咄嗟に腕を伸ばした私は、ふたりを引き寄せた。
「悠、ヤシャネコ! 無事でよかった」
 ふたりの体の重みは、心からの安堵をもたらした。
 ――もう、二度と離さない。
 その想いを込めて、私は子どもたちを抱きしめた。
 獲物を逃した人喰い籠はコウモリたちに追い立てられ、ゆがんだ鉄棒を揺らしながら去っていく。
 羅刹とタソガレオオカミにも無数のコウモリが襲いかかった。
 彼らは鬱陶しげに漆黒のコウモリを振り払う。
 怒りを漲らせた羅刹が、神気を迸らせた。
 彼は柊夜さんと同じように、鬼神の真の姿を現す。
 鬼の角と牙を持ち、多聞天を主とするその鬼神は、皮肉なことに夜叉と対になる外見だった。
 本性を顕した羅刹は、コウモリたちを先導するマダラに吠える。
「裏切ったな、マダラァ!」
「ひっ……も、申し訳ありません、羅刹さま」
「夜叉を洞窟に閉じ込めて、花嫁のみを連れてこいと命じただろうが。おまえは命令を実行できないばかりか、寝返るとはなんという浮ついた性根だ!」
「わ、わたしは仲間を助けたかっただけなんです……」
 弱々しい声で弁解すると、羽をひるがえしたマダラは慌てて逃げだした。
 夜叉となった柊夜さんが、マダラを追おうとした羅刹の前に立ち塞がる。
 闘志を燃え上がらせた夜叉の真紅の双眸が、ぎらりと光る。
「貴様がその台詞を吐くとは笑わせる。完膚なきまで叩きのめしてやろう」
「望むところだ。どちらが花嫁を手に入れるか、力で勝負しようじゃないか」
 にらみ合った対の鬼神が対峙する。
 私は悠とヤシャネコを抱いたまま、壁際に下がった。肩にのったコマが「ピ」と励ますように、ひとつ鳴く。
「パパは勝つよね」
 悠のつむじに向かって、小さくつぶやいた。
 胸騒ぎがとまらないけれど、柊夜さんが勝つと信じよう。
 悠がお腹にいたとき、ほかの鬼神と柊夜さんは戦って勝利した。あのときの私は彼の勝利に絶対の自信を持っていたはずなのに、今は不安で胸が押し潰されそうになっている。
 ぎゅっと抱きしめた悠は、澄んだ眼差しで父親の姿を見つめていた。
「ばぶぅ」
「大丈夫にゃん。夜叉さまが負けるわけないにゃんよ」
 みんなに応援され、固唾を呑んで見守る。
 室内を舞っていたコウモリたちが天井にとまり、動く者はいなくなった。
 ふたりの鬼神は射貫くような視線を交わし、互いに身構えている。
 殺気が充満する。
 緊張が極限まで達した。
 そのとき、ふたつの影が交差する。
 破壊音が鳴り響き、石の床が割れた。
 猛然と拳で殴り合う鬼神の苛烈さに、空気が振動する。
 咆哮が響き渡る。荒々しい鬼神たちの戦いは、どちらかが倒れるまで終わらない。
 血飛沫が舞い散り、それに興奮したコウモリが辺りを飛び回った。
 やがて羅刹の足取りが重くなる。
 夜叉が優勢だろうかと、誰もが思えた。
 それまで戦いを見守っていたタソガレオオカミが牙を剥き、足を踏みだす。
 夜叉に襲いかかろうと、敏捷に跳躍した。
 だが、タソガレオオカミの胴体を、なぜか羅刹が強靱な腕ではね飛ばす。
「加勢するな!」
 主に叱られたタソガレオオカミは「キュウン……」と鳴くと、頭を低くして後ろに下がった。
 口端からにじむ血を指先で拭った夜叉は、真紅の双眸を細める。
「貴様の負けだ、羅刹。しもべの手を借りなかったことは褒めてやる」
「なんだと……」
 羅刹は姿勢をまっすぐに保てないようで、体が揺らいでいる。彼が負けそうだとわかっているからこそ、タソガレオオカミは加勢しようとしたのだ。
 けれど、柊夜さんが懸命に呼吸を整えているのも、私は気づいていた。
 勝敗は紙一重なのだ。
 両者は渾身の力を込めて掴み合った。
 壮烈な豪腕で羅刹の体が投げ飛ばされた。轟音が響き渡り、振動で室内が揺れる。
 呻いた羅刹は、それきり立ち上がらなかった。
 敗者を見下ろす夜叉を遮るように、タソガレオオカミが躍りでた。
 ひたむきな黄昏の瞳は、懇願の色を帯びている。
 タソガレオオカミは羅刹を庇っているのだ。
 柊夜さんは羅刹にとどめを刺すことなく、背を向ける。
「しもべに救われたな。命を懸けて庇ってくれる者がいることに感謝しろ」
「ぐっ……ちくしょう……。僕は諦めたわけじゃない……勝負は預けておいてやる」
 恨み言を吐いた羅刹は血で染められた床に倒れ伏した。
 勝負が決したことに、私は深い息をつく。