「はぁ~。『僕の目はどうして赤いの?』とか悠に聞かれたら、なんて答えよう……。『ママはこの目が大好きだよ』で、いいのかなぁ」
会社へ向かう車に乗り込んで独りごちていると、ハンドルを握った柊夜さんがさらりと返す。
「悠は俺と違って、目の奥だけが赤い。瞳を覗き込まないとわからないくらいだから、日常生活に支障はないだろう」
柊夜さんは外出時は、黒目に見える特殊加工の眼鏡をかけている。裸眼は真紅の瞳なので、初めて見たときは驚いたものだ。
「そういう問題じゃないですよ。ほかの子と違うということに、悠が疎外感を覚えたらどうしようと心配してるんです」
「まさに昔の俺だな。だが、夜叉を継ぐ者という自負でどうにかなるから心配ない」
「それは柊夜さんがそうだっただけで、悠は違う性格かもしれないじゃないですか。というか違う人間なんだから、性格も同じわけないですよね」
「まあ……それを望む」
ぽつりとこぼした柊夜さんは、言葉を切った。
柊夜さんは私からの愛情はしつこく要求するのに、悠の将来については楽観的だ。それとも、あまり真剣に考えていないのだろうか。私にとって、これから悠が健やかに成長してくれることはとても大事な課題なのに。
もっとも、今から頭を悩ませてもどうにもならないかもしれないけれど。
「仕事に復帰したら、心配事がまたひとつ増えるかもしれないぞ」
その言葉に、はっとする。
今日から職場に復帰なのだ。家庭も大切だけれど、それを維持するための仕事も大事だ。また鬼上司のしつこい説明やら容赦ないリテイクを食らう日々がやってくる。
「復帰前に何度か会社には顔を出していますから、大丈夫です。柊夜さんもサポートしてくれる……ことは期待せずに、鬼上司の本領が発揮されるのを待ち受けたいと思います」
「まあ、そうだな」
曖昧に濁されたが、柊夜さんの言う“心配事”とは、なんだろう。
しばらくは時短勤務にしてもらうものの、周りに迷惑をかけないよう業務に励む心構えをしている。
ややあって車は、大手の広告代理店である『吉報パートナーズ』に到着した。柊夜さんは企画営業部の課長であり、私はその部下だ。
一応社内恋愛の末に結婚という形になっているが、会社での柊夜さんが私を甘やかすわけなどなく、冷徹な鬼上司であることは承知している。
ふたりでビルの十二階にあるフロアへ赴くと、すでに柊夜さんの体から冷たいオーラが発せられているのを肌で感じた。
この鬼上司は家では『愛していると言え』と、しつこいんですよね。その秘密は私の胸のうちにしまっておこう。
「おはよう」
「あ……お、おはようございます、鬼山課長……」
柊夜さんが挨拶すると、なぜか女性社員たちはうわの空の返事だった。
みんなはそわそわしており、落ち着かない様子だ。どうしたのだろう。対して男性社員は平淡な態度である。
自分のデスクに着いた私は、となりの本田さんに挨拶した。
「おはようございます、本田さん。今日からまたよろしくお願いします」
華やかな美人の本田さんは、私にいろいろと仕事を教えてくれた先輩だ。柊夜さんに告白してフラれたという過去がある彼女だが、さらなるハイスペックな男性を落とすべく精進しているのだそう。
だけどあまりにもクオリティの高いイケメンは正体が鬼神だったりするので、気をつけたほうがいいかもしれない。
エクステの睫毛を瞬かせた本田さんは、焦ったように手をさまよわせた。
「ちょっと星野さん、大変よ!」
「どうかしましたか? みなさん、そわそわしてるみたいですけど……」
職場では旧姓で通すことにしているので、ここでは星野と呼ばれる。
先週、悠を連れて職場を訪れたときには、みなさん温かく迎えてくれた。私が復帰するのは部署内の全員が承知しているので、今さら戸惑うようなことでもないはず。
本田さんの説明を聞く前に朝礼の時間となり、私たちは席を立った。
課長の柊夜さんを囲むように社員たちは集まり、新たなプロジェクトの話がされる。
だが、やはり女性たちは心ここにあらずといった体で視線をさまよわせていた。
「――というわけで、新規のプロジェクトを開始するにあたり、本日より復帰した星野さんにも協力してもらいます。みなさんご存じの通り、彼女は私の妻です。今後もお互いを支え合いながら家庭と仕事を両立させていくことを目指しています。星野さん、ひとこと挨拶をどうぞ」
柊夜さんに紹介され、進みでた私は彼のとなりに並ぶ。
ここで挨拶を述べるのは、結婚と妊娠の報告以来だ。久しぶりのせいか緊張してしまう。
「おかげさまで育休から復帰しました。時短勤務になりますが、みなさんにご迷惑をおかけしないようがんばります。あ、出産したら別れるだとか言ったことは撤回しますね」
あはは、と笑いが起こる。男性社員の間からのみ。
咳払いをこぼした柊夜さんが、朝礼を締めくくるかと思われたが。
「それでは、もうひとりの方をご紹介しましょう。――神宮寺さん、こちらへ」
その台詞に、女性社員たちはいっせいに色めき立つ。
柊夜さんから呼ばれた男性は長い足を繰りだし、颯爽と姿を現した。
会社へ向かう車に乗り込んで独りごちていると、ハンドルを握った柊夜さんがさらりと返す。
「悠は俺と違って、目の奥だけが赤い。瞳を覗き込まないとわからないくらいだから、日常生活に支障はないだろう」
柊夜さんは外出時は、黒目に見える特殊加工の眼鏡をかけている。裸眼は真紅の瞳なので、初めて見たときは驚いたものだ。
「そういう問題じゃないですよ。ほかの子と違うということに、悠が疎外感を覚えたらどうしようと心配してるんです」
「まさに昔の俺だな。だが、夜叉を継ぐ者という自負でどうにかなるから心配ない」
「それは柊夜さんがそうだっただけで、悠は違う性格かもしれないじゃないですか。というか違う人間なんだから、性格も同じわけないですよね」
「まあ……それを望む」
ぽつりとこぼした柊夜さんは、言葉を切った。
柊夜さんは私からの愛情はしつこく要求するのに、悠の将来については楽観的だ。それとも、あまり真剣に考えていないのだろうか。私にとって、これから悠が健やかに成長してくれることはとても大事な課題なのに。
もっとも、今から頭を悩ませてもどうにもならないかもしれないけれど。
「仕事に復帰したら、心配事がまたひとつ増えるかもしれないぞ」
その言葉に、はっとする。
今日から職場に復帰なのだ。家庭も大切だけれど、それを維持するための仕事も大事だ。また鬼上司のしつこい説明やら容赦ないリテイクを食らう日々がやってくる。
「復帰前に何度か会社には顔を出していますから、大丈夫です。柊夜さんもサポートしてくれる……ことは期待せずに、鬼上司の本領が発揮されるのを待ち受けたいと思います」
「まあ、そうだな」
曖昧に濁されたが、柊夜さんの言う“心配事”とは、なんだろう。
しばらくは時短勤務にしてもらうものの、周りに迷惑をかけないよう業務に励む心構えをしている。
ややあって車は、大手の広告代理店である『吉報パートナーズ』に到着した。柊夜さんは企画営業部の課長であり、私はその部下だ。
一応社内恋愛の末に結婚という形になっているが、会社での柊夜さんが私を甘やかすわけなどなく、冷徹な鬼上司であることは承知している。
ふたりでビルの十二階にあるフロアへ赴くと、すでに柊夜さんの体から冷たいオーラが発せられているのを肌で感じた。
この鬼上司は家では『愛していると言え』と、しつこいんですよね。その秘密は私の胸のうちにしまっておこう。
「おはよう」
「あ……お、おはようございます、鬼山課長……」
柊夜さんが挨拶すると、なぜか女性社員たちはうわの空の返事だった。
みんなはそわそわしており、落ち着かない様子だ。どうしたのだろう。対して男性社員は平淡な態度である。
自分のデスクに着いた私は、となりの本田さんに挨拶した。
「おはようございます、本田さん。今日からまたよろしくお願いします」
華やかな美人の本田さんは、私にいろいろと仕事を教えてくれた先輩だ。柊夜さんに告白してフラれたという過去がある彼女だが、さらなるハイスペックな男性を落とすべく精進しているのだそう。
だけどあまりにもクオリティの高いイケメンは正体が鬼神だったりするので、気をつけたほうがいいかもしれない。
エクステの睫毛を瞬かせた本田さんは、焦ったように手をさまよわせた。
「ちょっと星野さん、大変よ!」
「どうかしましたか? みなさん、そわそわしてるみたいですけど……」
職場では旧姓で通すことにしているので、ここでは星野と呼ばれる。
先週、悠を連れて職場を訪れたときには、みなさん温かく迎えてくれた。私が復帰するのは部署内の全員が承知しているので、今さら戸惑うようなことでもないはず。
本田さんの説明を聞く前に朝礼の時間となり、私たちは席を立った。
課長の柊夜さんを囲むように社員たちは集まり、新たなプロジェクトの話がされる。
だが、やはり女性たちは心ここにあらずといった体で視線をさまよわせていた。
「――というわけで、新規のプロジェクトを開始するにあたり、本日より復帰した星野さんにも協力してもらいます。みなさんご存じの通り、彼女は私の妻です。今後もお互いを支え合いながら家庭と仕事を両立させていくことを目指しています。星野さん、ひとこと挨拶をどうぞ」
柊夜さんに紹介され、進みでた私は彼のとなりに並ぶ。
ここで挨拶を述べるのは、結婚と妊娠の報告以来だ。久しぶりのせいか緊張してしまう。
「おかげさまで育休から復帰しました。時短勤務になりますが、みなさんにご迷惑をおかけしないようがんばります。あ、出産したら別れるだとか言ったことは撤回しますね」
あはは、と笑いが起こる。男性社員の間からのみ。
咳払いをこぼした柊夜さんが、朝礼を締めくくるかと思われたが。
「それでは、もうひとりの方をご紹介しましょう。――神宮寺さん、こちらへ」
その台詞に、女性社員たちはいっせいに色めき立つ。
柊夜さんから呼ばれた男性は長い足を繰りだし、颯爽と姿を現した。