「戸塚ちゃん、かぁ。初めて近くで見たけど、すごくかわいくて綺麗な子だったね」
「まあ確かに、人形みたいな子だったな」
胡桃のがかわいいし、莉桜のが綺麗だと思うけど。とは言わないでおいた。
「拓実、好きなんだろうね」
「ああ、うん……って、え? 拓実が誰を?」
僕と胡桃はいつもの海沿いの道を、バス停に向かって歩いていた。あのあと出勤してきた店長が、胡桃を僕の彼女だと勘違いして大盛り上がり。休憩がてらバス停まで送っていけと、店長命令が出たわけである。ちなみに拓実はレジ番だ。
それにしても、胡桃は突然何を言い出すのか。いま僕らは戸塚ちゃんというかわいらしい後輩の話をしていたはずで、どうしてそこで拓実が誰かを好きだという話題になるのか。
話の脈絡が、見えてこない。
「拓実が……誰を好きだって?」
「戸塚ちゃんだよ」
いやいやいや、そんなまさか。確かに拓実の好きそうなふわふわした女の子で、声だってかわいかった。甘え上手な感じもしたし、さぞかしモテるだろう。
だけど拓実はつい先ほど、彼女に笑顔を向けたりはしなかったのだ。
「むしろ、苦手な感じに見えたけど」
「えー、なんで?」
「だってさ、拓実はあの子と目も合わせようとしなかったし」
拓実と戸塚ちゃんが並んでいるところを思い出し、僕はうーんと小さく唸った。確かに美男美女で、お似合いだと言えなくはない。
それでも僕にとって一番しっくりくる構図は、拓実の隣には莉桜がいるというものなのだ。恋愛どうこう関係なく、あのふたりが一緒にいることがなによりも自然に思える。
「まぁ、あんな場面に出くわしちゃったら、拓実があんな態度になるのもわかるけどね」
したり顔で頷く胡桃に、僕は首をかしげる。
「どういうこと? 僕の統計上、ああいう拓実の態度は、苦手な相手にするものなんだけど」
「葉は人の気持ちを汲み取るのがうまいけど、恋愛においてはかなり疎いよね」
「そんなことないって」
なんて、口では言ってみたものの、たしかに胡桃の言う通り。僕は恋愛経験がほとんどない。
人の気持ちというのは、恋愛が絡むだけでそこまで違うものになるのだろうか。
「それじゃあ、胡桃は恋愛の達人だって言うのかよ」
「少なくとも、葉よりは恋愛経験がある!」
堂々と胸を張る胡桃に、少しむっとしてしまう。
僕の知らない胡桃がいる──。
そんなことを思ってしまったのだ。
胡桃は腰に当てた両手をほどくと、それからふわりと髪の毛を耳にかけた。その仕草がたおやかで、僕の心はきゅうっと一度小さく音を立てる。
「今だって、片思いしている真っ最中だよ」
振り向いた彼女をまとう空気が、ほんのりと淡い桜色に見えたのは、僕の思い過ごしだろうか。
──恋をする。
それは僕にとって、未知の世界だ。だけど胡桃がこんなにも綺麗に見えるときがあるのは、彼女が恋をしているからなのだろうか。
「あ、バス来た」
街灯が照らすバス停に、青いバスが滑り込む。胡桃の片思いについて、色々と聞きたくなるのをぐっとこらえ、僕は口を開いた。
「店長の勘違いは、僕がしっかり解いておくから」
プァン、とバスのライトが僕らの姿を眩しく照らす。プシューッという空気の塊を吐き出して停車して扉が開くと、胡桃は車内へと上がり、それからこちらを振り向いた。
「べつに、そのままでも構わないけどね」
「……えっ?」
プシューッ。再び吐き出された音と共に、ふわりと彼女の姿が浮かぶ。そのままウインとバスの扉が閉まった。
窓の向こうに立った胡桃はいたずらが成功した子供のような表情を浮かべると、『ばいばい』と口だけパクパク動かした。
誰もいなくなったバス停で、僕がしばらく微動だにできずにいたのは、言うまでもないだろう。
──恋する女の子の思考回路は、本当によくわからない。