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 拓実が戸塚ちゃんと付き合い始めてから、僕らの日常は驚くほどに変化した。

 拓実が教室にいるのは授業中のみになり、自由に動ける時間帯になると、廊下まで来ていた戸塚ちゃんとずっと話している。
 放課後だってふたりにとっては大事なデートの時間。おのずと拓実抜きの三人で過ごす時間が増えていき、高校最後の夏休みはそのまま幕を開けることとなった。

「いよいよ夏休みかぁ。本当早いなぁ」
「ねえ莉桜、アイス食べて帰ろうよ! アイス!」

 終業式を終えた僕らは、三人並んでいつもの海沿いの道を歩いていた。拓実はもちろん、ここにはいない。なんでも戸塚ちゃんの誕生日らしく、今日は奮発して戸塚ちゃんの行きたかったお店で、巨大なパフェを食べるとのこと。

 あれほどいろいろな女の子と遊んでいた拓実が、今ではすっかり落ち着いてしまっていた。それどころか戸塚ちゃんの言いなり状態になっていた。

「葉、大丈夫? 元気ない?」

 胡桃が僕の顔を覗き込む。それに対し、僕が「なんでもない」と笑顔を作るというのがここ最近の流れだ。

 あの翌日、莉桜はやたらとすっきりとした表情で僕たちに「昨日はごめん!」と謝罪した。それからは今までと変わらない様子で過ごしているように見えた。ところが拓実の不在は、想像以上に僕自身にもダメージを与えていたのだ。

「拓実がいないのが、そんなに寂しい? 胡桃とわたしという、両手に花状態だっていうのに?」

 莉桜はおどけるように首をすくめるも、その冗談に、乾いた笑いを返すことしかできない。

 僕たちはいつだって四人だった。その絶妙なバランスは、たったひとりが欠けただけで大きく揺れてしまっていて、崩れないようどうにか保っているのがやっとといった状態だった。少なくとも僕の中では。

「もう少ししたら、慣れてくるよ」

 胡桃の慰めにも、「三人という状況に慣れてたまるか」と反発したくなってしまう有様だ。そういうつもりじゃないことくらい、わかっているのに。

 それになにより、莉桜のことがとても気がかりだった。あの日に見せた翳りの表情と、言葉たち。不自然なほどに吹っ切れたような最近の様子。もしかしたら無理をしているのではないかと、気になって仕方がないのだ。

「莉桜さ、僕らに話したいこととかない?」
「なに、突然」

 帰り道、眉をひそめた莉桜は「宝くじで一億円当てたいとか?」なんて、らしくもないことをまた口にした。最近はいつもそうだ。莉桜らしくない言動がやたらと目立つ。それが本心を隠すためのものに思えてしまうのだ。

「本当は、拓実がいなくて寂しいって思ってるとか……」

 僕の言葉に、莉桜はお腹を抱えて笑い出した。不自然なくらい、明るく。

「もう、何を言い出すかと思えば。そんなこと、思ってないよ。拓実はいま幸せなんだし、それでいいじゃん。わたしたちだって、三人でも楽しいし」
「だけどこの間、素直におめでとうって言えないって」
「ああ、それはなんか、感傷に浸っちゃったっていうか。そばにいるのが当たり前だったから、不思議な感じがしちゃっただけ」

 なんでだろう。なんでなんだろう。どうしても莉桜の笑顔が、言葉のすべてが、嘘のように感じてしまう。

 莉桜は僕にとっても、大事な仲間だ。拓実が幸せなのは喜ばしいことだけど、だからといって莉桜が自分の想いを封印しようと苦しんでいるのならば、それを見過ごすことはできない。
 少なくとも、僕や胡桃には本音を見せたって大丈夫だと知ってほしい。

「……葉、莉桜が違うって言ってるんだから」

 途中、胡桃が間に入ったけれど、僕は背の低い胡桃を追い越して、まっすぐに莉桜を見つめた。やだなーと笑う莉桜だったが、僕の視線を一度受け止めると、ふいっと顔を背けた。

「……見透かすような目で、見ないで」

 拒むような、懇願するような声。

 あとすこし。あとすこしで、莉桜が押し込めようとしていた本音を話してくれる。自分に素直になるところまで、あとすこし。

「莉桜、僕たちには本心を話したっていいんだよ」
「……本心? そんなの、わかんないよ」
「拓実がいなくて寂しいって、認めていいんだ。本当は拓実のこと──」
「好きなんかじゃないっ──!」

 莉桜が声を荒げた瞬間、かちゃり、とすぐ後ろで音がした。ゆっくりと振り返ると、そこには手を繋いだ拓実と戸塚ちゃんの姿があった。
 戸塚ちゃんのこげ茶色のローファーの踵が、じゃりっと砂と擦れて鳴く。

「……戸塚、ごめん。本当に違うから、気にしないで」

 迫りくる感情の波に耐えるようにした莉桜は、戸塚ちゃんに向かってその言葉だけを残すと、体の向きを変えて走り出した。その背中を追いかけようと一歩踏み出した拓実の手を、戸塚ちゃんが強く握る。それからふたりは、莉桜とは逆方向へと歩いていった。
 時折振り返る拓実の腕を、戸塚ちゃんが引きながら。

「……葉」

 残された胡桃が、そっと僕の名前を呼んだ。小さく息を吸い込んだ僕は、はは、と乾いた笑いを空へと投げる。

「大きなお世話、ってやつだったかな」

 自嘲気味に言葉にしてみるも、心の中はどす黒い雨雲に覆われていくばかり。

 拓実だって莉桜だって、僕にとっては本当に大事な存在で。だからあのふたりが付き合うことにはならなくても、それぞれの気持ちを大事にしてほしかった。かけがえのない気持ちを押し殺すようなことを、してほしくなかった。

「胡桃は前に、僕がみんなのことをよく見て、色々考えているって言ってくれたよな。だけど本当の僕は、なにも見えてなかった」

 仲間だから、とか、大事だから、とか。そういうことに、僕は自惚れていたのだろう。

『僕たちだから、何を言っても大丈夫』
『僕たちだから、きっと本音を聞かせてくれる』
『僕たちだから、ちゃんと分かり合えるはず』

 〝僕たちだから〟という言葉に、僕はずっと甘えてきた。だからこそ気付かなかった。誰にでも、見られたくない想いだってあるのだということを。

「本当、どうしようもないな……」

 ぐしゃりと前髪を握りしめると、どこからか雨の匂いがした。もしかすると、一降りするのかもしれない。

 胡桃の前で、僕はもう自分を繕える気がしなかった。だからそのまま、心に浮かんだ言葉を口にしてしまったのだ。なにかを言おうと口を開いた胡桃の言葉を、遮って。

「やっぱり僕には、本音での人付き合いなんて無理だったんだよ。最初から出会わなければよかったんだ。拓実にも莉桜にも、──胡桃にもさ」

 僕の言葉に唇をぎゅっと噛んだ胡桃は、くるりと背を向けると走り出した。莉桜のことを追いかけて行ったのだろう。

 小さな商店の軒先で、古びた風鈴がチリンと揺れる。それはまるで、僕たちの関係が崩れ落ちていく合図のように、僕には聞こえた。