そのとき、すらりと障子が開かれた。
控室に入ってきた柊夜さんは黒五つ紋付き羽織袴を纏っている。神前式での新郎の正装だ。
漆黒の羽織が柊夜さんの体躯によく似合っている。格好よくて、惚れ直しそう。
頬を染めた私がうつむくと、純白の綿帽子がふわりとベールのように柔らかく揺れる。
柊夜さんの後ろから、ひょいと顔を出した悠も、袴風のロンパースを着用していた。
私の白無垢姿を目にした柊夜さんは、とろけるような笑みを浮かべた。
「ママは綺麗だ。そうだろう、悠」
「まま」
おめかしをした悠は笑顔を見せる。いつもと違う服装の私でも、母親だとわかったようだ。
悠は一歳半になり、ほんの少し言葉を話せるようになってきた。妊娠四か月に入ったお腹の子も、順調に育っている。
「柊夜さん。どうして、この恰好をするんですか? まるで結婚式をするみたいですけど……」
「その通りだ。今日は俺たちの結婚式だよ」
びっくりして目を見開く。
夜叉の居城では豪華な着物を着せてもらった。あれが結婚式の代わりだと思っていたので、まさか本物の挙式ができるとは予想していなかった。
「俺たちは結婚式を挙げず、俺はきみに指輪すらあげなかった。それでは大切な妻に愛想を尽かされてしまうからね。今さらですまないが、初めからやり直させてくれないか」
「それって、もしかして……私が結婚式に憧れていると言ったからですか?」
「もちろんだ。順序通りに、交際から始めよう。星野あかりさん。俺と、付き合ってほしい」
「……柊夜さんったら、もう……」
すっと、私の胸の前にてのひらを差しだした柊夜さんは優しく微笑む。
柊夜さんとケンカをしたとき、私たちが妊娠から始まり、結婚式を挙げていないことがコンプレックスになっていると私は漏らした。
そのことを柊夜さんは覚えていてくれたのだ。
私の思いを受け止めてくれる彼のお嫁さんになりたいという願いが、胸のうちから湧いてくる。
もう結婚しているのに、子どももいるのに、それでも何度でも、彼と結ばれたい。
待ち受けている夜叉の大きなてのひらに、私はそっと自らの手を重ね合わせた。
「よろしくお願いします……」
「では俺と、結婚しよう」
「は、はい」
「本当にいいのか? 実は俺の正体は夜叉の鬼神なのだが。きみには苦労をかけることも多々あると思う」
「……知っています。一夜で孕ませられたり、あやかしに遭遇したり、神世の牢獄に入ったこともあったし、それから……」
これまでの思い出を並べると、ふたりでくすりと笑いがこぼれた。
私の結婚生活には、これからも波乱が待ち受けているかもしれない。
でも柊夜さんと一緒なら、どんな困難でも乗り越えていける。
悠と、お腹の子とともに、家族として彼と人生を歩んでいきたいから。
「どんなことがあろうとも、俺はきみと、子どもたちを必ず守ると約束する」
「はい。柊夜さんに、ついていきます。そして私も、柊夜さんを守ります」
瞠目した私の旦那様は、楽しげな笑い声をあげた。
「そうだな。俺もきみに助けられてばかりだ」
夜叉の花嫁として、私は生涯、彼に寄り添うと心に刻む。
そしていかなるときもお互いを助け合って、生きていこう。
その想いを誓うための、結婚式なのだから。
手をつないだ旦那様に導かれ、神殿へ赴く。
神殿は厳かで格調高い雰囲気が満ちていた。私たち新郎新婦のほかには家族、それに神職と巫女しかいない。
柊夜さんは親族が座る席に、悠を抱き上げて座らせた。
「さあ、悠。ママとパパは結婚式を挙げるんだ。式の最中は、おとなしくして待っていられるな?」
「んっ」
悠は力強く返事をした。彼の肩にとまっているコマが、頷くようにくちばしを下げる。ヤシャネコも悠の足元に、行儀よくお座りをした。
ふたりで執り行う儀式だけれど、私たちには家族がいてくれる。
結婚式が始まり、神職が祝詞を奏上する。この幸せが永遠に続くようにと祈られる。
そして御神酒をいただき、盃に口をつける。
私は妊娠しているので、盃の縁に唇を寄せるのみにとどめた。
巫女が台座に乗せられたふたつの指輪を捧げる。新郎新婦の、指輪の交換が行われる。
柊夜さんは小さいほうの新婦の指輪を指先に摘まむ。そうしてから私に向き直り、左手をすくい上げた。
夫婦の証である、白銀の結婚指輪が光り輝く。
すっと薬指に指輪をはめてもらえたとき、私の胸に万感の想いがあふれた。
指輪の煌めきの向こうにある、柊夜さんの相貌に至上の愛しさを覚える。
私の旦那様を慈しみ、生涯大切にしよう。この指輪と、そして家族とともに。
微笑んだ私は、台座のもうひとつの結婚指輪を摘まむと、すでに左手の甲を差しだしている柊夜さんの薬指にそっとはめた。
頰を強張らせた柊夜さんは少し緊張しているみたい。
夜叉の真紅の双眸が、まっすぐに私へ向けられる。
そうして唇を開いた彼は、ひとこと告げた。
「愛している」
じいん、と感動が胸に響き渡った。
私はいつも、特別な言葉を彼からもらっていたのだと知る。
今までは素直に柊夜さんからの愛情を返すことができなかった。
けれど、今なら言える。
私も、柊夜さんに、あふれるほどの想いを伝えたいから。
「私も、愛しています」
握り合う互いの手と手は、つながれた絆。
こだわりがほろりと溶けると、そこにあるのは愛しさ。
桜が綻ぶ穏やかな晴れの日――私たちは、夫婦になった。
控室に入ってきた柊夜さんは黒五つ紋付き羽織袴を纏っている。神前式での新郎の正装だ。
漆黒の羽織が柊夜さんの体躯によく似合っている。格好よくて、惚れ直しそう。
頬を染めた私がうつむくと、純白の綿帽子がふわりとベールのように柔らかく揺れる。
柊夜さんの後ろから、ひょいと顔を出した悠も、袴風のロンパースを着用していた。
私の白無垢姿を目にした柊夜さんは、とろけるような笑みを浮かべた。
「ママは綺麗だ。そうだろう、悠」
「まま」
おめかしをした悠は笑顔を見せる。いつもと違う服装の私でも、母親だとわかったようだ。
悠は一歳半になり、ほんの少し言葉を話せるようになってきた。妊娠四か月に入ったお腹の子も、順調に育っている。
「柊夜さん。どうして、この恰好をするんですか? まるで結婚式をするみたいですけど……」
「その通りだ。今日は俺たちの結婚式だよ」
びっくりして目を見開く。
夜叉の居城では豪華な着物を着せてもらった。あれが結婚式の代わりだと思っていたので、まさか本物の挙式ができるとは予想していなかった。
「俺たちは結婚式を挙げず、俺はきみに指輪すらあげなかった。それでは大切な妻に愛想を尽かされてしまうからね。今さらですまないが、初めからやり直させてくれないか」
「それって、もしかして……私が結婚式に憧れていると言ったからですか?」
「もちろんだ。順序通りに、交際から始めよう。星野あかりさん。俺と、付き合ってほしい」
「……柊夜さんったら、もう……」
すっと、私の胸の前にてのひらを差しだした柊夜さんは優しく微笑む。
柊夜さんとケンカをしたとき、私たちが妊娠から始まり、結婚式を挙げていないことがコンプレックスになっていると私は漏らした。
そのことを柊夜さんは覚えていてくれたのだ。
私の思いを受け止めてくれる彼のお嫁さんになりたいという願いが、胸のうちから湧いてくる。
もう結婚しているのに、子どももいるのに、それでも何度でも、彼と結ばれたい。
待ち受けている夜叉の大きなてのひらに、私はそっと自らの手を重ね合わせた。
「よろしくお願いします……」
「では俺と、結婚しよう」
「は、はい」
「本当にいいのか? 実は俺の正体は夜叉の鬼神なのだが。きみには苦労をかけることも多々あると思う」
「……知っています。一夜で孕ませられたり、あやかしに遭遇したり、神世の牢獄に入ったこともあったし、それから……」
これまでの思い出を並べると、ふたりでくすりと笑いがこぼれた。
私の結婚生活には、これからも波乱が待ち受けているかもしれない。
でも柊夜さんと一緒なら、どんな困難でも乗り越えていける。
悠と、お腹の子とともに、家族として彼と人生を歩んでいきたいから。
「どんなことがあろうとも、俺はきみと、子どもたちを必ず守ると約束する」
「はい。柊夜さんに、ついていきます。そして私も、柊夜さんを守ります」
瞠目した私の旦那様は、楽しげな笑い声をあげた。
「そうだな。俺もきみに助けられてばかりだ」
夜叉の花嫁として、私は生涯、彼に寄り添うと心に刻む。
そしていかなるときもお互いを助け合って、生きていこう。
その想いを誓うための、結婚式なのだから。
手をつないだ旦那様に導かれ、神殿へ赴く。
神殿は厳かで格調高い雰囲気が満ちていた。私たち新郎新婦のほかには家族、それに神職と巫女しかいない。
柊夜さんは親族が座る席に、悠を抱き上げて座らせた。
「さあ、悠。ママとパパは結婚式を挙げるんだ。式の最中は、おとなしくして待っていられるな?」
「んっ」
悠は力強く返事をした。彼の肩にとまっているコマが、頷くようにくちばしを下げる。ヤシャネコも悠の足元に、行儀よくお座りをした。
ふたりで執り行う儀式だけれど、私たちには家族がいてくれる。
結婚式が始まり、神職が祝詞を奏上する。この幸せが永遠に続くようにと祈られる。
そして御神酒をいただき、盃に口をつける。
私は妊娠しているので、盃の縁に唇を寄せるのみにとどめた。
巫女が台座に乗せられたふたつの指輪を捧げる。新郎新婦の、指輪の交換が行われる。
柊夜さんは小さいほうの新婦の指輪を指先に摘まむ。そうしてから私に向き直り、左手をすくい上げた。
夫婦の証である、白銀の結婚指輪が光り輝く。
すっと薬指に指輪をはめてもらえたとき、私の胸に万感の想いがあふれた。
指輪の煌めきの向こうにある、柊夜さんの相貌に至上の愛しさを覚える。
私の旦那様を慈しみ、生涯大切にしよう。この指輪と、そして家族とともに。
微笑んだ私は、台座のもうひとつの結婚指輪を摘まむと、すでに左手の甲を差しだしている柊夜さんの薬指にそっとはめた。
頰を強張らせた柊夜さんは少し緊張しているみたい。
夜叉の真紅の双眸が、まっすぐに私へ向けられる。
そうして唇を開いた彼は、ひとこと告げた。
「愛している」
じいん、と感動が胸に響き渡った。
私はいつも、特別な言葉を彼からもらっていたのだと知る。
今までは素直に柊夜さんからの愛情を返すことができなかった。
けれど、今なら言える。
私も、柊夜さんに、あふれるほどの想いを伝えたいから。
「私も、愛しています」
握り合う互いの手と手は、つながれた絆。
こだわりがほろりと溶けると、そこにあるのは愛しさ。
桜が綻ぶ穏やかな晴れの日――私たちは、夫婦になった。