僕たちは「青春」を追いかける。


───────…

教室は少し異様な空気で、その中に飛び込んだ僕も居心地が悪かった。

けれど自分の席に戻って、文庫本を広げる。


「おい」


けれど、文章を一行読んだところで声をかけられる。

しかも相手は、あの藍原だ。


「おい、聞いてんのか」


まるで人を見下したように、おい、で声をかけるなんて、ほんと最低なやつだ。


「……なに」

「さっきのあれどういうことだよ!」


“さっきのあれ”その一言で、何を問われたのか理解できたけれど。


「あれってなに?」


わざと気づかないフリをした。

すると、表情をより一層曇らせて「チッ」と舌打ちをする。


「三日月さんに呼び出されただろ! あれのことだよ!」


バンッと片手を机について、苛立ちを机にぶつけた。


どうして僕がキレられるのか分からない。

ほんっと、世界は理不尽だ。


「べつに何もないけど」

「ないって…じゃあ、何話したんだよ」


どうして僕が、そんなこと説明しなきゃならないんだ。

知りたいなら彼女に聞けばいいだろ。


「…べつになにも」


そう思って、また文庫本へと目を落とそうとしていると、


「なにもじゃなくて詳しく話せよ!」


そう告げて、文庫本を僕の手から取り上げる。

嫉妬、苛立ちの感情が交錯しているような瞳で、僕を見下ろす。

その目を今まで何度見てきただろう。

自分が優位に立てば、僕が従うとでも思っているのか。

……冗談じゃない。なんで僕が、藍原に従わないとならないんだ。


「話せって言われてもほんとに何もなかったから話すことないんだけど」


口早にそう告げると、


「答えたんだから早くそれ返してよ」


ジッと藍原を睨みつけた。

そしたら、なんだよ、と文句を言われる。


「……べつに」


これ以上、話すこともない。

どうせ、態度と言葉でこの場を支配したいんだろ。僕は、そんなのに屈しない。


そんな僕に腹を立てた藍原は、


「なんっだよ、お前…!」


文庫本を持った手を振りかざす。


「──待て待て、藍原」


その手を背後からパシッと掴んだのは、小武だった。


驚いた表情を浮かべたあと、顔を逸らして顔を確認すると、


「なんで止めるんだよ、小武」

「お前が今にもそれ投げそうにしてたからだろ」

「だからって止めんなよ」


不満そうに文句を告げる藍原を、まあまあ、となだめながら、文庫本を取り上げると、


「ほら、これ返すよ」


僕の机にそっと置いた。


これこそまさしく、目が点になる、だ。

「えっと、なに……」

「なにって文庫本返したとこ」


いや、それは見れば分かるけど、そう思いながら文庫本と小武を交互に見つめると、


「藍原が暴走して悪いな」


ごめん、と片手を立てて謝った。


小武が悪いわけじゃないのに、他人のために謝れるなんて、心広すぎだろ……。


「つーか、お前も謝れって」

「はぁ? なんで」

「藍原が茅影にちょっかい出すからだろ」


まるで僕は、蚊帳の外。

見上げたまま、二人のやりとりを見つめる。


……ていうか、小武がこの場を収めるなんて意外だった。

だって小武とは、特別仲良いわけじゃなかったし、小武も“そっち側”の人間だと思っていたから。

けれど、僕の見立ては少しズレていたようで。


「おいっ」


ふいに、呼ばれるから、めんどくさい、そう思いながら意識を向けると、


「……さっきは悪かったな」


ボソッと、小さな声で告げた。


けれど、理不尽にキレられた僕の気は少し収まらなくて、意地悪をしたくなった。


「え?」


だから僕は、聞き返す。

すると、だらかぁ、と声を上げると、


「悪かったなって言ったんだよ!」


吐き捨てるように声を落としたあと、チッと舌打ちを鳴らして、僕の前から立ち去った。

その後ろ姿は、とても大きかったけれど、怖く見えなかった。

だって、今僕は対等に話せていた気がしたから。


「ほんと、悪かったな」

「え? …あー、いやべつに…」


小武が悪いわけじゃないからそんなに謝られても困る。

目線を下げていると、


「あいつさ、三日月さんのことマジらしくて。だから、昨日茅影が呼び出されたことに対しておもしろくなかったんだと思う」


ああ、やっぱり。

ほら、結局僕は、何も悪くない。
ただ理不尽に苛立ちをぶつけられていただけなんだ。


「まあ俺も茅影が呼び出されたときは驚いたけどさぁ、三日月さん、見る目あるのかもな」


小武の言葉に、え、と困惑した声をもらしたあと、目線を上げると、


「ん? …ああ、こっちの話!」


ニカッと笑って言葉をはぐらかされた。


「ふーん……」


でも、まあいっか。どうせ、僕には関係のないことだし。


「じゃあ、ほんとさっきは悪いな!」


そう告げると、藍原のあとを追いかけた。


嵐のようにやって来て、嵐のように去ってゆく。

とんだ、いい迷惑だ。


窓の外へ目を向けて、ふう、と呼吸を整えたあと、文庫本を開こうとすると。

──キーンコーンカーンコーン

授業が始まると知らせる予鈴が鳴った。


休み時間に続きを読もうと決めていたのに、全然読めなかった。


「……最悪」


深いため息をついたあと、仕方なく文庫本を閉じた──。


──ピコンッ

放課後、帰り支度を済ましたあと、まだ文庫本の上に置きっぱなしで机の中に入っていたスマホが鳴った。


『裏門に来てね!』


相手は、連絡先を交換した三日月さんだった。


できることならこのまま無視して帰路につきたい。
だって、三日月さんに関わるとロクなことがない気がするから。


けれど、“一緒に青春しよう”という言葉を承諾してしまった以上、三日月さんと関わらないというのは無理な気がする。

連絡先を交換した上に、このまま僕が裏門に行かなければ明日の朝一で教室に来かねない。


「あー……選択ミスったかな…」


思わず、ポツリと呟いた。

スマホ画面を開いて三〇秒。


できることなら、昨日に戻りたい。

そうすれば、三日月さんと関わらずに済む選択をできるかもしれない。


──僕は、盛大に後悔をした。

重たい足取りで向かった裏門には、壁に背を預けてスマホ画面を凝視していた。

まだ、僕には気づいていないらしい。


「おーい」


声をかけるけれど、無反応で。

かといって、肩を叩いて、待った?なんて言えるような間柄ではない。

むしろまだ、三日月さんを警戒している。

……いや、三日月さんの周りを、だ。


可愛い転校生として知られている彼女のことを、どこで誰が見ているか分からないからだ。

藍原のように本気で好きなやつがまだ他にもいるかもしれない。

そいつがここを見張っていたら、僕はまた窮地に立たされるはめになる。


……て、やめやめ。どんどん考えが卑屈になってんじゃん。こんなんだから僕は、影が薄いとか暗いとか言われるんだろ。

と、頭を振ってかき消した。


すると、おもむろに顔を上げた彼女が、あ、と僕を見て声をもらす。


「いつ、来たの?」


なんて、ひどい質問だと思った。

まるで僕の存在に気づかなかった、とでも言いたげな言葉で。


「……今だけど」


不満に思いながら声を落とすと、そっか、と笑ってスマホをかばんの中にしまった。

“ごめん、気づかなかった”

なんて言われなかっただけマシだけど。

「それよりなんでこんなとこで待ってんの」


彼女を待たずに歩き出すと、それは、と言いながら僕の隣へと並んで、


「向葵くんに用があったからに決まってるじゃん。さっき連絡したでしょ?」


確かに連絡は来た。けれど、裏門に来てね、としか書かれていなくて。

僕が今聞いたことは、


「なんの用?」

「なにって約束したでしょ? 一緒に青春しようって。そのために話し合おうと思ってさ!」


僕なんかよりもテンションの高い彼女とは、波長も何もかも違うのに、どうして僕はここにいるんだろう、そんな疑問が湧いてならない。


「話し合うほど大ごとなわけ」

「え? だって話さないとちゃんと向葵くん協力してくれないでしょ。意味もなく他人のことに首突っ込むタイプじゃなさそうだし」


そう告げられて、まあ確かにそうだけど、と心の中で返事をする。

でも、意味もなく──、のところからは一言余計だった気もするけど。


「だからまずは、向葵くんに説明しようと思って!」


もう名前で呼ばれることに違和感がなくなってきた僕。というよりは、彼女に何を言っても聞かないからと諦めてきた方が正しいかもしれない。


そもそも彼女の言う青春って、


「……どんなことすんの?」

長年一人で過ごしてきた僕に、“青春”がどんなものなのか検討もつかない。


「ふつうの青春なら、人を好きになったり、恋したり、好きな人と一緒に帰ったり、大人数でフードコートに行って話したりゲーセン行ってプリクラ撮ったり」


どうやら僕は、その“ふつうの青春”さえできていないことを知り、

「……へぇ」

途端に虚しくなった。


そんな僕に、でもね、とズイッと顔を向けると、私がやりたい青春は違うの、と前置きをして、


「放課後帰り道にアイス半分こしたり、河川敷で四つ葉のクローバー探したり、屋上で大の字で寝転んだり、星を一緒に見たり、海ではしゃいだり、それから……」


指を一つずつ折りながら数えていき、次から次へと溢れてくる言葉に。


「──ストップ!」

「なに?」

「いや、なにって……やりたいことって、そんなにたくさんあるんだ……」


呆気にとられていると、ここからが肝心なところなんだけど、と前置きをすると、


「その青春を写真に撮ってSNSにアップしたいと思ってるの」


いつのまにか自分のスマホを、かばんの中から取り出して画面を僕に向けてくる。


「……は? SNS?」

「うん」


けれど、それを聞いた僕は、


「──いや、無理むり!」


思わず、彼女の方を向いたまま後ずさった。

そのせいで壁にドンッとぶつかって背中を打った。

いきなりすぎるだろ。ていうか、自分早まりすぎたのか……?


「写真で撮るのが無理なの? それともSNSにアップするのが?」

「……どっちもだよ」


SNSなんて今このご時世使って当たり前の時代で、高校生なんかほとんどの人が利用してる。

そんなものに写真をアップしてしまえば、五秒もあればあっという間に知れ渡る。

そんなの僕の生活を壊すのと同じだ。


「あ、でもね、写真撮るって言っても顔は載せないよ。背景をバックに撮ったり風景とか……あとは手足が多少映り込むくらい」

「……手足もアウトでしょ」


第一、制服が映ってしまえば、そこから学校名がバレてしまうかもしれないし。


「そこは向葵くんがセーフにしてよ」

「なんで、僕が…」

「そうしなきゃ写真撮れないんだもん!」


胸の前に、パチンッと両手を合わせると、


「一生のお願い!」


まるで、小学生が使う言い訳を口にした。


どうせ今までも“一生のお願い”なんて使ってきたんだろうな。


でも、みんなから騒がれている彼女なら、


「そういう青春するの僕とじゃなければできるんじゃない」


ほんとにそう思ったから言うと、え、と声をもらした彼女は、真っ直ぐ僕を見据えた。