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 三月と言えども、日が昇る前はまだ冷える。腕時計にちらりと目をやった僕は、身震いをしてから一度だけ踵を上下させた。この震えは寒さだけが原因ではないかもしれない。武者震い、というやつだ。その証拠に、全然体は寒くないのだから。いや、寒くないのは僕が今両手で抱えているこの大きなくまのぬいぐるみのせいだろうか。

「今は、四時五十分か」

 拓実との約束まではあと十分ある。莉桜からは昨晩、『潜入成功』とメッセージが入っていた。

 僕たちの計画はこうだ。午前五時、拓実と僕は救急外来の出入り口から病院内へと侵入する。看護師による夜間の見回りは、二時、四時、六時と二時間おき。問題は、最後の六時の見回りだ。予定通りにいけば、その時間に胡桃は僕らと病院の外にいるわけなので、騒ぎにならないように代役をたてる必要がある。幸いなことに胡桃の病室は個室のため、色々と細工はしやすいだろう。

 代役は僕が抱えているこのクマ。鈴のものを拝借してきた。それともうひとつ。拓実が持ってくることになっている、美容師さんが練習で使う髪の毛のついた頭だ。このふたつをうまいこと組み合わせて布団をかぶせれば、一度の見回りくらいは誤魔化すことができるだろうというのが僕たちの算段だ。
 あとは四人で病院を抜け出し、自転車で海まで向かう。シンプルな計画だ。

「悪ぃ、遅くなっ……」

 パタパタという足音のあとに響いた拓実の言葉は途切れ、ぶはっ!という吹き出す音に変わる。僕はむすっとしたまま、じろりと拓実を横目で見る。
 わかってる。わかってるよ。男子高校生がどでかいクマのぬいぐるみを抱いている姿がどれだけ滑稽かなんてことくらい。だけど仕方ないじゃないか。これだけのボリュームじゃ、どんな鞄にも入らなかったのだから。ちなみに夜中にこっそりと鈴の寝室から持ってきたから、起きたら大泣きするかもしれない。
 今夜はチョコレートを買って帰ろう。

「そんでそっちは? 頭、用意できたんだろうな?」

 僕が問えば、拓実はびしっと親指を立てた。

「太陽くんに事情話したら、すぐにバイクで持ってきてくれた。とりあえず二個入ってる」

 その親指を背後のやたらと膨らんだリュックに向けた。いや二個もいらないだろ、頭だぞ?

 太陽くん、というのは拓実の従兄弟だ。僕も何度か会ったことがある。とてつもないイケメンの美容師見習いで、少し離れた町の美容室で働いている。僕も大学生になったら太陽くんに髪の毛を切ってもらおうと思っている。

「自転車、空気入れてきた?」
「もちろん」

 普段、僕らは自転車を使わない。学校までもバイト先までも徒歩で十分行ける距離だし、みんなでダラダラと歩く放課後が好きだったから。だけど今日に限っては、僕らが選択できる移動方法の中で最速のスピードを誇る自転車を使うことを決めていた。

 カチッ。腕時計のデジタル表示が5:00を示す。目を合わせた僕たちは、救急外来へと一歩踏み出したのだった。