「つっ……」


 瀬那の顔が苦しげに歪む。


「どうした?」


 怪訝な顔で見てくる枢に瀬那は吐き出した。


「ごめん。やっぱりもう作れない!」


 そう言って立ち上がった瀬那を枢はびっくりしたように見上げる。
 そして、食べ終わった食器を急いでシンクに置き、泣きそうな顔で枢を見る。


「ごめん。ご飯作るの今日で終わりにするね。昼ごはんももう非常階段には来ないで……」

「おい」

「ごめんっ」


 そのまま言い捨てるように出て行こうとした瀬那を、枢は許さず腕を掴み引き寄せる。


「なんだ、どうしたんだ急に。何か嫌なことでもあったか?」


 枢は何が何だか分かっていない顔をしている。
 どこか焦っているように見えるのは、瀬那という食事係がいなくなると思ってのことか。



「作るのが嫌になったか?」

「違う……。嫌なわけじゃない……」

「なら、どうしたんだ?」


 今の瀬那には残酷なほどに優しい声で問う枢は、俯く瀬那の頬に手を伸ばし顔を上げさせる。

 頬に添えられるその手すら優しく労るような温かさがあり、それが余計に瀬那を辛くさせる。


「止めて、優しくしないで……」


 瀬那は手をどかそうとするが、今度は両手でしっかりと頬を包まれて顔を上げさせられる。
 逃げられない瀬那と枢の視線が絡み合う。


「何があったんだ? どうした?」


 頬に添えられた枢の手。その親指が瀬那の目元を拭ったことで、瀬那は自分が泣いていることに気が付く。


「言わなければ分からないだろう」


 なんと残酷なことか。
 枢は瀬那の口から言わせようとしている。
 この醜い心の内を。


「瀬那」



 優しい声色で心配そうに名を呼ぶ。
 枢が女の子のことを下の名で呼んでいるところを聞いたことはない。
 あの愛菜でさえ。

 それが、余計に勘違いさせることを枢は分かっていないと、瀬那は怒りすら湧いた。



「っ。止めて私勘違いしちゃうから」

「何を勘違いするんだ」

「枢が優しいから……。そんなはずないのに。枢には好きな人がいるって知ってるはずなのに。なのに、枢の目が優しくて、だから私は勘違いしそうになっちゃうの。枢の好きな人が私だったらいいのにって」


 そう言うと枢はわずかに目を見開いた。

 ああ、言ってしまったと、瀬那は胸が苦しくなる。
 視線をそらす瀬那には、枢がどんな顔をしているか分からない。


「だからもう止めたい。勘違いした馬鹿な女になりたくないの……。今ならまだ引き返せると思うから」


 愛菜のようにあんなに冷たい目で枢に見られてしまったら、立ち上がれそうにない。

 だから、その前に終わらせよう。

 今度こそ枢の手を離させようとすると、逆に手に力がこもった。


「それを聞いて止めさせるか。勘違いするなら勘違いしろ。むしろさせるためにそうしてるんだ」


 視線をそらしていた瀬那は、はっと枢に目を向ける。



「気付け。俺はなんとも思ってない女の料理を食べたり、ましてや家に入れたりしない」


 静かで、けれど強い力を持った枢の眼差しが瀬那を捕らえる。

 驚いたように目を見開く瀬那は、信じられないという表情を浮かべる。


「それって……どういう意味……?」

「好きなのはお前だ」

「嘘……」

「嘘じゃない。俺が言っていたのはずっとお前だった」

「私、夢見てる……?」


 ここにきて信じようとしない瀬那に、枢は焦れた顔をし、瀬那をその腕に抱き締めた。

 息をのんだ瀬那に、枢の声が降ってくる。


「ここまで近付くのにどれだけ時間を掛けたと思ってるんだ。夢ですますな」

「だって……だってぇ……」


 もう瀬那は半泣きだ。
 あの枢が。あの一条院枢が、自分を好きだと言う。
 夢としか思えなかった。


「お前はどうなんだ。まさか俺にここまで言わせて知らん振りはさせないからな」

「っ……」


 瀬那は抱き締める枢の背に恐る恐る腕を回した。


「私も好き……」


 そう口にした瞬間、抱き締める枢の腕の力が強くなった。