「あかり、そこから……」
 返事はさらに小さくなっている。わずかな時間のはずなのに、互いの居場所はとても離れたのだと知った。ヤミガミに目をやったわずか数秒の間に、迷路に呑まれてしまったのかもしれない。
 つくづく大切なものから目を離してはいけないという教訓を痛感する。
 けれど今は後悔している場合ではない。すぐに柊夜さんと合流するのが先決だ。
「柊夜さんも探してるよね……。ふたりとも歩き回っていたら、出会えないのかな」
 闇雲に歩き回っても余計に迷ってしまうだけだろうか。柊夜さんと手をつないでいないことが、こんなにも心細い。
「チチチ」
 心許なくて自分の手をさすっていると、肩にとまっているコマが軽快な鳴き声をあげた。
 不安に襲われていた私の顔に、かすかな笑みがこぼれる。
「コマがいるものね。きっと迷路を抜けられるわ」
 その言葉に応えるかのように、コマは肩から飛び立つ。
 廊下の端まで飛んでいくのであとを追うと、突き当たりの壁をくちばしで突いていた。
「そこは行き止まりよ?」
 だがコマは壁から離れず、なにかを訴えるかのように「ピイッ」と鋭く鳴いた。
 不思議に思った私は白塗りの壁に、そっと触れてみる。
 壁の隙間がわずかに空いていることに気づいた。向こう側から冷たい空気が流れ込んでくる。
 思いきって、ぐっと壁を押してみる。
 すると壁が扉のように稼働して、上へ続く階段が現れた。
「隠し階段があったのね! コマ、よく発見できたわね。ありがとう」
「ピ」
 当然というように短く答えたコマは、階段の上へ羽ばたいていく。
 ここを通って迷路から出られそうだ。
 走らないという柊夜さんとの約束を守り、お腹に手を当てながら、ゆっくりと階段を上る。
 上の階に辿り着くと、そこはより壮麗な廊下だった。天井が高く、黒塗りの床は磨き抜かれている。
 コマは迷いなく廊下の向こうに飛んでいった。
 最奥には重厚な扉がひとつだけ。
 それは不気味な血の色に染め上げられている。
「チチチ、チチッ」
 開けろとばかりに、コマは扉に体当たりをする。
「待って、私が開けるわ。ここに悠がいるのね?」
「ピ」
 コマの返事に確信を得る。私は勇気を持って、真鍮製の取っ手を引いた。
 軋んだ音を響かせて扉が開かれる。
 ひやりとした石壁に囲まれた部屋に視線を巡らせる。
 まるで番人のごとく均等に並んだ蝋燭の灯が不穏に揺れていた。
 その果てに鎮座しているものを目にして、胸が躍る。
「悠……!」
 やっと、会えた。
 悠は遊具のような球形の籠の中に座っている。ヤシャネコも傍におり、ふたりは身を寄せ合っていた。
 無事だったのだ。それだけで全身の力が抜ける。
 私の声に気づいた悠は、はっとして顔を上げた。立ち上がろうとするが、すぐ諦めたように腰を落ち着ける。
「ばぶぅ……」
 どうしたのだろう。悠は私を見ても、そこから動こうとしない。
「あかりん、来ちゃだめにゃん!」
 ヤシャネコが叫ぶが、ふたりを放っておくことなんてできない。駆け寄った私は、彼らが入っている籠を見て驚愕した。
「この籠、棘がついてる……!」
 鉄製の棒で形成された球体は、棒の内側にびっしりと鋭い棘がついていた。
 これでは無理に出ようとすると、怪我をしてしまう。出入り口となるドアがあるのかと探ったが、見つからない。
 悠と抱き合っていたヤシャネコが、怯えた声をあげた。
「この檻は、あやかしにゃんよ! ”人喰い籠”にゃん」
 ガタリと大きく籠が揺れる。触れてもいないのに、ふたりを閉じ込めた檻はひとりでに鉄棒を歪めた。私の肩にとまったコマが、「ピイッ」と危険を伝える。
 すると、さらに籠の大きさが狭くなる。
 ふたりに向かって、内側の棘が針のような凶器となり、突き刺そうとしていた。
「やめて! 待っていて、ふたりとも。今、出してあげるから!」
 鉄棒を掴んだ私は、広げようと必死で力を込める。
 その途端、手に鮮烈な痛みが走った。
「うっ……!」
 てのひらを見ると、血がにじんでいた。あやかしとはいえ鉄棒は固く、棘は本物の凶器だ。とても素手で押し開くことはできない。
 人喰い籠は私をあざ笑うかのように、軋んだ音色を響かせた。
 悠とヤシャネコめがけて鉄棒が狭められていく。このままではふたりが押し潰されてしまう。