そこには猫ほどの大きさの子犬がいた。灰色の毛をした子犬の瞳は、まるで黄昏を溶かしたような黄金色をしている。
「あれは猫じゃないにゃん。“わんわん”だにゃん」
「にゃ」
 可愛らしい子犬は舌を出し、尻尾を振っている。
 人懐こそうで害はないようだが、飼い主はどこにいるのだろうか。
 小さな太い足を進めた子犬は、悠とヤシャネコの周りを飛び跳ねる。一緒に遊びたいようだ。
 キャッキャと楽しそうな声をあげて、悠は子犬を追いかける。
 ふと、私は公園に設置された時計を見上げた。
 子犬の飼い主が現れたら、それを機に戻ろうか。柊夜さんは次の子が産まれるからといって模様替えに気合いを入れていたけれど、まだ先の話だから――
「フニャッ」
 はっとして、時計から目線を戻す。
 そこに広がる静寂に、心臓が冷えた。
「えっ……悠……ヤシャネコ……?」
 公園には誰もいなかった。
 つい数秒前まで、彼らは笑い声をあげながら走り回っていたはずなのに。
 ぞっと背筋を震わせた私は、悠たちがいた砂場の傍に慌てて駆けつける。
 そこには子どもの靴痕や猫の足跡が砂に紛れてついていた。だが忽然と姿だけが消えている。一緒にいたはずの子犬もいない。
 シーソーを振り返ると、そこにコマはいなかった。
「どういうこと……? 悠、ヤシャネコ、コマ! みんなどこにいるの⁉」
 必死になって公園中を探し回る。
 公園には隠れるような場所はほとんどない。わずかな遊具ばかりの小さな公園なのだ。
 しかも目を離していたのは、ほんの数秒である。
 その短い時間で、私を驚かそうとした悠たちがどこかに隠れたというのだろうか。もしそうなら今すぐに出てきてほしい。それとも誰かにさらわれたのか。しかし、公園内にはほかに誰もいなかったのである。
 消えたとしか思えない。
 でも、どうやって? 
 いくら探しても公園内に彼らの姿はなかった。念のため道路に出て、近くの通りを探してみたが、やはり見当たらない。
 青ざめた私は、空のベビーカーの傍で立ち尽くした。
 私の責任だ……。
 親が子どもの安全に気を配るべきなのに、私はそれを怠った。小さな子はすぐにいなくなるので目を離してはいけないという注意喚起を知っていたはずなのに、時計に気を取られてぼんやりしてしまった。
 涙がにじみ、唇を震わせる。
 まさか、もう悠に会えないなんてことは……。
 最悪の結末を想像して絶望しかけたが、はっとした私は震える手でバッグからスマホを取りだした。
 このことを柊夜さんに伝えないと。
 怒られるのは承知の上だが、父親である柊夜さんに相談するのは当然だ。
 電話をかけると柊夜さんとすぐにつながる。
『あかり、状況を報告してくれ。悠はぐずっていないか? 腹は痛まないか?』
 いつも通り仕事の進捗を訊ねるような口調の柊夜さんは、まだ事態を知らない。
 私は一拍おいたあと、声を絞りだした。
「……悠が、いなくなりました……」
 声がひどく震えてしまい、うまく言葉が出てこない。
 わずかな沈黙のあと、柊夜さんは冷静に聞き返してきた。
『どういうことだ。なにが起こったか、適切に説明してくれ』
「公園で、子犬も一緒にいて、みんなで追いかけっこしていたんです。そうしたら私が目を離した数秒のうちに、みんないなくなってしまいました……」
『なんだと? ヤシャネコはどうした。コマもいないのか?』
「みんなです……。最後に、ヤシャネコの鳴き声が聞こえました。振り向いたときには、もう……」
 私が異常を感じたのは、ヤシャネコの短い叫び声を耳にしたからだった。
 あの声は、驚いたときのものだ。一瞬のうちに、なんらかの事態が起こったのだ。
『あかりは公園にいるんだな?』
「はい……私だけ……ごめんなさい、柊夜さん。私……」
『落ち着け。そこにいるんだ。すぐに行く』
 そう言い残した柊夜さんとの通話は切れた。
 呆然としてスマホを手にしながら、私は誰もいない公園を目に映す。
 先ほどの光景を脳裏に思い浮かべていると、子犬の姿にふとした既視感が湧いた。
「あの子犬……どこかで見たような……?」
 小さな耳を立て、丸々とした、ありふれた姿の子犬だ。
 先ほどは気にしなかったが、子犬の瞳の色に記憶の断片を掘り起こす。
 あっと声をあげた私は、あの子犬を見かけた場所に思い当たる。
 コマを連れて帰る道すがら、柘植の陰からこちらを見ていた。あのときの子犬と同じ、黄金色の目をしていたのだ。
 公園でふたたび会ったのは偶然だろうか。それとも、なんらかの意図があるのか。