「ばぶ」
 顔を上げた悠は、私たちになにかを教えるように巣箱を指差した。
 そっとタオルを剥いで、中を覗く。
 雛は丸い体をじっとさせて座っていた。
 犬猫とは違い、眠るときでも鳥は体を横たえたりはしない。鳥が横倒しになっているということは死ぬときなのだ。あのときの雛は瀕死だったのだと改めて思う。
 雛の状態は良好のようだ。お粥を食べてくれたので、体力を回復させているところではないだろうか。
 ほっとしたが、雛の頭がうっすらと橙色に変わっていることに気がつく。
「あれ……? もう毛が生え替わったのかな。体も保護したときより大きくなった気がするし、やっぱりこの子はすごいあやかしなのかも」
 声を弾ませる私に対し、柊夜さんは怪訝に双眸を細める。
 雛を見下ろした彼は淡々とした声音で訊ねた。
「瀕死の雛に悠が手を触れさせたとき、淡い光を発したと言ったな?」
「はい。でも、悠が触れたからというより、たまたまさわったときに雛が光ったんです。悠が邪魔しようとしたわけじゃないですよ」
 悠は雛をじっと見つめている。雛は小さな瞳を、ぱちぱちと瞬かせた。
 わずかな沈黙が室内に流れる。
 柊夜さんが、突然衝撃的な言葉を発した。
「あかり。この雛は、すでに死んでいたはずだった」
 私は、ぱちりと瞬きをひとつした。目の前の小さな雛のように。
 柊夜さんがなにを言おうとしているのか、わからなかった。
 この子はこうして生きているのに、なぜ死を持ちだすのだろう。
「そう……かもしれませんね。でも、この子の能力で生き返ったんですよ。だって不思議な光を発してから、ここまで元気になったんですから。もしかしたら正体は鳳凰だとか、すごいあやかしだったりするんじゃ……」
「コマドリだ。わずかに妖気が感じられる。おそらくあやかしの子孫だろうが、蘇生するような特別な能力はない」
 すべてを否定する険しさに、私の顔から笑みが抜け落ちる。
 希望を粉々に砕かれた気がして、ぽっかりと胸に穴が空いた。
「え……でも……」
「雛を生き返らせたのは、悠の能力によるものだと考えられる。悠は神気の量が尋常ではない。雛自身が光ったのではなく、悠の手から光が発せられたんじゃないか?」
 思い返してみると、そうだったかもしれない。
 自転車で帰宅するときも悠はずっと雛を抱いて、淡い光がこぼれていた。
「だとしたら……悠には人間とは違う、特殊な能力があるということですか?」
 自分で口にして、なにを言っているのだろうと思った。
 私の夫は鬼なのだ。
 彼との間に産まれた子がふつうの人間ではないことくらい、容易に想像できた。一般的な家庭には起こらない問題が生じることも、覚悟していたつもりだった。
 けれどあまりにも日々の暮らしが平穏で満たされていたので、この幸せがずっと続くのだと勘違いをしていた。
 冷たい月のように冷徹な柊夜さんの容貌を真正面から見た私は、今の疑問を発したことにより、彼の心の奥底を傷つけたことを察した。
 こうなることを承知で俺との子を産んだのだろうと、眼差しは語っていた。
 だが柊夜さんは私の失言を責めることはしなかった。
「……治癒能力と推察される。俺も子どもの頃から五芒星を作り、青白い光を発してあらゆることができていた。物を破壊はしても、回復させることはできなかったけれどね」
 私の背筋が震えた。
 悠は、柊夜さんでさえも持たない大きな力を備えているのだろうか。まだ小さくて、意思の疎通も覚束ないほどなのに。
 そういえば、悠は度々物に触れていた。あれはなんにでも興味を持った赤子がやることだと捉えていたけれど、もしかして、本能的に能力を試そうとして行っていたのか。
「あうー」
 先ほどもそうしていたように、悠は雛に向かって手をかざす。
 咄嗟に私は鋭い声を発した。
「ダメッ!」
 びくっと体を跳ねさせた悠は硬直した。
 驚いた顔が、みるみるうちにゆがむ。
「うぎゃああああぁ……」
 盛大に泣きだしてしまった。
 どうしよう。泣かせるつもりじゃなかったのに。
 上向いて口を開け、大泣きしている悠を柊夜さんは抱き上げた。
「あかり。今日は休むんだ。悠は俺が寝かしつける」
「……はい」
 子どもに重大な問題が生じたとき、親はどういった対応を取ればいいのだろう。
 悠の将来は、どうなってしまうのだろう。
 なにが正解なのかわからない。
 考えるほど気分が滅入ってしまう。
 私は泣きわめく悠を柊夜さんに任せて寝室へ入った。
 扉の向こうからは、まだ悠の泣き声が聞こえている。柊夜さんがあやすように、何事かを話しかけている低い声音が耳に届いた。