お母さんは初め、私の高校の入学式に休みを入れていた。でも、そのとき関わっていた捜査に急展開があったとかで急遽出勤することになり、入学式を欠席した。実はそれは初めてのことじゃなくて、お母さんは私の学校行事という学校行事に来たことがない。行きたくない……ではなくむしろその逆だ。運動会も、授業参観も卒業式も、休みを入れて――駄目だった。

 私はお母さんがお仕事を頑張っているのをよく分かっているし、学校行事に来ることが出来ないのは、仕方のないことだと理解している。

 でも、そのことをお母さんは酷く心残りにしていた。

「被害者のためにも、芽依菜のためにも、お母さん頑張って犯人捕まえて、絶対文化祭行くからね!」

「うん!」

 お母さんはガッツポーズをした。でも、その瞳の下には、うっすらと隈が見える。私はそのまま家族で紅茶を飲んで、お風呂が沸くまでダイニングで過ごしていたのだった。

◆◆◆

「どうわ……カフェ、っと」

 私はお風呂上がり、ベッドに寝転がってスマホでカフェや文化祭の出し物について調べていた。

 どうやら、コンセプトカフェという何かひとつのテーマに沿ったカフェのジャンルがあるらしく、童話カフェはそれに該当するのかもしれない。アニメやゲームとコラボしたカフェもあって、キャラクターに寄せた飲み物を提供するみたいだ。

 童話カフェとなると……どうなるんだろう。不思議の国のアリスの紅茶とか……? 明日はどの童話をカフェのモチーフにするか絞っていかなきゃいけない。食べ物に関連する童話をリストアップしたほうがいいのかもしれない。

「めーちゃん」

 スマホにメモをしていると、部屋のカーテンの奥から真木くんの声が聞こえてきた。薄いサーモンピンクのカーテンを開くと、後ろに髪をまとめた真木くんがベランダに出て手を振っていた。着物を着るときのまとめ髪みたいにして、パーカーも肘あたりで着ている彼は、学校で見る時とまた雰囲気が違って見える。

 あっちもお風呂上がりらしく、シャンプーの臭いがした。

「ねー……そっちいってもいい? 今めーちゃんひま?」

「うん。大丈夫だけど……」

 真木くんは、「おっけい」なんてゆるい返事をすると、ベランダの手すりによじ登り、こちらにさっと渡ってきた。ベランダのサンダルを履いているから滑らないかひやひやするけど、お互いのベランダの距離は近く、小学生でも簡単に行き来できる近さだ。

 真木くんが越してくる前、家が建って誰が越してくるんだろうとわくわくしていたけど、しばらく空き家だったのはこれが原因だったのかな……と、なんとなく思う。

「よっと」

 真木くんは私の部屋のベランダでサンダルを脱いで、「お邪魔します……」と部屋に入ってくる。こちらのカーテンを閉めるとき、真木くんの部屋から、本棚が見えた。そこには数学や物理学の参考書が並んでいて、そのどれもが高校生ではなく、大学生以上、研究者を対象にした難しい本だ。

 真木くんが脱力し、面倒くさがりに変貌していくにつれ、彼は数学への関心を爆発的に持つようになった。難しい証明をしたり、難しい数式の本を読んだり。彼の部屋にある本について、私はまったく理解できないし、彼が本当に理解しているのかも、よく分からない。

 数学の試験は、毎回彼はケアレスミスを連発し、数学の成績は平均よりちょっと下に落ち着いている。他の主要教科は、基本赤点ぎりぎりだ。

 どうして、こんなにも二面性のある状態に真木くんが陥ってしまったのかと言えば、彼が幼少期、ある事件に巻き込まれたことに起因している。彼は犯罪事件――誘拐事件に巻き込まれたことが原因で、心を壊し、人が変わってしまったのだ。事件以降、彼は極度の面倒くさがりに変わり、言動も幼く注意力も散漫になり、ぼんやりした真木くんに変わってしまったのだ。

 そして、それはすべて私のせいだ。

「真木くん、今日はどうし……」

「さむさむだから一緒に寝てほしい……さむ……」

 真木くんは「さむ」「さむだから」と繰り返して、私のベッドに潜り込むと丸まり、まるで芋虫のように顔だけ布団から覗かせた。

「真木くん……もう私たち高校生なんだから、別々で寝ないと……」

「でも、さむだもん……」

 私は一向に布団にくるまる真木くんを見て、しばらく考え込んだあと、本棚からアルバムを取り出した。

「ほら、真木くん、小さい頃の写真見る? この間掃除してたら出てきたんだよ」

「見る……」

 彼がぬっと布団から這い出てきて、アルバムに近付いていく。私は彼がベッドから離れていくよう少しずつ後退し、部屋の真ん中にあるミニテーブルにアルバムを置いた。

 アルバムは、彼が我が家の隣へ引っ越してきた時から、だいたい小学校一年生くらい頃までの写真で構成されている。全て私と真木くんのツーショットだ。

「んー懐かしいねえ、いつ頃だろ、昨日くらい?」

「昨日じゃないよ、真木くんも私も小さいでしょ?」

「ほんとだ! めーちゃん小さい、かわいー」

 もそもそと真木くんはアルバムを手に取ると、まるで宝物を見つけたように両手で掲げる。そのページには運動会で一位を取った真木くんと、隣に立つ私がいた。二人とも元気に笑っていて、ピースをしている。彼の髪は短めで、腕まくりをし、背筋もピンと伸びていた。ピースサインも力強く、なんだかこの写真の彼のほうが、男の子という感じがする。

「ちまちましためーちゃん食べたら美味しそう。ケーキの上にのってるやつみたい」

「いや、私は普通にまずいよ? 人間だからね」

「そうかなあ……? じゃあ今日は、このアルバムを枕元に置いて、めーちゃん抱っこして寝よ……」

 真木くんは、常夜灯を残して電気を消し、私の手を掴んでそのままべッドに入ってしまう。注意をしようと起き上がろうとしても、「ねむです」とぎゅっと抱きつかれて動けない。

「真木くん……」

「ねむです。めーちゃん明日から文化祭頑張るだから……じゅーでんするの……」

 そのまま彼は、子供みたいに抱きついてきた。常夜灯に照らされた顔は、彼のあどけなさをより強調している気がする。胸の中に白雪姫が眠っているみたいで、起こすことに躊躇いさえ覚えた。

「おやすみ、真木くん」

「うん。おやすみ」

 なんとなく、ぽん、と真木くんの背中をあやすみたいになぞる。なんだか私も瞼が酷く重くなってきて、そのまま目を閉じたのだった。



 沖田くんが昨日言った、「明日の朝、話しような!」というのは、登校してきてホームルームが始まるまで話をするのではなく、いつもの通学よりはやく学校に来て話をしようというものだ。真木くんがついて行くと言ったから、心強さを感じると同時に、「朝、真木くん起きられるかな……」と不安も抱いたけど、真木くんはむしろ私を起こしてくれて、特に問題なく学校に来ることが出来た。

 廊下の壁には、すでに文化祭で行われるミスコンや、バンド、告白大会などの参加者を募集する張り紙や、美術部の展示のポスターが貼られていて、ところどころ集めたダンボールも置かれている。お化け屋敷を出し物に選んだクラスかもしれない。去年、隣のクラスが大型のお化け屋敷をするからと、たこ焼きをやるうちのクラスにまでダンボールを回収に来ていたこともあったし、早めに集めているのだろう。

「真木くん、童話喫茶でやりたいモチーフってある?」

「うーん……なんだろう。美味しいのがいい……」

 真木くんは大きな欠伸をしながら、ふらふらした足取りで歩いていく。もう少しで教室に着きそうというところで、何か物々しい声が聞こえ、私と彼は足を止めた。なんだか怒鳴るような声に様子を窺うと、教室の前で、沖田くんが誰かと電話をしているようだった。沖田くんは怒っているらしい。険しい顔付きで語気を荒げている。

「だから……いつになったら帰ってくる気だよ!」

 沖田くんはいつもクラスのムードメーカーで、イライラしている男子がいたら率先して話しかけるような、そんな生徒だ。今まで大声で笑ったり男女問わずふざけたことを言って、先生に怒られている姿は見たことがあるけれど、怒っている姿は見たことがない。びっくりして真木くんの腕を掴む。

「最近、ずっと朝帰りしてるよな。隠してるみたいだけど、全部分かってんだよ」

 沖田くんは悔しそうに「お前、そのうち刺殺されても知らねえから。つうか、お前が犯人なんじゃねえの?」と、吐き捨てるように言って電話を切る。あまりに荒々しい態度で驚いていると、彼はこちらに振り向いた。

「あ、えっと園村と――真木、おはよ」

「おはよう沖田くん」

「おは……」

 沖田くんはばつが悪そうにしながらも、手を上げてこちらに近付いてきた。「早いな」なんて言いながら、頭をかいている。言葉を選んでいると、後ろから「早いなーお前ら!」と、とても大きな声が響いた。

「お? 驚かせたか!? 悪い悪い。なんだ? 文化祭で何か決めるのか?」

「えっと、童話喫茶でどんな絵本をモチーフにするか決めようという話になって――……」

「そーかそーか! ならこんな廊下突っ立ってないで座って話しろよ。教室開いてただろ?」

 だいちゃん先生は不思議そうにしながら、布をかけた薄い箱のようなもの――パネルか何かを抱え、大股で歩いてくる。「先生は……?」と沖田くんが尋ねると、先生は「俺は朝の教室で絵を描くのが好きなんだ!」と、右手で持っていた筆と水入れを揺らした。水入れの中には絵の具もいれているらしく、一つこぼれ落ちた。

 色の名前も書いてない絵の具を、真木くんはさっと拾って先生に渡す。

「せんせ、どうぞ……」

「悪いな真木! ありがとう!」

 だいちゃん先生が教卓にバンッと絵の具や水入れ、筆を置いて、ガタガタと音を立てながら絵を描く準備を始めていく。色とりどりの絵の具たちは、私たちが美術の授業で配られた十二色よりずっと多くて、鮮やかに見える。けれど先生はそれらをパレットに出すこと無く、「で、どうするんだ? 童話喫茶」と、私たちに振り向いた。

「え……」

「生徒が文化祭で案出し合ってんのに、担任の俺がのこのこ絵描いてちゃ駄目だろ。ほら、先生が黒板に書いてってやっから」

 先生は黒板にチョークを立てた。私は慌てて昨日調べていたページと、メモ帳のアプリを開く。昨日は途中で寝てしまっていて、どこまで書いたか記憶がない。おそるおそる確認すると、想像よりずっと案出しが終わっていた。

「赤ずきんで、ぶどうジュースとか、桃太郎できびだんご……ヘンゼルとグレーテルで、パンとか、アリスだとティーパーティーのメニューがあると思って、食べ物の出る童話を選んでいったらいいと思うんですけど……」

「たしかに! 一寸法師やかぐや姫は皆が思いつくこれってもの、無いもんな。俺も不思議のアリス良いと思う。女子好きだし。それにほら、昨日見つけてきたんだけど……」

 沖田くんがポケットからスマホを取り出して、何やら打ち込み始めた。そうして差し出されたスマホの画面には、アリスをモチーフにしたゲームのコラボカフェの内装が映っている。

「やっぱり、色んな童話とかにするより、そろえたほうが良いのかなー……」

「世界観はまとめたほうがいいかもしれないな」

 だいちゃん先生もスマホを覗き込んで考え込む。真木くんも「うぅ〜ん」と考え込んだ様子だ。沖田くんはスマホを操作しながら、他の画像もスライドしていく。

「皆童話カフェって決まった時、結構適当な感じだったし、結構多数決なくノリだったじゃん? だから、ガツン! って結構具体的なテーマにしたほうが良いと思うんだよな」

「そうだね、内装の費用とかもあるし、去年劇だったけど、衣装にお金かかるモチーフだと、喫茶店の食べ物代までお金回らなくなっちゃうし……」

 確かに、去年劇をした時、文化祭委員の子が衣装代までお金が回らない! と困っていた記憶がある。劇で使っていただろう大道具や小道具、背景の予算が内装費にあたるとして、切り詰めていかないといけない。いっそモチーフを一つにしてしまえば、内装の布とかと衣装の布を共用に出来たりするだろう。

「じゃあ、皆には、童話喫茶のメインテーマとして不思議の国のアリスカフェを提案するとして、決めなきゃいけないのは調理と、売り子と、内装、衣装係だよね」

「でも、調達は会計担当の委員の役割だから、買い出しは俺らで、皆には作成を中心にやってもらったほうがいいかも。去年買い出ししたきり帰ってこない奴ら出なかった?」

「あー……」

 去年、私のクラスではサッカー部の男子がペンキを買いに行って、そのまま帰ってこず作業が中断……なんてことになった。結局男子たちは「次の日持っていけばいいと思って」と言って、サッカー部の男子とクラスの女子が少しギスギスした記憶がある。「こっちで買ったほうがいいね」と返して、ふと隣にいた真木くんが、だいちゃん先生の絵をじっと眺めていることに気づいた。

 先生も、自分の横からひょっこり顔を出している真木くんに気づいたらしく、「なんだぁ真木ぃ〜絵に興味があるのか?」と、やや照れくさそうに笑った。

「先生の絵、初めて見る……」

「そうかぁ? 俺結構お前らに見せてると思うんだけどなぁ。まぁ、真木は授業中寝てることも多いからな。ははは! どうだ、キラキラして見えるだろう? 絵が上手いとなぁ、こうして絵がキラキラするんだ」

 パネルにはすごく細密な鉛筆画が描かれていた。題材は、現代版モナリザ……だろうか? 50センチほどの正方形のパネルの中央には、清楚な雰囲気の女性が描かれている。

 やや長めの黒髪で、鉛筆で描いているはずなのに実物を見ているように艶めいて、瞳も、まるで生きているみたいだ。もう十分これで完成に思えるけど、背景の部分はうっすらと色が塗っている。そこには綺麗な花々や、楽しそうな人々が描かれていて、楽しそうで明るい、パステルカラーのアクリル画だ。

 でも、朝日を受けて絵自体が輝いている。どうやって描いたのか不思議だ。

「上手い人の絵は、輝きも描けるんですね……」

 私の言葉に、だいちゃん先生が「あっははは!」と吹き出した。戸惑えば「いや、いくら絵が上手くても物理的にキラキラさせて見せるなんて無理だからな。いやぁ、園村は純粋だなぁ」と目に涙すら浮かべる。やがて先生は咳払いをして、パネルのキラキラ部分を指差した。

「メディウムっていう、絵の具の発色を良くしたり、艶を出したりする液があるんだ。それをノリ代わりにして、水晶末ってやつをふりかけたんだ」

「水晶末?」

「鉱石砕いて、粉末にしたやつっていうのが一番わかり易い例えになるのかなぁ? 日本画の画材なんだよ。お前ら修学旅行とか、旅番組の旅館とかで、屏風とか掛け軸に絵が描いてあったりしただろ。ああいう絵だ」

 思えば小学生の頃、旅館に泊まった時、掛け軸を見た覚えがある。それも先生の絵みたいにキラキラ光っていたような……。でも、もう何年も前のことだから記憶も曖昧だ。正直、小学校の頃どこへ行ったのかも、今ぱっと出てこない。

「まぁ、日本画に興味ある高校生は珍しいし、知らなくて当然だ。俺も高校のときは絵なんて描かなかったからな」

「え、そうなんすか? てっきり小さい頃からだとばっかり……」

 沖田くんが意外そうに目を丸くした。私も、先生が高校生の時に絵を描かなかったことに、びっくりした。今まで会った絵の上手い子は、みんな小さい頃から絵が好きで……とか、幼稚園から描いていたという子ばっかりだった。

 たった一人の例外は、真木くん。

 彼は引っ越してすぐの頃、一緒に絵を描いたりしていて、「大人に頼まれる以外で絵を描くのは初めて」と言いながらも、ものすごく細密な紫陽花を描いていた。そして、絵が好きなのか問いかければ「わからない」なんて言ったりした。他にも絵のうまい子達はいたけど、皆、小さい頃から練習してきたと言っていた。
「俺、昔びっくりするくらいヤンキーでさ、あー……今もしかしてヤンキーって死語か? 不良でさ。そんな時に姉貴がバイクとかで暴れるくらいなら、絵でも描いてろって俺のこと更正させてくれて。姉貴のことかっけえなぁって教師になったんだよ。姉貴、委員長の標本みたいなタイプでさぁ。ま、今は俺の方が絵上手いけどな」

 わはは! とだいちゃん先生は豪快に笑った。かと思いきや、「そういやお前兄弟いたなぁ……あれ、いなかったか?」と沖田くんの肩を叩いた。

「弟たちが……」

「どうだ? 元気か?」

「まぁ……そこそこですかね……」

「そーかそーか。兄弟大事にしなきゃ駄目だぞ? ちゃんと、お兄さんのことも」

 だいちゃん先生が付け足すと、沖田くんが「はい……」と複雑そうに返事をした。先生はそのまま、「水汲んでくるわ!」と教室を後にする。なんとなく、さっきの電話を聞いたこともあって、沖田くんとは気まずい。

 かといって真木くんだけに話しかけるのも仲間外れみたいだ。それに、真木くんは先生の絵をじっと見ていて、邪魔をするのも申し訳ない。私は結局、無難な話題を沖田くんに持ちかけた。

「ぶ、文化祭……楽しみだね」

「おう。俺、一番文化祭好きだわ」

 どうやら、大丈夫な話題だったらしい。沖田くんは表情を和らげた。

「つうか、この高校入ったのも、文化祭見ていいなって思ってたからでさ。三回くらい来たことあって、お化け屋敷とか、遊園地とかの本格的なやつより、文化祭の手作り感があるほうが好きで」

 お化け屋敷は、真木くんが嫌うから行ったことがない。真木くんは暗闇が苦手で、特に閉所と暗闇の組み合わせは最悪だ。お化け屋敷は、前を通るだけでも身体を強ばらせているくらいだった。だから中学のころも、高校の時も、お化け屋敷をしているクラスの前は通らないようにしていた。

 でも、行ったことはないまでも、なんとなく遊園地と高校の文化祭のお化け屋敷が違うことも分かる。

「あと……あれ、文化祭終わるとさ、最後に風船飛ばすじゃん。ぶわって。それが好きでさ」

 沖田くんの言う通り、高校の文化祭では最後にみんなで風船を飛ばす、バルーンリリースのイベントがある。生徒会主催で、文化祭の終わりを示すとともに、それまで準備をしていた生徒たちへのねぎらいの意味もあるらしい。沖田くんは目を輝かせながら、青空の広がる窓へと目を向けた。

「もし、文化祭を開く側で、この景色見れたらどう思うんだろう……って思ってて、去年も文化祭委員やってすげぇ良くてさ、だから今年も文化祭委員に立候補してさ」

「そうだったんだ……」

 文化祭は、楽しい行事だと思う。中学校の頃、色々行事があったけど、思い出すのは文化祭だ。でも、ここまで文化祭に思い入れを持つ人がいるなんて考えもしなかった。成功させたいな……と思う。なんだか、文化祭委員になってしまって嫌だなぁと感じたのが、申し訳ないくらいだ。

「私、頑張るね」

「おう、がんばろうぜ園村」

 沖田くんがガッツポーズをしながら笑った。すると、それまでじっとだいちゃん先生の絵を見ていた真木くんが沖田くんに顔を向ける。

「沖田……」

「ん? 真木どうした?」

「俺も頑張る……だから、俺からあんまめーちゃん取んないで……」

 ぎゅう、と真木くんが私の裾を握りしめた。沖田くんは「なんか、真木って園村の弟みたいだよな」と笑っているけれど、どことなく真木くんの様子に違和感を覚える。

「文化祭の話……して……」

「はは! 乗り気だな真木! じゃあ、俺らの出し物について考えますかぁ!」

「ん」

 真木くんは先生の絵から離れて、私と沖田くんのそばに立つ。長い前髪をたらしているからその表情は見えないけれど、これまでの経験上、どうにも真木くんが文化祭に乗り気なようには思えなかった。

◆◆◆

「あー終わった……。めーちゃんお疲れ様」

「うん、お疲れさま、真木くん」

 放課後の公園で、二人並んでベンチに座る。真木くんが地面に向かって伸びをしながら、ふぅ、と一息ついた。俯く真木くんは肩にかかる髪の長さも相まって、女の子に見える時もある。彼は髪の長さにこだわりがあるようで、もうかれこれ五、六年はこの髪型だ。

 私は真木くんのふわふわした猫っ毛に触れながら、赤くなっていく夕焼けを眺める。

 朝にした文化祭の打ち合わせの結果、明日の朝、内装係や衣装作成のリーダー決めをすることになった。今朝でも良かったけれど、人身事故があったことであまり人が集まらず、放課後もすぐに委員会があって出来なかった。

 そうして文化祭委員会も終え、私たちは公園で休憩している。

 バスの乗り換えの中継地点であるこの公園は、私と真木くんの家から学校までの中間地点でもある。そして天気のいい日の帰り道はここのベンチに座り、適当な話をしてから帰るのが習慣だ。

 大抵第一声は、お疲れさま。さっきまで一緒に歩いていたけれど、なんとなく染み着いた癖のようなもので真木くんもつい言ってしまうし、私もつい言ってしまう。

「今日も一日だるかった……」

「あ、真木くん。委員会も一緒に来てくれてありがとうね」

「んーん。気にしないで……」

 はじめ、真木くんを文化祭委員会に連れて行っていいのかな……? と不安に思っていたけれど、委員会にはボランティアスタッフという枠があるらしく、彼の存在は受け入れられていた。文化祭委員の友達を手伝いに行く、なんてことも多いみたいだったし、本当に良かった。ただ、失敗をしないか警戒はされていたけど……。

 それにしても、今日は大変だったなぁと伸びをしていると、真木くんがぼそりと「沖田」とつぶやく。

「ん? 沖田くんがどうかしたの?」

「あんま、近く行かないで……めーちゃん朝、近かったよ、沖田と」

 じっとりと、拗ねた目で真木くんは私を見た。「分かった」と頷くと、「分かってない」と唇を尖らせる。

「分かってないよ……なんにも。めーちゃん、次沖田と近い近いしたら、俺、怒っちゃう……」

「えぇ、で、でも、文化祭委員で一緒に仕事するんだよ? それに、言うほど近いかな……」

 思い返してみても、隣の席になった程度にしか沖田くんとは近付いていない。しかし真木くんは「むー」と、抗議するように私の袖を握りしめる。

「もう、おうち帰る。めーちゃん分かってくんない……」

「えっちょっと真木くん!」

 真木くんは立ち上がると、私の手を取りどんどん歩きだした。なんだろう。今日の彼は機嫌が悪いように思う。朝も様子が変だったし……。あやすように「真木くん、ちょっと話しよう? 止まって、ね?」と声をかけていると、「やあだ」と間延びした返事がかえってきた。

「真木くん、なんか沖田くんに対してだけ、ちょっと変だよ」

「変じゃないよ……」

「だって、今までそんなこと一度も言ってこなかったし……」

「沖田が変だからだよ……」

「沖田くんになにかされたの?」

「されてない。めーちゃんに意地悪されてる……いじめられてる……うぅ」

 そう言って、彼は立ち止まる。気づけば公園を出ていて、辺りを見渡すと住宅街が広がっていた。この場所は来たことがない。公園からはそう遠くないはずだけど、石造りの塀や、トタン屋根のアパートのどれもに見覚えがなくて、漠然とした不安を抱いた。

「真木くん、おうち帰ろう?」

「ここ泊まる」

「真木くん……」

「泊まるの……」

「とにかく一度公園に戻ろう?」

 彼の手をしっかり握り、踵を返そうとすると、ふいに握っていた手が引っ張られた。

「芽依菜」

 ぼそっと、いつもより低い真木くんの声が耳をかすめる。それと同時に私たちの後ろからパーカーを着た男の人が通り過ぎて、すぐに「待て!」と、こちらに向かって警察官の人が駆けてきた。状況も把握できぬまま、邪魔にならぬよう立ち止まっていると、警察官は、あろうことか真木くんの腕を掴んで取り押さえてしまった。
「公務執行妨害で現行犯逮捕! ったく、手間かけさせやがって」

 警察官の手によって、真木くんの腕にがちゃりと手錠がかけられる。私は一気に血の気が引いた。