「あの桜の花が散る頃かな」
お兄ちゃんのつぶやく声にはっとする。
顔をあげたら、お兄ちゃんが笑ってあたしの頭に手のひらをのせた。
「研修は実家から通える工場で受けて、それから配属先が決まるらしい。だから、ここ出てくのなんて、まだずっと先だよ」
お兄ちゃんが優しい目をしてそう諭す。
だけどそう言ってくれたのは、今にも泣きそうな顔をしているあたしを一時的にでも慰めたかったからだ。
この辺りの桜は遅咲きだから、満開になった花が散り始めるのは五月の初め。
まだずっと先だ。
お兄ちゃんはそう言って笑ったけれど……
「さよなら」までの時間が残り少ないことが、あたしにはちゃんとわかっていた。
寂しげに立ちすくむ冬の桜の木は、儚げで頼りない。それをじっと見つめたまま、あたしは最後まで就職先が決まったお兄ちゃんに「おめでとう」の言葉が言えなかった。