僕たちは「青春」を追いかける。


「──あっ、見て!」


ふいに、立ち上がると窓の外へ指をさす。

感情に困惑しながら、つられるように僕は視線を向けた。

すると、窓から見える空の景色が。夕陽のオレンジ色と空の青色の境い目が、絶妙なコントラストで。


「……すごっ」


確かに綺麗で、思わず声がもれる。

そしたら、僕を見て「ね」と笑った。


「雲もオレンジ色で、すごく綺麗だね」


心がからっぽになって、空の景色に夢中になる。

今までこんなことなかったのに、三日月さんに出会ってからよく空を見上げるようになった。


おもむろに窓の鍵を開けた三日月さん。

むわっ、とした生ぬるい風が入り込むと、彼女の髪の毛が軽く揺れる。
たったそれだけのことで、暑さなんて気にならなくなる。


「あの雲、アイスクリームに似てない?」

「……そう?」

「絶対そう。しかもオレンジ味のアイスクリーム!」


空のキャンパスに夢中になる彼女の横顔は、とても楽しそうで。

気が緩んだ僕は、ふっ、と声がもれる。

それに気づいた彼女は、くるりと僕の方に振り向いた。


「なに?」

「いやっ、なんかおかしくって…」

「もしかして私のこと言ってる?」


不満そうに頬を膨らませた。彼女は、リスのようで。全然怖く見えない。

「だって、なんか、はしゃいでるから…」


よっぽど楽しいんだろうな、そう思っていると、フンッ!と効果音でも出そうなほど、勢いよく前を向いた。

怒らせたのかな、と心配していると、


「……だって、楽しいんだもん」


ボソッと聞こえたその声は、少し遠慮がちに聞こえる。


「楽しい?」


僕の声に、うん、と頷いたあた、


「こんな青春したかったから」


彼女の横顔しか見えなかったけれど、その横顔が、ほんのりと染まって見えた。

その表情を見て、それが伝染するようで、


「そ、そっか」


僕の顔まで熱くなった。

なんだこれ。

同じ時間を共有して、同じ感情まで共有してるみたいで、少し照れくさくなる。


けれど、僕は思った。


「三日月さんの気持ち、少しだけ分かる気がする」


そう言葉を紡ぐと、え、と困惑した声をもらしたあと、一瞬僕の方をチラッと見た彼女。


「なんか、今までの僕は空を見上げることもなかったし四つ葉のクローバーを探すことだってなかった」


そんなこと考えたこともなかったし、なんなら、周りがしている青春なんてバカみたいだと見下していた。

でも。


「これが青春なのかなって、少しだけ…」


言いかけて、口ごもる。

言おうか言わないか悩んでいると、そんな僕を察してか、


「楽しく思った?」


柔らかい口調で、微笑んで尋ねた。

だから自然と、その問いに、頷いた。

そしたら、そっか、と笑って、


「じゃあ私のおかげかな?」


なんて尋ねられるから。


「……さあ、どうだか」


わざと、はぐらかしたんだ。


僕は、今まで何も楽しくなかった。

けれど、自分の世界を壊す勇気なんかなくて、じっと殻に閉じこもって。僕をからかうやつは、みんな敵だと思った。

みんな嫌いだった。

三日月さんに出会ってから、そんな些細なことが少しずつ変わり始めて。

間違いなく、彼女のおかげだと思った。

だけど、それを認めてしまうのが、まだ僕にはできなくて。


「もう、素直じゃないなぁ〜」


僕を見て、ふふふっと笑うから「……ほっといて」と熱くなった顔を逸らしたんだ。
きっと僕の顔は、赤くなってる。だって、こんなに熱くなってるんだ。


「あっ!」おもむろに声をあげた彼女にビクッと緊張しながらも、チラッと視線だけをそちらへ向ければ。


「向葵くんの顔、赤くなってる」


それを、わざと指摘する三日月さんは意地悪で。
いたずらっ子のような表情を浮かべていた。

「もしかして照れてるの?」


からかうことをやめない彼女に「違う」と否定した僕の言葉なんて信憑性なんか一つもないけれど。


「こ、これは、夕陽のせいだ……!」


僕が、照れているからじゃない。

夕陽のオレンジ色が僕めがけて反射してくるから、そう見えるってだけであって。

そんな僕を嘲笑うかのように、ふーんへーえ、とわざとらしく声をあげる。


「な、なんだよ……」


ドギマギする僕に「ううん、べつに」と首を振ったあと、


「じゃあ、そういうことにしておこっか」


まるで僕の言葉を嘘だと見抜いた前提で、嘘に付き合ってあげるとでも言いたげな言葉を落としたのだ。

そのあとは、何事もなかったかのようにくるりと窓の方へと視線を戻した三日月さん。


なんだかそれが悔しくって、


「……僕ばっか、損してんじゃん」


ボソッと呟いた言葉は、開いていた窓へと吸い込まれて消えた。



六月も終わりに近づいてきた今日この頃。

最近僕の周りでは、不可解なことばかりが起きていた。

そして今日もまた。


「なぁ、三日月さんって好きなやついないのかなー」

「さあ、どうなんだろうな」


僕の席の周りに藍原と小武がいるのだから、驚きだ。


「あー、ほんと三日月さん天使!」


なんてバカみたいに鼻の下を伸ばしている藍原の顔をチラッと見たあと、文庫本へと目線を戻す。


「一度でいいから三日月さんと付き合ってみてぇなぁ」

「じゃあ早く告白しろよ」

「ばっか! それができたら苦労しねぇよ!」


けれど、その場にいるってだけで気が散る上に、そんな大声で話をされていたら内容どころではなくなる。

はあ、ため息をついたあと、


「あのさぁ、なんでここにいるの」


文庫本から目を離して二人を見ると、なんでって、と壁に背もたれていた藍原が、


「お前が一人じゃ寂しいだろうから相手してやろうと思って」


上から目線でモノを言うから、そのまま無視をして文庫本を読もうと目線を下げると、おいっ、と小武が藍原に小突いて。


「嘘ついてんなよ。さっき、茅影のとこ行こうって言ったのは、おまえだろーが」


と、笑いながら言うから、え、と困惑した僕は、また顔を見上げる。

すると「はぁ?」と顔を真っ赤にした藍原が、


「そっ、んなこと、言ってねぇーだろうが!」

「恥ずかしがるなって。つーか、いい加減、友達になりたいからってスパッと言えよ」

「思っ…てねぇよ!」


まるで蚊帳の外の僕は、小武の言葉に鳩に豆鉄砲を食らった気分になって二人を交互に見つめる。


「ったく。素直じゃねぇなぁ」


小武が、藍原を見て笑う。その藍原は、なぜか恥ずかしそうで。

「う、うるせー」言った藍原は、照れくさそうにムスッと唇を尖らせながら腕を組んで、壁に背を預けた。

ていうか全然僕だけ分かってないことも不満なんだけれど、そんなことよりも、


「……まだ、ここにいるつもり?」

「そうだけど、何か不満?」


「いやっ、何かって…」口ごもる僕を、じーっと見つめる小武。
その視線の端に藍原もチラッと見えた。


「ほら、僕今から本読むし……」


なーんか気まずくて、目線を下げる。

今までなら藍原はすぐ僕の前から去っていくはずなのに。


「そー言わずにたまには話でもしようよ」

「え、話?」


僕となんの話をするって。僕なんかと話したって大しておもしろくもないし、合う話があるとも思えないし。


「例えばさぁ、恋愛の話とか」


告げられて、え、と驚いた僕は目を点にする。

なんで僕にその話を聞こうと思ったのか謎だ。


「茅影だって恋愛の一つや二つはあるだろ?」

「いや……ない、けど……」

「今まで一度も?」

「うん」


僕は、そんなもの知らない。

こうやって誰かと色恋的な話をしたことだってない。

だから、なんかくすぐったいような恥ずかしいような気持ちになって。


「なんで僕にそんなこと聞くの……」

「だって気になるじゃん。最近、三日月さんと仲良いみたいだし」


僕へ向けていた視線を横に移すと「なぁ? 藍原」と、ポンッと藍原の肩に手をついた小武を鬱陶しそうに「うるせー」と払いのける。


僕が、三日月さんと仲良い……?

それ、前にも聞かれたような気がする。

ていうか、少し仲良いからってなんでそんな気になるんだよ。


「だからどうなのかなぁって思ってさ」


そーか、分かったぞ。藍原が、やたらと僕を気にかけてたのは三日月さん絡みか。


「悪いけど、僕はそういうの一切興味ないから」

「え、まじで?」


だって僕には、そんなもの必要ないし。

そもそも、


「……好きって、よく分からないし」


だから僕は、人を好きになったことがない。


「「まじ?」」


二人して驚いた表情を僕に向けるから、なんだよ、バツが悪くなって目を逸らす。

人を好きになったことがないからって悪いのか? 誰かに迷惑でもかけたのか?

僕は、自分の意思でこの生活をしてきたんだ。


「じゃあ誰も好きになったことないのか?」

「…そう、だけど」


さっきまで拗ねていた藍原が「ふーん、へーえ」と何か言いたげな様子で、僕をじろじろ見る。
その姿は、気持ち悪いったらありゃしない。


「じゃあさ、どんな子がタイプとかも分かんないの?」


小武に尋ねられて、うーん、と考えるけれど。


「ない、かな」


好きなタイプって言われても、そもそも僕女の子とまともに接したのって三日月さんくらいだし…


「じゃあ、可愛い系か綺麗系だと?」

「え? ……いや、その前に僕が選ぶ側ってのがおかしい気がするんだけど」

「まあまあ、とりあえず」


可愛い系と綺麗系?

そんなの考えたこともない。ていうか、そもそもどこからその基準になるのか分からないし。


「どっち、なんだろう…」


それ以前に、話題の中心に自分がいてそわそわして落ち着かない。
できることなら早く文庫本を開いて落ち着きたい。

元の生活に戻りたい。

「んー」腕組みをしながら考える小武が、「あっ!」声をあげて、僕の隣の席で女の子たちが雑誌を開いているところに割って入った。

何してるんだろう、思いながら目の前の視線の方が気になって目線を下げていると。


「じゃあさ、この中なら誰がタイプ?」


突然、バサッと机の上に雑誌を広げられるから、え、と困惑して固まる僕。

さっき女の子たちからこれを借りたのか?


「べつに好きじゃなくてもこの人いいなって思う人くらいは分かるだろ?」

「え? いや、まあそうかもしれないけど…」


そもそも何で僕がそんなことしなくちゃならないんだよ。


「ほらほら、早く選べって」


固まる僕をからかうように藍原が声をかけるから、あーもう鬱陶しいな、そう思って、適当に雑誌の中に指をさす。

そこには僕の意思なんて反映されていなかったけれど、


「へえ、茅影は可愛い子がタイプなんだな」


小武が、僕が指さした子を見て推理する。

つられて雑誌をまじまじと見る僕。なるほど、こういう子が可愛いタイプに含まれるのか、僕は初めて気づく。


「じゃあさー、やっぱ三日月さんも可愛いって思う?」


なんて突然、雑誌とは全く無関係な話題に切り替わるから、さすがについていけず「は?」思わず声がもれる。