「向葵くん、待たせてごめんね」


なんの脈絡もない言葉を落とすから、今度は僕が、え、と困惑して固まる。

さっきとどこも変わった様子はないし、三日月さんのままなのに。纏う雰囲気や空気が、わずかに変化したように感じ取れて。


「三日月さん?」


恐る恐る尋ねると、口元を緩めた彼女が。


「──ただいま」


そう、呟いた。


その瞬間僕は、自分を制御することができなくて、気がつけば彼女へと伸びていた腕。
そして、僕は彼女の存在を確かめるように髪の毛に手を滑り込ませながら、もう失わないようにと抱きしめる。


「ちょっと、向葵くんどうしたの?」


僕とは対象的な声色が、耳元で落ちる。

さっきまで僕のことを覚えていなかったのに、彼女が僕のことを思い出した。
それはもう、奇跡以外の何者でもなくて。

僕の瞳からは込み上げるものがあった。


「……よかった、よかった」


彼女を抱きしめながら、もうどこにもいかないようにと。
そのときの僕は、周りのことなんか一切気にならなかった。

とにかく、彼女の存在を確かめるように。
僕のそばからするりと逃げないように。


「心配かけちゃって、ごめんね」


そんな僕を慰めるように、彼女は僕の背中をポンポンッと優しく叩く。
「でも」言いかけて、手のひらがピタリと止まったあと、僕の背中に回っていた腕に、わずかに力が入ったあと。