僕たちは「青春」を追いかける。


「絶対、離れたりしないでね?」

「…分かったから」

「絶対だよ?!」


背中合わせの僕たちは、顔が見えないのに後ろから声が聞こえるっていう何とも不思議な感覚で。

女の子とこんなに密着したことがない僕は、緊張してやたらと汗かくし、鼓動がやけに早かった。


「なんで、こんなことに……」


思わずボソッと呟くと、


「向葵くん何か言った?」

「いや、何も……」


どうやらこの距離では、かなり小さな声でも聞こえるらしい。

ていうことは……


「やばっ」小さく慌てた僕は、その場を離れようと動くけれど「ちょっと」と背後からTシャツに伸びてきた手によって逃げることを阻止される。


「なんでいきなり動くの! 私、びっくりしちゃったじゃない」

「だだだ、だって…!」


声がかすかに聞こえてるってことは、僕の鼓動の音も聞こえてるってことになるし……


「だって、何?」


黙り込む僕に痺れを切らして催促されるけれど、素直に説明するわけにもいかなくて、


「……ごめん、小さな蜘蛛が手に乗ってきたから」


嘘をつくほかなかった。


「大丈夫だった? でも、次動くときは前もって言ってよ。びっくりしちゃうから」

「ごめん」


虫なんて全然平気だ。

そんなことよりも僕は、自分の背中に全神経が集中してやたらと落ち着かない。

背中越しに僕の緊張が伝わっちゃうんじゃないかと不安になる。
なればなるほど、さらに緊張して鼓動は加速する。負の連鎖。


「うわー、すごいなぁ」


三日月さんが声をもらしながら、パシャっと写真を撮る。

声の振動も、この場の空気も、体温も、息遣いも、まるですべて共有しているみたいで。

──僕は、どきどきが止まらなかった。


「ねぇ」


ふいに、彼女が僕に声をかける。


「……なに」


僕が、素っ気なく返事をすると、彼女が僕に全体重を預けるようにピタリと背中から頭までくっつけた。


「ちょ…っ」僕は、テンパって逃げようとしたけれど「向葵くんはさー」と声が聞こえてきたから逃げることはできなくて。


「流星群に何お願いしたい?」


こんな状況でそんなこと考えられるはずがなかった僕は、へ、と気の抜けた声をもらす。


「へ、って。流星群にお願いしないの?」

「いや、する…かもしれないけど」


でも、そんな状況じゃないし。

ていうかそもそも、


「お願いしたいのは三日月さんの方でしょ。何かお願い事するって言ってたじゃん」


放課後に散々ってほど聞かされた。そのせいで、今こうやって一緒に流星群を見るはめになってるんだけれど。


「あーうん。そんなこと言ったねえ」

「何か見つかったの?」


「そうだなぁ……」なんて言いながら、んー、と空を見上げて考え込む。

そのせいでピタリとくっつけられた背中は離れることはなく、後頭部までもコツンっと、僕に重なる。

だから僕は、気が気じゃなくなる。

流星群にも目を向けずに緊張していると「しいていうなら」と声が聞こえて、


「これからもっともっと楽しい人生でありますように、かな!」

「……へえ」

「へえ、って。もっと興味持ってよ! 向葵くんが聞いてきたんじゃん」


僕が聞いてきた? いやいや、違う。三日月さんが話しを振ってきたから、それを聞き返したまでで。僕が話しを振ったんじゃない。

なんて言い返すのも面倒くさかったので「あー、うんまあ…」と濁した。


でも、三日月さんならもっとべつのこと頼みそうだと思ったのに。

それに、


「そんなこと頼まなくても三日月さんならこれから楽しいことなんていくらでもあるでしょ」


だって、僕とは対照的に明るくて可愛いと人気者で、彼女の周りにはいつもたくさんの人がいる。


「それは人生だから分からないでしょ? だからこそお願いしようかなって思ったの」


人生って。そんな壮大なことお願いしたのか?

でもさ、そんなの。


「べつになにもすぐ死ぬんじゃないんだから」


いつも“超”がつくくらい前向きなのに、お願い事になると後ろ向きになるよなぁ。

なんて思っていると「でもね」ふいに、静かに落ちた声に耳を傾けていると、


「人間って生まれたときには、その人がどれくらい生きるのか寿命がすでに決まってるんだって」

「寿命が?」

「うん。だから私も向葵くんも、みんなも決まってるの。命の限りってのが」


なんだか急に壮絶な話になって頭が追いつけずに、静かに黙ったまま聞いていると。


「だからね、限りある命の中で私は一生懸命自分が生きた証を残したいの。こんなに楽しい人生だったんだよって、みんなに残したいの」


背中越しに伝わってくる思いが、やけにリアルめいていて。

三日月さんが僕に青春を一緒にしよう、と声をかけてきたのは、それが理由だったのかと思った。

でも、だからってなんで僕だったんだろう。

そんなことよりも、


「なんかそれ聞いてると、まるで三日月さんがいなくなる前提…みたいに聞こえるけど」


心の中に浮かんだ疑問を聞かずにはいられなかった。


僕は、たまらず空を見上げる。

そしたら次々と空を流れる流星群。夜空を照らす光になって。僕たちに道標を示してくれているようで。


「そんなわけないでしょ」


僕の肩を小突いた三日月さん。

いたっ、と言いながら視線を下げると、いつのまにか僕の背中から彼女の温もりは消えていた。

「私はね、自慢じゃないけど長寿命だって言われたの!」


僕にズイッと手のひらを向けるから、


「は、何の話?」

「だからー、これ。これ見てよ」


手のひらに指をさした。多分、生命線について見ろってことなんだろうけれど。

僕は手相について全く分からないから、はあ、とだけしか返事ができずにいると「ね、これで分かった?」とまくし立てられる。


「私、まだまだ生きるつもりだから勝手に殺さないでよね!」

「……いや、べつにそういうつもりじゃないし」


そもそも僕が悪いんじゃなくて、三日月さんがややこしい言い方なんてするから勘違いするんだろっ。


ジャングルジムのてっぺんで、そんな子どもじみた言い合いをする僕たちは。

一体ここに何をしに来たのか。


忘れてしまいそうに、なったんだ──。


一緒に流星群を見に行ってから一週間が過ぎた。
七月五日。天気は晴れ。
あと少しもすれば、夏休みがやって来る。


頭の後ろで手を組みながら不貞腐れたような表情を浮かべて。


「今日も三日月さん休みだってよ」


と、藍原が教室に帰って来た。
おそらく三日月さんの教室に行ったんだろう。

確かに、僕も気になる。

だって金曜の夜に会ったのが僕だから、もしかしたら風邪をひいて寝込んでいるのかもしれないと思ったから、だ。

だから僕は昨日も一昨日も彼女にメッセージを送った。

けれど、全くの無反応で。


よっぽど体調が悪いからスマホさえ見れていない状態にある、と推測する。


「なぁ、おまえ何か聞いてねえ?」


突然、僕の前へやって来た藍原。


「……誰に聞いてるの?」

「茅影、おまえだっつーの!」


だったら最初から名前で呼べばいいのに。わざわざ“おまえ”だなんて意地悪なやつだ。


「さあ、僕には分からないけど……」

「ほんとか? なにも?」


ていうか、三日月さんのことを何で僕に聞くのかさっぱりだ。


「なにも知らない」


むしろ知りたいのは、僕の方だ。


「ふーん、あっそ」


不満そうに不貞腐れながら、壁に背を預ける。

だから僕は、文庫本を開いて周りをシャットアウトする。

「おーい、藍原」


けれど、すぐに聞き覚えのある声が聞こえて、僕は文庫本から意識をスライドさせると、小武がやって来た。


「なんか三日月さん体調崩して休んでるんだってよー」

「はっ? まじで?」

「うん、隣の担任がそんなこと言ってるの聞こえてきてさぁ」


体調崩して……

やっぱり、流星群なんか見に行ったから。

……僕の、せいだ。


文庫本をパタンと閉じて、机の中からスマホを取り出す。


「おい、何してんの?」


いきなり声をかけられるから戸惑って「へっ?」声が上擦ってしまう。


「スマホで誰かにメッセージでも送んのか?」

「あ、いやー、べつに……」

「ふーん」


三日月さんの連絡先知ってるなんて知られたら絶対教えろって言われそうだよな、と。渋々、スマホを閉まった。

僕を怪しむように見るから、なるべく動揺しないように、また文庫本へと手を伸ばす。

けれど、僕の頭は三日月さんのことでいっぱいだった。

不安と心配と罪悪感で、支配される。


「あーあ」

頭を抱えて項垂れる藍原は、


「三日月さんに会えねえのはつらいなぁ……」

「少しくらい我慢しろよ」

「いや、だってよー、あの天使を見れないってなるとすっげぇパワーがなくなんの」


よっぽど三日月さんのことが好きなんだな。


「あー、会いたい」


恥ずかしげもなく呟くから、逆にこっちが恥ずかしくなる。

でも──

その気持ちは、分からなくもない。


………“分からなくもない”?


「僕が……?」


三日月さんに会いたいってことか?

それって、ただの友人として?
それとも人として?

あるいは──…


「おい、茅影」

「どうかしたか?」


小武と藍原が僕を不思議そうに見る。

今の声、言葉に出ていたのか?


「あ、いや……」


なんでもない、と首を振る。


藍原が会いたいって呟いた言葉を僕が分からなくもないって。

それって、つまりそういうこと……?


いやいやいや、まさか、な。

だって僕は、好きな人もいなくて好きって感情さえも分からなくて、色恋的なものなんて必要ないやつで。

そんな僕が、誰かを好きになるはずない。

これは何かの間違いだ。


ないない、と頭に浮かぶ「それ」をかき消して、文庫本を開いた。

一行、二行と読んでいくけれど、全く頭に入ってこない。

その原因は分かっていて。

けれど、どうすることもできなかった僕は悩んだ。

悩んだが、答えに辿り着くことはなかった。

* * *

学校が終わって校舎を出たタイミングで、ピコンッとかばんの中のスマホが鳴る。

もしかして三日月さん?!

慌てた僕は、かばんを開けてスマホを確認する。

けれど、相手は三日月さんではなく。


【帰りにお醤油買って来てね】


母親からの頼まれ事だった。


「………なんだよ、もう」


紛らわしいなぁ。

【了解】とそれだけを送ると、三日月さんのメッセージを確認するけれど、既読さえもついていなかった。

やっぱり、かなり体調良くないんだ……。


お見舞いに行きたいけど、行ったら迷惑かもしれないし、そもそも家がどこなのかも分からないし。


「はーあ」


なんだこれ。まるで、好きな人からの連絡を待つ人の気分だ。


「……いやいや違うって!」


一人路上でノリツッコミをしてるから、周りにいた生徒は僕を見て、ひそひそと話す。

うわっ、最悪。絶対僕のこと変なやつだと思われた。


「くそっ……」


かばんの中にスマホを投げ込むと、近くのスーパーに向かった。