瀬那はお弁当を持ったまま非常階段に入る扉の前で足を止めてしまっていた。
愛菜の問題ですっかり忘れていたが、昨日の今日なのである。
昨日の枢とのことを思い出して、瀬那の顔には熱が集まってくる。
しかし、いつまでも突っ立っているわけにもいかないので、恐る恐る扉を開き非常階段へ出ると、そこには枢がすでに座っている。
平常心と心の中で唱えつつ階段を下りて枢の隣に座ると、いつものようにお弁当を広げていく。
そして枢に箸を渡せば、箸ではなく瀬那の手首を掴まれてしまう。
驚いて枢の顔を見上げれば、不敵な笑みを浮かべていた。
「昨日のこと、忘れてないだろうな?」
まさかさっそく核心に迫ってくると思っていなかった瀬那はドキッとしたが、顔を赤くしながらぽつりと呟く。
「わ、忘れてない……」
「ならいい」
今度はしっかりと箸を受け取り、お弁当へ手を伸ばした。
瀬那はいつも通りを心掛けながら、本を開いてみたものの、まったく内容が頭に入ってこない。
チラチラと枢を見ればいつもと変わらぬ様子。
自分ばかりが気になっているようで、少し不満である。
そんなことを思いながら見ていると枢と目が合い、瀬那は慌てて目をそらす。
「なんだ?」
「別に……」
「なんだ?」
「…………」
たっぷりの沈黙の後、瀬那は手元の本を見ながら昨日から気になっていたことを口にした。
「あの……私達って、付き合ってるでいいの?」
すると、今度は枢が沈黙する。
何故そこで沈黙するのかと不安になった瀬那が慌てて枢を見れば、枢は片手で顔を覆っている。
「えっ、違った?」
まさかの勘違いかと動揺した瀬那に対し、枢は顔から手を離したその手を瀬那の後頭部に伸ばし、そのまま引き寄せた。
近付いてくる枢の顔に何かを考える間もなく、枢の唇が瀬那の唇にそっと触れ、ゆっくりと離れていく。
それをポカンとした表情で見ていた瀬那は、一拍の後キスされたことを悟ると、顔を真っ赤にした。
「これ以上何か言いたいなら、もう一度するがどうしたい?」
呆れと共に少しの怒りも感じる枢に、瀬那は無言で首を横に振って否定した。
そして、いつも通りの……いや、いつもとは少し違う関係となった二人の時間が流れる。
「ねえ、枢」
「なんだ?」
「新庄さんのこと助けてあげなくていいの?」
「ああ。俺が手を出せばあいつはまた俺に期待する。気持ちに応える気もないのに期待させるつもりはない」
「そう……」
「総司と瑠衣が動いてる。あの二人が動いて嫌がらせをする馬鹿はいないだろう」
冷たく見えるが、枢は枢なりに相手のことを考えているのだ。
決して、見えることが全てではない。
その後、総司と瑠衣がノワールを動かして徹底的に捜査を始めたためか、愛菜への嫌がらせが起こることはなかった。
その間、枢は傍観者に徹した。