鬼の姿を曝している柊夜さんに勝者の笑みはなかった。彼は私たちに顔を背けて、短く告げる。
「家に帰ろう」
柊夜さんは、鬼神である本当の姿を、家族に見せたくないのだと私は察した。
そのことが切なく胸を引き絞る。
私はせめてもと思い、悠に小さくつぶやいた。
「パパ、勝ったね」
「ん」
夜叉の後継者は泣くこともなく、しっかりと目を見開いて、父のすべてを見つめていた。
子どもたちを取り戻せた私たちは現世へ帰るべく、闇の路を通っていた。
コマの発する灯火が、家への道のりを明るく照らしてくれる。
悠たちに怪我がなくて本当によかった。棘が刺さった痛みをこらえつつ、私は身をかがめて悠の小さな手を引いていた。
すると、ふいに悠が私を見上げる。
「まま」
初めて発せられた言葉に、目を見開く。
「ゆ、悠……今、『ママ』って言ってくれたの?」
喃語のみをしゃべる赤ちゃんから、悠は着実に成長していた。そのことに胸が打ち震える。
つないだ悠の手から、ぽう……と柔らかな光があふれた。
それは安堵をもたらす温もりだった。
すうと痛みが引いていく。てのひらを見ると、傷がついていたはずなのに、すっかり治っていた。
悠の持つ、”治癒の手”の能力が発揮されたのだ。
「ママの怪我を、治してくれたの?」
「ん……」
あくびをこぼした悠の瞼が重くなっている。とても疲れているようだ。
傍らを歩んでいた柊夜さんが、腕を伸ばした。
「俺が抱っこしよう」
大きなてのひらで小さな体を抱きかかえる。神世では鬼神に変身していた柊夜さんは、すでに人間の姿に戻っていた。
父親の腕の中で、悠はすぐに瞼を閉じる。
となりを歩くヤシャネコはそんな悠を見上げて、目を細めた。コマが発する灯火がふわりと蛍のように軌跡を描き、道標のごとく暗闇を照らす。
「大冒険でしたね。柊夜さんが家族のために戦ってくれた姿を、悠はしっかり見ていましたよ」
「……大人になったら、忘れるだろう。それでいいと、俺は思っている」
父親の雄姿を目にした悠は、なにかを感じたのだろうか。
悠が触れたものを治癒できる能力は、戦うことを主とした柊夜さんたち鬼神とは異なる方向だ。この先、彼の力が誰かを救うために生かされることを望んでやまない。
「きっと、忘れませんよ。いつか柊夜さんが守ってくれたことを思いだしてくれるはずです」
「そうだろうか……」
ぽつりとつぶやいた柊夜さんは、抱いている悠の背を優しく撫でる。
彼は先ほどのことを振り返るように、闇の路の先を見据えた。
「あかりこそ、命を懸けて悠を守ろうとしただろう。子どもの代わりに生贄になると言って、羅刹に跪いたな」
「あのときは必死だったんです。私は自分の命よりも、悠が大切です。悠に生きて、無事に大人になってほしいですから」
それは心からの願いだった。
愛することも愛されることも知らなかった私は、悠が産まれてくれたおかげで、親としての愛情とはなにかを教えられたのだから。
「きみがいないと、俺の命もない。それは覚えていてほしい」
切なげに吐かれたその言葉に、私はまたひとつ気づかされた。
私の命は、私だけのものではなくなったということに。
「わかりました……。お腹の赤ちゃんも、いますしね」
「そうだとも。これからもっとにぎやかになる。何か月かしたら、悠はお兄ちゃんだ」
ふと気づくと、私たちに人影が寄り添っていた。
優しいその面差しは、洞窟で会った十歳の悠だった。
「ありがとう、悠……。あなたのおかげよ」
幻影の悠はなにも答えない。彼が私たちを導いてくれたおかげで、無事に洞窟から脱出することができたのだ。
やがて闇の路の出口に達する。
柊夜さんが切り開いた空間の向こうには、夜の公園が広がっていた。ようやく、もとの場所に辿り着けた。
「さあ、帰ろう」
コマとヤシャネコに続き、私は公園に足を踏み入れた。
現世へ帰ってこられたことに、安堵の息をこぼす。
ところが柊夜さんの後ろで、幻影の悠は寂しげな顔をして残っていた。彼はこちらに来ようとはしない。私は思わず、声をかけた。
「悠、どうしたの? 一緒に帰りましょう」
幻影だということはわかっているが、彼もまた悠である。
十歳の悠はなにも話さず、口を噤んでいた。
眠っている悠の本体を抱いた柊夜さんは、闇の路を閉じようとして、てのひらをかざす。
「待ってください、悠がまだ……」
「彼は幻影だから、現世には行けないのだ」
「わかっていますけど……」
そのとき、こちらを見つめていた悠が微笑みを浮かべた。
常に無表情だった彼の、初めての笑みに驚かされる。
闇の路が、ふっと消えた。
あとには満天の星が広がる公園の静寂のみが残される。
そこに私たち家族は、しばらく佇んでいた。
「彼には未来で会える」
柊夜さんの言葉が私の胸に染み入る。
煌めく星々を見上げた私は音もなく、一筋の涙を流した。
「家に帰ろう」
柊夜さんは、鬼神である本当の姿を、家族に見せたくないのだと私は察した。
そのことが切なく胸を引き絞る。
私はせめてもと思い、悠に小さくつぶやいた。
「パパ、勝ったね」
「ん」
夜叉の後継者は泣くこともなく、しっかりと目を見開いて、父のすべてを見つめていた。
子どもたちを取り戻せた私たちは現世へ帰るべく、闇の路を通っていた。
コマの発する灯火が、家への道のりを明るく照らしてくれる。
悠たちに怪我がなくて本当によかった。棘が刺さった痛みをこらえつつ、私は身をかがめて悠の小さな手を引いていた。
すると、ふいに悠が私を見上げる。
「まま」
初めて発せられた言葉に、目を見開く。
「ゆ、悠……今、『ママ』って言ってくれたの?」
喃語のみをしゃべる赤ちゃんから、悠は着実に成長していた。そのことに胸が打ち震える。
つないだ悠の手から、ぽう……と柔らかな光があふれた。
それは安堵をもたらす温もりだった。
すうと痛みが引いていく。てのひらを見ると、傷がついていたはずなのに、すっかり治っていた。
悠の持つ、”治癒の手”の能力が発揮されたのだ。
「ママの怪我を、治してくれたの?」
「ん……」
あくびをこぼした悠の瞼が重くなっている。とても疲れているようだ。
傍らを歩んでいた柊夜さんが、腕を伸ばした。
「俺が抱っこしよう」
大きなてのひらで小さな体を抱きかかえる。神世では鬼神に変身していた柊夜さんは、すでに人間の姿に戻っていた。
父親の腕の中で、悠はすぐに瞼を閉じる。
となりを歩くヤシャネコはそんな悠を見上げて、目を細めた。コマが発する灯火がふわりと蛍のように軌跡を描き、道標のごとく暗闇を照らす。
「大冒険でしたね。柊夜さんが家族のために戦ってくれた姿を、悠はしっかり見ていましたよ」
「……大人になったら、忘れるだろう。それでいいと、俺は思っている」
父親の雄姿を目にした悠は、なにかを感じたのだろうか。
悠が触れたものを治癒できる能力は、戦うことを主とした柊夜さんたち鬼神とは異なる方向だ。この先、彼の力が誰かを救うために生かされることを望んでやまない。
「きっと、忘れませんよ。いつか柊夜さんが守ってくれたことを思いだしてくれるはずです」
「そうだろうか……」
ぽつりとつぶやいた柊夜さんは、抱いている悠の背を優しく撫でる。
彼は先ほどのことを振り返るように、闇の路の先を見据えた。
「あかりこそ、命を懸けて悠を守ろうとしただろう。子どもの代わりに生贄になると言って、羅刹に跪いたな」
「あのときは必死だったんです。私は自分の命よりも、悠が大切です。悠に生きて、無事に大人になってほしいですから」
それは心からの願いだった。
愛することも愛されることも知らなかった私は、悠が産まれてくれたおかげで、親としての愛情とはなにかを教えられたのだから。
「きみがいないと、俺の命もない。それは覚えていてほしい」
切なげに吐かれたその言葉に、私はまたひとつ気づかされた。
私の命は、私だけのものではなくなったということに。
「わかりました……。お腹の赤ちゃんも、いますしね」
「そうだとも。これからもっとにぎやかになる。何か月かしたら、悠はお兄ちゃんだ」
ふと気づくと、私たちに人影が寄り添っていた。
優しいその面差しは、洞窟で会った十歳の悠だった。
「ありがとう、悠……。あなたのおかげよ」
幻影の悠はなにも答えない。彼が私たちを導いてくれたおかげで、無事に洞窟から脱出することができたのだ。
やがて闇の路の出口に達する。
柊夜さんが切り開いた空間の向こうには、夜の公園が広がっていた。ようやく、もとの場所に辿り着けた。
「さあ、帰ろう」
コマとヤシャネコに続き、私は公園に足を踏み入れた。
現世へ帰ってこられたことに、安堵の息をこぼす。
ところが柊夜さんの後ろで、幻影の悠は寂しげな顔をして残っていた。彼はこちらに来ようとはしない。私は思わず、声をかけた。
「悠、どうしたの? 一緒に帰りましょう」
幻影だということはわかっているが、彼もまた悠である。
十歳の悠はなにも話さず、口を噤んでいた。
眠っている悠の本体を抱いた柊夜さんは、闇の路を閉じようとして、てのひらをかざす。
「待ってください、悠がまだ……」
「彼は幻影だから、現世には行けないのだ」
「わかっていますけど……」
そのとき、こちらを見つめていた悠が微笑みを浮かべた。
常に無表情だった彼の、初めての笑みに驚かされる。
闇の路が、ふっと消えた。
あとには満天の星が広がる公園の静寂のみが残される。
そこに私たち家族は、しばらく佇んでいた。
「彼には未来で会える」
柊夜さんの言葉が私の胸に染み入る。
煌めく星々を見上げた私は音もなく、一筋の涙を流した。