「……四つ葉のクローバーだ」
親指と人差し指でそれを摘むと、「えっ、ほんと?!」と慌てたように僕の方へ駆け寄って来る。
僕が持っているクローバーを見て、ほんとだー、と言って満面の笑みを浮かべる。
「ちょ…近っ…!」
慌てて顔を引くと、バランスを崩して芝生の上に尻もちをついた。
自分が原因だとも気づかずにキョトンとしながら、どうしたの、と尋ねられる。
「べ、べつに……」
フイッと顔を逸らすと、ふーんそっか、と軽い返事が返ってきたあと、
「でもさ、二人とも見つかってよかったね!」
彼女の圧に押され気味になった僕は、「うん、まぁ…」と頷くけれど、実際はどっちでもよかった。
「それより四つ葉のクローバーに何お願い事しようかな〜」
なんて言いながら、クローバーを見つめるから、思わず、え、と声をもらした。
「……お願いするの?」
「そうだよ。見つけたからには何かお願いしなきゃもったいないじゃん」
当然かのように告げられるから、そういうものなんだと納得する。
そもそも四つ葉のクローバーって、葉っぱが一枚多いだけじゃん。
それなのにそれに願い事をするなんて、三日月さんも乙女なところあるんだなぁ。
「何お願いするの?」
そう尋ねると、私はねー、とクローバーを見つめて頬を緩めながら、
「いつまでも楽しくいられますように、かな」
「……いつまでも?」
「うん。だって、いつ何があるか分からないでしょ?」
「そりゃあそうかもしれないけど…」
三日月さんならもっと違うことお願いしそうな気がした。
まあ、だからといってそんなこと四つ葉のクローバーにお願いしても無駄な気がするけれど。
それに僕は、元々そういう願いを叶えてもらうために何かを祈ったことなんかないし。
「どうせ無駄だ、とか思ってるんでしょ」
図星をつかれて、へっ、と思わず声が上擦っていると、ほらやっぱり、と僕をジロリと睨む。
……なんだよ。今の。
「カマかけたのかよ」
言い返すと、ううん、と首を振って、
「向葵くんの顔にそう書いてあったの」
告げられるから、証拠となる顔を逸らして見えないようにする。
「僕の心見透かすなよな…」
「だって向葵くん分かりやすいんだもん。思ってることが表情に出やすいって言うのかな?」
と、言ったあと、だから見てておもしろいんだけど、と付け足して笑った。
「……ほっとけ」
僕ってそんなに分かりやすいのか?
元々は表情の起伏がないって言われてたのに、いつからこんなになっちゃったんだ?
「それで、向葵くんは何お願いするの?」
「だから僕は何も…」
お願いすることなんかない。
「叶わないかもしれないけど、試しにお願いしてみたら? 願掛けの一種みたいなもので」
「願掛けって……」
いったって僕は、そういう類は信じないのに。
でも、この流れは断ったところで納得しなさそうだし……。
唯一、願いをするとすれば。
“少しでも明るく前向きになれますように”
これ以外、思いつかない。
「その顔は何か思いついたんだ?」
「…あー、まぁ…」
言葉を濁して返事をすると、何をお願いするの、と尋ねられる。
けれど僕は、秘密と言って言わなかった。
だって、願掛けってものは人に言ったら叶わないような気がしたから。
そしたら三日月さんは、ケチ、と言って膨れっ面をした。
なんで僕がそんなこと言われなきゃならないんだよ。
「それより写真撮らなくてよかったの?」
尋ねると、ほんとだ、と思い出したように目をまん丸にして、慌ててポケットからスマホを取り出した。
青春の写真を撮りたいって言ってるわりには、結構忘れてる三日月さん。
意外と天然なのかな。
「どうやって撮んの?」
「そうだなぁ……」
しばらく考えたあと「あっ」と何かを思いつき、僕の手を掴むから、
「ちょ、な、なに?!」
焦って、その手を振り解こうとするけれど、
「撮影ポイントを固定してるの! だから動かないで!」
と、さらにぎゅっと手を掴まれる。
あー……もう、なんなんだよ……。
こんなことで照れる僕なんて、僕らしくない。
ていうか、こんな自分なんて知らないし。
「よし! じゃあ撮るから、しばらくジッとしててね」
僕の手に四つ葉のクローバーを持っている自分の手を近づける。
そのせいで、おのずと近づく距離が、僕の鼓動を加速させた。
──カシャっ
わずかにライトが光った。
「も、もういい……?」
「あ、うん。大丈夫!」
即座に距離をとると、気づかれないように、ふう、と長いため息を落とす。
いまだ鳴り止まない鼓動が、耳までこだまして、僕の体温を上昇させる。
「うん、いい感じに撮れてる! …あっ、向葵くんも見てみる?」
尋ねられるけれど、今それどころじゃなかった僕は、
「いや、いい…」
「そう? もったいないなぁ」
僕とは対照的に四つ葉のクローバーに夢中な彼女。
僕だけが、全部意識してる。
僕だけが、緊張してる。
それが、すごく、すごく嫌で。
「……顔、あっつ」
ボソッと呟いた僕。
この陽照りのせいなのか、彼女のせいなのか、どちらなのか分からなかったけれど、
しばらくこの熱は、下がりそうになかった。
*
──バンッ
今日の朝も、理不尽に突っかかってくるやつが現れた。
藍原、だ。
「おいっ、昨日のあれは何だよ!」
つい最近、こんなやりとりをしたことを思い出す。
あれは確か、三日月さんが僕に用がある、と言って教室までやって来たんだっけ。
「……あれって?」
僕に尋ね返されたことにムッとしたのか、だからぁ、と声を荒げたあと、
「昨日、三日月さんと一緒に河川敷にいたらしいじゃないか!」
うわ、最悪だ。よりによって、あの場面を見ていたやつがいるなんて。
でも、そんなことに頷いてしまえば、藍原の逆鱗に触れかねないので、
「……なんのこと」
とぼけてみることにした。
けれど、それで納得するわけもなく、
「俺の同中のやつがお前と三日月さんを河川敷で見たってやつがいるんだよ!」
と、言葉をまくし立ててくる。
確かに、一緒にいた、のは事実で。
三日月さんが、四つ葉のクローバーを探してみたい、なんて言うからだ。
「で、どーなんだよ!」
少しイラついたように僕を急かす。
「…ああ、そういえば、僕が家に帰るとき後ろにいたかも。なんでも帰り道が同じだったらしいから一緒にいた、って勘違いされたのかな」
だから僕は、咄嗟に嘘をついた。
藍原の同中のやつが僕と三日月さんを河川敷で見かけた、と言っていたけれど、それはあくまで見かけただけであって、一緒に四つ葉のクローバーを探していたことまでは気づかれていないらしい。
「ほんとかよ」
「嘘だと思うなら本人に聞いてみたら」
いや、実際に聞かれて困るのは、もちろん僕だけれど。
そんな強気な発言してるけど、実際は手に汗握っていた。
でも、ここまで言わなきゃ真実味がないから。
「そっ、そんなことできないからお前に聞いてるんだろーがっ!」
顔を真っ赤に染めて、僕に突っかかる。
まるで僕は、責められている気分だ。
ほんっと、八つ当たりにも程がある。
「今答えたじゃん。それとも僕の言ったことが信じられない?」
全部、僕が何でも言うことを聞くとでも思っているのか。
そんなの、大間違いだ。
僕は、黙って言うことを聞くロボットなんかじゃない。
「茅影、お前…」
「なに?」
僕が言い返したことがそんなに驚くのか。
僕が言い返さないとでも思っていたのか。
藍原の今の表情は、まるで鳩に豆鉄砲を食らったかのようだった。
しばらく固まっていたあと、べつに、と視線を逸らしたのは藍原の方で、
「じゃあ最後に聞くけどさ、お前、三日月さんのこと好きなのかよ」
「……は? え?」
「どーなんだよっ」
全く状況について行けない。
どうしたらそんな話に逸れるんだよ。ていうか、一緒にいただけで好きって聞かれるとか、どういうことだよ。
みんな頭の中、色恋的な感情ばっかだな。
僕が、三日月さんを好き?
……笑わせてくれるな。
だって僕は、
「……全然、好きじゃない」
あんな自己中っぽいタイプの人は特に苦手だ。
勝手にテリトリーを乱されるみたいで、できることなら関わりたくなかったのに。
「ほんとに好きじゃないんだな?」
「…そう、言ってんじゃん」
誰かを好きとか、僕にはない感情だ。
今までも、そしてこれからも。
「…分かった」そう告げると、机から手を離して、
「ムキになって悪かったな」
「え?」
「…なんだよ」
藍原がいきなり謝るから、僕も、鳩に豆鉄砲食らった気分になった。
「あ、いや、なんでもない」
そう答えると、困惑したような気まずそうな表情を浮かべたまま髪をわしゃわしゃをかいたあと、じゃあな、と言って去って行った。
藍原が、謝った……。
その事実がいまだ信じられなくて、藍原の背中を目で追ってしまう。
──ピコンッ
直後、スマホが鳴ってハッとする。
こんな時間に誰だよ……。
僕にメッセージを送る相手なんてほとんどいないから、母さんから買い物頼まれるとかか?
机の中からスマホを取り出して、画面を開く。
【今日の二限目あとの休み時間、屋上階段に来てね! 絶対だよ!
追伸、来なかったら教室まで迎えに行くから】
メッセージの送り人は、母さんなんかではなく、三日月さんだった。
今までは、放課後に呼び出されることが多かったのに、今日は午前中?
しかも学校の中で?
学校で会うとなると誰に見られるか分からないから、できることならこのまま無視をしたいし気づかなかったフリをしたい。
でも、最後の文を見て僕には拒否権などないと思った。
だってそれは、まるで脅迫めいていたのだから。
だから僕は、
【分かった】
それだけ打ち込むと、スマホをしまった。
二限目あとの休み時間になって、僕は、誰にも気づかれないように屋上の階段へと向かった。
すると、すでに三日月さんは階段に座って待っていた。
僕に気づくと、スマホに落としていた視線を向けて、
「ちゃんと来てくれてありがとう!」
まるで、こうなることを予測していたかのように笑った。
けれど、僕からすれば、
「……そりゃあ、あれだけ脅迫されたら誰だって来るでしょ」
「脅迫? なんとことー」
髪の毛を指に絡めてクルクルと遊びながら、それより、と言って立ち上がった。
「見つからないうちに早く行こう!」
こんな場所に呼び出されて行く場所なんて、一つしか検討がつかないけれど、
「……どこに?」
「屋上!」
案の定、分厚い扉を指さした。
「いや、なに言って…」
「なにって屋上に行くんだよ?」
まるで、僕がおかしいのかと言いたげな表情で、キョトンとしたから、
「じゃなくて、もうすぐ授業始まるじゃん! なのに、なんで…」
「だから」僕の言葉に被せたあと、分厚い扉のドアノブへと手をかけて、
「授業サボって、屋上で青春してみたいから」
そう言って、ニコリと笑うと、ドアノブをひねる。
ガチャっと音を立てて開いた扉の向こうから、まばゆい光が差し込んで、僕は思わず、目を細めた。