地球温暖化という教科書の中の言葉が、やたらと現実味を持って体を火照らす。
「あぢぃ~」
バイト先の狭い更衣室で、僕は汗だくになりながらコンビニの制服を羽織る。何が悲しくてこんな至近距離で拓実と着替えなければならないのか。
時折腕がぶつかったりして「うへぇ」とべたつく肌に辟易しながらも、僕らは時間通りにタイムカードを切った。
「それにしても、戸塚ちゃんのどこがそんなに……いや、なんでもない」
揚げ物の準備を進める僕と、たばこの補充をする拓実。
コンビニの仕事は色々あるけれど、僕はこのホットスナックを作るのが好きだ。料理なんて普段しない僕でも、お客さんがうまいって言ってくれるものを作れるという充実感みたいなものがあるから。僕がこんなうまいものを作った!みたいな。
「シフト被るの、久しぶりだよな」
「毎日図書室で顔合わせてるじゃん。夏休みだってのにさ」
拓実のカミングアウトから、僕たちは『拓実応援団』を結成した。具体的な活動としては、戸塚ちゃんの好みの男性をリサーチしたり、さりげなく拓実の良いところをアピールしたり、拓実の叱咤激励などだ。
「しかし戸塚ちゃん、意外だよな」
「なにが」
「あんな感じなのに、部活に熱心なのが。週に三日くらいは、学校に来てるじゃん」
「絵を描くのが、本当に好きなんだろ」
戸塚ちゃんの家はこのあたりなのか、彼女はひとりでもコンビニへやって来たり、部活動に来ていたところ顔を合わせたりと、夏休み中にも関わらず会う機会は多かった。
しかしながら女の子と接するのがうまい拓実が、どうにもこうにも戸塚ちゃん相手には本領が発揮できないのである。というよりは、発揮する気がないという方が正しいかもしれない。
「ちなみに、戸塚ちゃんのどこが好きなの?」
かわいらしくて人形のような容姿の戸塚ちゃんは、夏休みを残り少しにした今でも、相変わらず不特定多数の恋人立候補者たちと過ごしている。
この間は大学生らしき男が車で校門まで迎えに来ていたので、守備範囲の広さには年齢も含まれていることが判明したところだ。
それがわかっていても、拓実はやっぱり彼女のことが好きだと言う。
「……あの子の描く絵がさ、すげー綺麗なの」
たばこの銘柄をひとつずつ確認しながら、拓実はぽつりと呟く。
「すげー綺麗な海の絵なのに、あの子、泣きながら描いてた。だけど、めそめそと泣いているんじゃないんだ。鋭い眼差しでキャンバスをまっすぐに見つめながら、涙を流してた」
美術部の戸塚ちゃんは、確かなにかの賞をもらっていた。拓実は普段見かける戸塚ちゃんではなく、そちらの姿が本物だと感じたのだろう。
「僕には、戸塚ちゃんがあんな風に過ごしている理由はわからないけどさ。それでも本当に、心の底から、拓実の恋がうまくいけばいいと願ってるよ」
傷ついたっていいし、ボロボロになってもいい。そのときには僕たちがいるんだから。
「とりあえず、戸塚ちゃん以外の女の子と遊ぶのは、もうやめた方がいいと思う。戸塚ちゃんに本気だってことを見せないと! ちなみに莉桜と胡桃は別だからな」
最後の例外も、忘れちゃいけない。
明るい髪の毛をクシャクシャと混ぜた拓実はひとつ息を吐き出すと、ポケットからスマホを取り出した。
「連絡先とか全部消したら、本気だって信じてもらえんのかな……」
「その大きな一歩には、なると思う」
珍しく弱気な拓実の発言に、申し訳ないと思いつつ、内心嬉しくなってしまう。だってさ、こんな表情も見れるのは親友だけの特権だから。それくらいの仲に、なれてるってことだから。
「石倉くーん、フライのあと、花火の品出ししといてくれるー?」
奥の事務所から店長が顔を出す。この季節では、手持ち花火もコンビニの人気商品だ。
「了解っす!」
返事をしながらフライドチキンのビニール袋をびりりと開ける。カチコチに冷凍されたチキンが、この油の中でみるみるうちにジューシーな逸品に仕上がるのだから不思議なものだ。しかも誰が作っても、温度さえ間違えなければ同じように作ることができる。
「戸塚ちゃんと、花火でもやってみたら?」
ジュワッ。この音が気持ちいい。
「花火なんて子供っぽいとか、思われるかもしれないじゃん」
一度油に入れたら、あとはフライヤーが自動で上がってくるのを待つだけ。
「……じゃあ、夏祭りに誘うとか」
なるべく声に表情がにじまぬよう、意識を油へと集中させる。
本当は、夏祭りは四人で行きたかった。だけど、拓実には想いを実らせてほしい。卒業すれば、戸塚ちゃんとだって毎日のように会えなくなるんだ。
「夏祭り、か」
一度目の夏、僕にとって四人で訪れる夏祭りは、なによりも大事だった。恋人を優先させた拓実に対し、勝手に失望した。だけど今の僕にとっての大事なことは、みんなの幸せだ。拓実がいなくても、僕は胡桃と莉桜と夏祭りを楽しむことがきっとできる。そして、胡桃を守ることもできるはずだ。
「いや、いい。夏祭りは、お前らと行く」
「いいって、僕たちに気を使わなくて。高校最後の夏祭りなんだから」
ジュワジュワという音とチキンのいい香りが漂い始めると、拓実がトレイを僕に手渡す。
「だからだよ」
だから、の意味が分からずに顔を上げれば、拓実は「ばーか」と少し耳を赤くしながら悪態をつく。
「俺だって、高校最後の夏祭りは四人で行きたいんだよ」
たまにしか本心を見せてくれない拓実。特にこうして言葉にしてくれたのは、前回に次いで二度目のことだ。
「拓実……」
「うるせ、こっち見るなって」
「耳、赤い」
「葉の油が跳ねたんだよ」
「拓実~! わが友よ!」
どたばたとふざけていると、「仕事しろ~!」と店長の声が扉の向こうから響き、僕らは顔を見合わせた。それから顔をそらして互いに笑った。
思い込みの強い僕だけど、拓実も僕らと過ごす時間を大事に思っているということは、思い込みではなかったみたいだ。
「あぢぃ~」
バイト先の狭い更衣室で、僕は汗だくになりながらコンビニの制服を羽織る。何が悲しくてこんな至近距離で拓実と着替えなければならないのか。
時折腕がぶつかったりして「うへぇ」とべたつく肌に辟易しながらも、僕らは時間通りにタイムカードを切った。
「それにしても、戸塚ちゃんのどこがそんなに……いや、なんでもない」
揚げ物の準備を進める僕と、たばこの補充をする拓実。
コンビニの仕事は色々あるけれど、僕はこのホットスナックを作るのが好きだ。料理なんて普段しない僕でも、お客さんがうまいって言ってくれるものを作れるという充実感みたいなものがあるから。僕がこんなうまいものを作った!みたいな。
「シフト被るの、久しぶりだよな」
「毎日図書室で顔合わせてるじゃん。夏休みだってのにさ」
拓実のカミングアウトから、僕たちは『拓実応援団』を結成した。具体的な活動としては、戸塚ちゃんの好みの男性をリサーチしたり、さりげなく拓実の良いところをアピールしたり、拓実の叱咤激励などだ。
「しかし戸塚ちゃん、意外だよな」
「なにが」
「あんな感じなのに、部活に熱心なのが。週に三日くらいは、学校に来てるじゃん」
「絵を描くのが、本当に好きなんだろ」
戸塚ちゃんの家はこのあたりなのか、彼女はひとりでもコンビニへやって来たり、部活動に来ていたところ顔を合わせたりと、夏休み中にも関わらず会う機会は多かった。
しかしながら女の子と接するのがうまい拓実が、どうにもこうにも戸塚ちゃん相手には本領が発揮できないのである。というよりは、発揮する気がないという方が正しいかもしれない。
「ちなみに、戸塚ちゃんのどこが好きなの?」
かわいらしくて人形のような容姿の戸塚ちゃんは、夏休みを残り少しにした今でも、相変わらず不特定多数の恋人立候補者たちと過ごしている。
この間は大学生らしき男が車で校門まで迎えに来ていたので、守備範囲の広さには年齢も含まれていることが判明したところだ。
それがわかっていても、拓実はやっぱり彼女のことが好きだと言う。
「……あの子の描く絵がさ、すげー綺麗なの」
たばこの銘柄をひとつずつ確認しながら、拓実はぽつりと呟く。
「すげー綺麗な海の絵なのに、あの子、泣きながら描いてた。だけど、めそめそと泣いているんじゃないんだ。鋭い眼差しでキャンバスをまっすぐに見つめながら、涙を流してた」
美術部の戸塚ちゃんは、確かなにかの賞をもらっていた。拓実は普段見かける戸塚ちゃんではなく、そちらの姿が本物だと感じたのだろう。
「僕には、戸塚ちゃんがあんな風に過ごしている理由はわからないけどさ。それでも本当に、心の底から、拓実の恋がうまくいけばいいと願ってるよ」
傷ついたっていいし、ボロボロになってもいい。そのときには僕たちがいるんだから。
「とりあえず、戸塚ちゃん以外の女の子と遊ぶのは、もうやめた方がいいと思う。戸塚ちゃんに本気だってことを見せないと! ちなみに莉桜と胡桃は別だからな」
最後の例外も、忘れちゃいけない。
明るい髪の毛をクシャクシャと混ぜた拓実はひとつ息を吐き出すと、ポケットからスマホを取り出した。
「連絡先とか全部消したら、本気だって信じてもらえんのかな……」
「その大きな一歩には、なると思う」
珍しく弱気な拓実の発言に、申し訳ないと思いつつ、内心嬉しくなってしまう。だってさ、こんな表情も見れるのは親友だけの特権だから。それくらいの仲に、なれてるってことだから。
「石倉くーん、フライのあと、花火の品出ししといてくれるー?」
奥の事務所から店長が顔を出す。この季節では、手持ち花火もコンビニの人気商品だ。
「了解っす!」
返事をしながらフライドチキンのビニール袋をびりりと開ける。カチコチに冷凍されたチキンが、この油の中でみるみるうちにジューシーな逸品に仕上がるのだから不思議なものだ。しかも誰が作っても、温度さえ間違えなければ同じように作ることができる。
「戸塚ちゃんと、花火でもやってみたら?」
ジュワッ。この音が気持ちいい。
「花火なんて子供っぽいとか、思われるかもしれないじゃん」
一度油に入れたら、あとはフライヤーが自動で上がってくるのを待つだけ。
「……じゃあ、夏祭りに誘うとか」
なるべく声に表情がにじまぬよう、意識を油へと集中させる。
本当は、夏祭りは四人で行きたかった。だけど、拓実には想いを実らせてほしい。卒業すれば、戸塚ちゃんとだって毎日のように会えなくなるんだ。
「夏祭り、か」
一度目の夏、僕にとって四人で訪れる夏祭りは、なによりも大事だった。恋人を優先させた拓実に対し、勝手に失望した。だけど今の僕にとっての大事なことは、みんなの幸せだ。拓実がいなくても、僕は胡桃と莉桜と夏祭りを楽しむことがきっとできる。そして、胡桃を守ることもできるはずだ。
「いや、いい。夏祭りは、お前らと行く」
「いいって、僕たちに気を使わなくて。高校最後の夏祭りなんだから」
ジュワジュワという音とチキンのいい香りが漂い始めると、拓実がトレイを僕に手渡す。
「だからだよ」
だから、の意味が分からずに顔を上げれば、拓実は「ばーか」と少し耳を赤くしながら悪態をつく。
「俺だって、高校最後の夏祭りは四人で行きたいんだよ」
たまにしか本心を見せてくれない拓実。特にこうして言葉にしてくれたのは、前回に次いで二度目のことだ。
「拓実……」
「うるせ、こっち見るなって」
「耳、赤い」
「葉の油が跳ねたんだよ」
「拓実~! わが友よ!」
どたばたとふざけていると、「仕事しろ~!」と店長の声が扉の向こうから響き、僕らは顔を見合わせた。それから顔をそらして互いに笑った。
思い込みの強い僕だけど、拓実も僕らと過ごす時間を大事に思っているということは、思い込みではなかったみたいだ。