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「おぉ、本当に働いてる」
ぴろぴろぴろーん、ぴろーりーろーりー。
なんとも平和で単調なメロディに条件反射となった「いらっしゃーせー」を口にすれば、聞き慣れた声が楽しそうに転がった。
「わ、胡桃じゃん。びっくりしたー」
レジの小銭を補充している僕の姿に、くすくすと笑う彼女。どうやら真面目に働いている僕らを冷やかしにきたらしい。拓実はドリンクの補充をしに裏へ行ってしまっている。
時刻は午後七時。ここはどちらかと言えば学校の近くにあり、胡桃の家からはバスで十分ほどかかる場所だ。どうして、という僕の気持ちを汲み取ったのだろう。彼女は「おばあちゃんの薬をもらいに来たの」と小さなビニール袋を持ち上げてみせた。
「薬って、ここの裏の病院?」
僕が親指で背後を指すと、彼女は「うん」と頷く。狭間病院という名のそこは、この街では一番の大きな総合病院だ。胡桃はおばあちゃんと暮らしていると言っていたから、そのおつかいごとを頼まれたのだろう。
「なんか不思議な感じ。ちゃんと店員さんに見える」
「当たり前だろ。店員なんだから」
バイト先に胡桃が来るのは初めてのことで、僕はなんとなくそわそわと落ち着かない気分になってしまう。普段はいない僕の生活区域に、彼女がいる。いつもとは違う自分を見られている。
それはなんだか少しむず痒く、だけど不快なんかじゃない。自然と背筋が伸びてしまって、必要のない札数えなんかもしたりして。
「……ってなんだよ、見てないじゃん」
仕事ができる僕、を見せたかったのに。
当の胡桃はレジ前のスイーツの棚を見て、ウンウンと頭を捻っている。どうやら、牛乳プリンにするか、シュークリームにしているか悩んでいるみたいだ。
「両方にしなよ。牛乳プリンは、僕が払う」
「え、なんで?」
「給料日だから」
本当はただ買ってあげたくなったからなんだけど、そんなこと口に出せない。
「悪いよ、大丈夫」
「いいのか? その牛乳ぷりん、めちゃくちゃレアな限定味で、全国でこのコンビニにしかもう残ってないんだから」
ぴろぴろぴろーん、ぴろーりーろーりー。
来客を知らせるメロディに会話を打ち切る。お客さんが来てくれてよかった。僕というやつは、適当な嘘をついてまで胡桃に牛乳プリンを買ってあげたかったらしい。
「あれ」
開いた自動ドアからは、同じ年齢くらいの男女が並んで入ってきた。その女の子にどこか見覚えがあり、僕は数秒、その横顔を眺めてしまう。
「あの子、見たことある」
僕の視線を辿った胡桃もそう言う。ふわふわと揺れる長い髪の毛に、真っ白な肌。大きな瞳とピンクの唇。儚くて可憐な印象をまとったその子を、僕はどこで見たのだったか。
「確かひとつ下の女の子。去年の入学式ですごくかわいい子が入ってきたって、噂になってた子だと思う。名前……なんだったかなぁ」
「──戸塚真帆」
ふいに明らかになった名前に右を向くと、品出しを終えた拓実がすぐそばに立っていた。胡桃に向かて「よっ」と片手を挙げた拓実は、そのままレジカウンターの中へと入ってくる。
そうか、拓実が学校で話していた女の子だ。私服姿で、すぐにはわからなかったのだ。
僕はもう一度、背の高い男と楽しそうに会話をしながらお菓子の棚を見ている彼女に目をやった。一緒にいるのは彼氏だろうか。
「彼氏、あの子のことが大好き!って感じだね。顔がゆるゆるだもん」
微笑ましく見守る胡桃とは対照的に、拓実の表情はなんの感情も表してはいなかった。ただただ瞳に、その姿を映しているだけのように見える。
ぐるりとコンビニ内を一周したふたりは、お菓子やドリンクを手にこちらへとやって来た。そこで彼女は、レジカウンター内の拓実の姿に気づいたのだ。
「あっ、拓実先輩じゃないですかぁ! ここでバイトしてたんですねっ」
綿菓子のような甘い声。彼女は笑顔を咲かせながら小走りにカウンター前へ駆け寄る。それからきょとんとしている彼氏に向かって「学校の先輩なの」と振り返った。
「デート? 楽しそうでいいね」
にこやかに彼女の手からお菓子を受け取り、スキャンしていく拓実。しかし、その目が彼女の笑顔にまっすぐに向けられることはない。
『女の子と接するときにはアイコンタクト必須』を信条とする拓実が、こんなにかわいい女の子を前に視線を上げないのだ。
「拓実先輩がいるとき、また買いにきますね」
語尾でハートマークでも踊りそうな話し方をする彼女を前に、拓実はやはり薄ら笑いを浮かべるだけで顔を上げない。それから「千十五円でーす」と、やたらと軽い口調で金額を伝えたのだった。