「えっ……なっ……⁉」
 突然のことに驚いて瞠目する。まさか二回目がやってくるとは予想できなかった。
 せめてキスする前はひとこと断ってほしい。心の準備というものがあるので。
 だけど柊夜さんが私にキスの許可を得たことなど未だかつてない。
 私の夜叉は傲慢に微笑み、さらりと述べる。
「唇を尖らせているので、キスしてほしいという合図だろう」
「違います……」
「では聞くが、あかりは俺のことを愛しているか? 俺はきみを愛している」
 堂々と宣言する旦那様に、頰を引きつらせる。
 私は心から柊夜さんを愛しているし、今後なにがあろうとも一緒にいようと誓っている。
 けれどそれを臆面もなく明らかにするのは恥ずかしいのだ。
 真紅の双眸をひたりと向けてくる柊夜さんは、自らの望む答え以外は存在しないと思っているようである。その通りだけどね。もう少し、やんわり迫ってくれると嬉しいかなと思うのは贅沢な望みだろうか。
 視線をさまよわせた私は、鼻先を突きつける柊夜さんに、どうにか答えた。
「……たぶん」
 当然ながら眉を跳ね上げた柊夜さんは、私の返答にご不満のようである。
「なんという曖昧な答えだ。俺の愛は一方的なものだったのか?」
「あのですね、なんでも白黒つければいいわけじゃないと思うんですよね。柊夜さんの愛情を求める表現はもはや強要です」
「ほう……嫌なのか?」
 真紅の双眸が剣呑な色を帯びる。
 身じろぎしたが、肩は大きなてのひらで包み込まれている。吐息がかかるほど間近に顔を寄せるのは勘弁してほしい。
「えっと、だからもう少し……」
「嫌だからやめてほしいという選択肢は存在しない」
「選択肢が用意されてないじゃないですか!」
「当然だ」
 つと彼は、悠に目を向けた。
 一升餅を背負うという大役を果たした悠は、さらにヤシャネコと遊んだので、眠そうにあくびをこぼしている。
「悠はそろそろ、お昼寝の時間だな」
 柊夜さんはあっさりと、捕らえていた私を解放した。
 愛情強要案件は諦めてくれたらしく、ほっと胸を撫で下ろす。
 子どもが小さいと育児が大変なので、夫婦でゆっくり会話している暇もないものだ。少し寂しいと感じることもあるけれど、今は助かった。
 素早くキッチンへ向かった柊夜さんは、ほ乳瓶にスプーンで粉ミルクを入れている。それから七十度の適温に調整されている調乳ポットからお湯を注ぎ、軽く振る。
 いつもミルクを作ってくれているので手慣れたものだ。
 悠の月齢が九か月になる頃には母乳が出なくなったので、夜中に頻繁に起きる生活はようやく終わりを迎えた。現在は離乳食とミルクの併用だけれど、離乳の完了は一歳を過ぎた頃とされているので、そろそろミルクの卒業を考えたい時期である。
 でも具体的に、いつにすればいいのかわからないんだよね。
 温い牛乳を飲ませてみたいけれど、コップを使うとこぼしてしまうので、まずはコップトレーニングからだろう。そのあとはおむつの卒業も待っているわけだし、人ひとりを育て上げるのは本当に長い道のりだ。
 ほ乳瓶を持ってきた柊夜さんは、うとうとしている悠の体を抱き上げた。ソファに腰かけると、片腕で悠の背を支えつつ、ほ乳瓶の乳首を咥えさせる。
 目を閉じて、ごくごくとミルクを飲み干していく悠は、ほ乳瓶の中身が泡のみになる頃にはすでに眠っていた。
 ミルクを飲ませている間に、私はお昼寝用の布団を敷いた。そこに柊夜さんは、そっと悠の体を横たえる。いつものようにヤシャネコがとなりに来て、もふもふの体を寄せて寝そべった。お腹がいっぱいになった悠は、ヤシャネコの温かい毛に寄り添われ、無垢な寝顔を見せている。
 ふたりに薄いブランケットをかけながら、私は微笑を浮かべた。
「ありがとうございます、柊夜さん。いつも悠の面倒を見て、疲れませんか?」
 小声で感謝を述べる。
 柊夜さんが会社に出勤しているときは私が育児担当だけれど、休日は積極的に子どもに接してくれる。それが嬉しくもあるけれど、旦那様は仕事も忙しいのに疲れてはいないかと心配になる。
「疲れるということはない。幸せだからな」
「柊夜さん……」
 素晴らしい旦那様と結婚できて、私のほうこそ幸せ者だ。
 と、噛みしめられたのはここまでであった。
 私に向き直った柊夜さんは、「さて」と前置きする。
「きみは俺のことを愛しているのか。どうなんだ。その返事を明確に聞かせてもらおうか」
 諦めてなかったようだ……。
 もしかして悠を寝かしつけてくれたのは、私に愛情の追及を行うためだったのだろうか。夫婦の愛情の確認というより、もはや脅迫である。なんという執念。
「しつこいなぁ……」
 思わず心の声を漏らしてしまった。
 愛されて幸せなのだけれど、この執念深さに毎日付き合わされる身としては、げんなりしてしまう。詰め寄られると逆に言いづらいんですけど。