黒狼に罪を着せようと提案したのは自分であると副官が告白した。李姉妹を切り捨てては闇塩まで失う可能性がある。仕切り直して、改めて皇帝暗殺の機会をうかがうつもりだったと赤裸々な暴露が垂れ流される。
 もはやすべてが白日の下に晒された。
 部下たちに見放されても観念することなく、王尚書令は最後の切り札を出した。
「皇族の断罪は皇族によってのみ裁かれる。陛下が赤子の頃より付き添ってきた私を、罰することなどできましょうか」
情に訴える王尚書令に、詠帝の眼差しが揺らぐ。
 慈悲深い詠帝の性格を見越した、自信に満ちた口上に、結蘭だけでなく皆が歯噛みした。 
 このまま罪は流されてしまうのか。
「そうだな……。朕が叔父上を断罪するのは忍びない。では、皇族である皇后に判断を仰ごうではないか」
 荘厳な扉が開いた。
 清楚な青の衣を纏い、頭に鳳凰の宝冠を乗せた皇后が女官に付き添われ入室する。
 端麗な面差しをした皇后は、いつもの冷涼な声音で切り出した。
「叔父上、罪を認めてください。これ以上、王氏の名を辱めないでください。私はこたびの事件に深くかかわり、調査を重ねてきました。私や結蘭公主、黒狼校尉が叔父上の悪行をしかと見届けた証人です」
 皆は唖然とした。
 病に臥せっているという皇后の姿を、誰も見たことがなかったに違いない。
「新月さま……?」
 それもそのはずだ。皇后は、光禄勲としてすぐ傍にいたのだから。
 詠帝は咳払いをひとつすると、改めて紹介した。
「彼女こそ朕の正妃、慈聖皇后である。宮廷を正すことを目的として、光禄勲という仮の姿で調査を任せていた」
 驚きが広がるなか、夏太守は皇后である新月に声をかけた。
「おや、あなたはあのときの方だね」
「ごきげんよう、夏太守」
「敬州まで訪れて闇塩を調べる皇后とは……。はは、恐れ入りましたな」
 夏太守の盛大な笑い声が殿に木霊する。
 闇塩について夏太守に聞き込みをしていた女とは、新月だったのだ。
「なんだと……。まさか、皇后だったとは……」
 新月の正体を初めて知った王尚書令は、がくりと項垂れた。
 尚書省前での自白が決め手になり、詠帝は王尚書令に蟄居を申し渡した。
 李鈴と李昭儀については、王尚書令の傀儡だったことが考慮され、官位剥奪と後宮退去処分とされた。その他の侍医や薬師、尚書省副官や衛士については降格と謹慎処分という最大限の恩赦がなされた。
 黒狼の嫌疑も晴れた。
 心から安堵した結蘭の隣で、当の本人はけろりとしている。
「なるほどな。皇后と光禄勲の兼任なら、あらゆる権限を持っているはずだな」
 つぶやく黒狼を、ゆっくりと振り返る。
 なにやら水面下で事は運ばれていたようだけれど。
「皇后の召喚状を持っていたってことは……。黒狼は新月さまの正体を知らなかったの?」
「察しはついていた。俺を牢から逃がして夏太守を連れてこいと命じたのは、新月だからな」
 珠鐶の一件で賊かと思っていたが、新月は味方だったのだ。結蘭たちとは別行動で事件を探っていたとは、露知らずにいた。
「じゃあ、あの珠鐶は……?」
 さらりと裙子の裾をひるがえして、新月は皇后の玉座から降りる。
「あれは、落としたのです。私が敬州を訪れたときに。それを賊に利用されたのでしょう」
 刺繍の施された袖を捲り、手首を露わにする。
 翡翠の珠鐶には、もう血痕は付着していなかった。黒狼がつけたと予想していた傷跡は、もちろんそこにない。
「だから、さっさと見せろと言ったんだ」
「黒狼! 皇后陛下になんてこと言うのよ」
 慌てて跪こうとすると、苦笑交じりに制された。
「私には堅苦しい拝謁など必要ありません。今まで通りに接してください」
 元々上官で皇后だというのに礼を執るどころか、黒狼の不遜な言動は止まらない。
「病気と偽って芋虫を仕込んでくるとはな。たいした皇后だ」
「芋虫くらいで、泣いて逃げ帰られたのでは困りますからね。あの程度の洗礼は当然です」
 飛び交う応酬に結蘭は額を押さえる。
 けれど、あの芋虫のおかげで結蘭たちは命を救われたのだ。
 金色蝶の幼虫が皇后の庭にいて、女官が摘ままなければ、今回の奇跡も起こらなかっただろう。不思議な巡り合わせに感謝したい。
 にぎやかな一同を傍目に、呂丞相は微笑みながら髯を撫でた。
「いやはや、これにて落着。結蘭公主を指名した陛下の英断が解決しましたな。無能な丞相を演じるのも老体にはこたえましたぞ」