきてね」
「よーへーっ!!」と拓斗が遥平にすりすりした。
「わわわ」と遥平が目を回す。
拓斗が遥平を解放すると、今度は遥平が心陽に話しかけた。
「はーちゅんも、ほんとはたくとにいちゃんとかいとにいちゃんのふたりできてくれたほうがいいよね?」
遥平が姉の心陽の説得を試みる。
「うん」と心陽が頷く。
感動して心陽を抱きしめようとした拓斗に、心陽の語彙の足りないところを、海翔が補い、釘を刺した。
「保育園ではくれぐれも恥ずかしい振る舞いをしないように」
分かってるよ、と拓斗が唇を尖らせる。
本当に分かっているのだろうかという海翔のため息を聞きながら。
このちょっとした保育園行事から、また予想できない方向へ物事が進んでいくのだが、双子たちはもちろん、拓斗も海翔もこのときはまったく思ってもいなかった。