穏やかな陽射しがレースカーテン越しに降り注いでいる。晴れ間が覗いた日曜日は、心地よい洗濯日和だ。
 リビングで午前中の睡眠に勤しんでいる悠の寝顔を見守っていると、ベランダで洗濯物を干している柊夜さんが、パンッと高い音を立ててタオルを伸ばしていた。
 あれは相当、怒っている……。
 先日、羅刹の略奪愛宣言を受けてからというもの、柊夜さんの機嫌がすこぶる悪い。
 私としても、どうしたらよいのかわからない。
 ずっとおひとりさまだった私が、今や結婚して旦那様がいるのに、さらにほかの男性に言い寄られているのである。
 いったいどうしてこんなことになるのだろう。鬼神に孕ませられると、鬼神を引き寄せるホルモンでも出るのかな?
 憮然として空の洗濯籠を抱えた柊夜さんは、ベランダから室内へ入った。
 この冷えた空気を変えるべく、小さく声をかける。
「柊夜さん、洗濯ありがとう」
「礼を言う必要はない。それとも礼を言う必要が生じたのか?」
 きつい嫌味を浴びせ、部屋を横切る彼の背を無言で見送る。
 冷酷な夜叉の怒りは頂点を超えているようだ。
 まさか私が羅刹を誘惑したとでも思っているのだろうか。
 確かに休憩所では顔を近づけたけれど、キスしたわけではない。それに、もとより鬼神の羅刹は柊夜さんの相方とも言えるべき存在だ。だからこそ現世でも職場にスカウトしたのではないか。
 いつもは事細かに問い詰めてくる柊夜さんがそれについては訊ねてこないので、私から釈明する機会を失っていた。
 溜息をつき、リモコンを手にした私はテレビをつける。
 悠が寝ているので、音量は最小限だ。
 特に見たい番組があるわけではないけれど、家庭内の無言の空間が気まずいのである。
 テレビでは芸能人の結婚披露宴を報道していた。純白のウェディングドレスを纏った女優が報道陣の前で、嬉しそうにふたりのなれそめなどを報告している。彼女のとなりに礼装を着て立っている新郎は有名俳優だ。彼も嬉しそうに、はにかんでいた。
 それを見ていた私は、ふと空虚な胸のうちに気がついた。
 私たちは、結婚式を挙げていない。
 妊娠してから同棲を始めて、かりそめ夫婦として過ごし、出産して今に至る。
 それまでおひとりさまだった私は、つまり男性と交際した期間がゼロのままといえた。いったいどうやって交際し、結婚式を挙げようだとかいう流れになるのかすら知らなかった。
“結婚しようよ”は、どちらから言いだすものなの? どこで? 夜景の見えるレストランで?
「そういえば、私、プロポーズされたっけ……?」
 柊夜さんに妊娠したことを打ち明けたとき、正体は夜叉という剛速球を投げ返されてしまったので、結婚できることを喜ぶような甘い気持ちにはいっさいならなかった。 
 すでに結婚していて子どももいる。
 けれど、交際してプロポーズされ、結婚式を挙げて……という正規ルートではなかったというコンプレックスが私の中で根強かった。
 ぼんやりとテレビを眺めていると、かすかに衣擦れの音をさせた柊夜さんがソファに腰を下ろす。
 私と冷戦状態になっているためか、互いに座る距離が離れている気がした。勝手に密着してくるときもあるくせに。
 柊夜さんは自分が飲むマグカップを持っているわけでもなく、ただ無言で座っている。この圧力に慣れているはずなのに、今は息苦しかった。
「今日はいいお天気ですね」
「……ああ」
「ヤシャネコは散歩ですかね。朝から姿が見えませんけど」
「……ああ」
「結婚式、素敵ですよね。私もしたかったな……なんてね」
「……」
 ついに沈黙で返された。
 私の話を聞いているのかなと、唇が尖ってしまう。
 柊夜さんの目線はテレビに注がれているが、つまらなそうに眺めているので内容についてはどうでもいいようだ。
 というか、芸能人の結婚式なんて興味がないのだろう。彼が求めているのは浮気に対する私からの謝罪しかない。浮気してないけど。
 溜息をこらえつつ、仕方なく私から切りだす。
「あの、羅刹とキスしてないですから。あれは彼が瞳の焔を見てほしいと言って……」
「そんなことは聞いていない」
 まだ話している最中なのに、ばっさり切り捨てられて、むっとする。
「じゃあ、どうして柊夜さんは怒っているんですか?」
「怒ってなどいない」
「怒ってるじゃないですか。そもそも羅刹は柊夜さんが会社に呼んだんですよね。上司なんだから、柊夜さんが羅刹を指導しておくべきじゃないですか」
 切れ上がった眦をさらに吊り上げた柊夜さんは、燃え盛るような真紅の双眸でこちらをにらむ。
 どう見ても怒っているのに、それを認めようとしない彼に腹が立った。