「寮長が貸してくれた」
どうやら、卒業生が寄付したものらしい。というと聞こえがいいけど、実は選択科目で書道を取っていた子が、「使い道ねえし、邪魔」と置いていっただけだとか。
「で、なにをするんですか。書道なら自分の部屋でやってください」
私の私物に墨が飛ぶのは勘弁してほしい。といって夜中に二人きりでいるのを見られると、またあれこれ言われるので、別の部屋は使えないけれど。
「もちろんだ。手を貸してほしいと思って、誘いにきた。汚れてもいい着物で来てくれ」
数分後、私は黒いジャージの上下で土方さんの部屋にお邪魔した。入るとき、誰も見ていないか警戒しながら。
土方さんは真剣な顔で墨を擦っている。そのまま使える墨汁もあるのに。むしろ、現代ではそっちが主流。その存在すら知らないのかな。
「俺は近藤さんほど字を書くのが好きじゃねえんだ。そっちを持っていてくれ」
近藤勇さんは、新選組局長になってからも毎日書道の練習をしていたという。
土方さんは緊張した面持ちで、筆を走らせた。その行書が上手いのか下手なのか、素人の私にはよくわからない。
男女ふたりきりなのに、まったく色気もそっけもない時間が過ぎた。私は土方さんの揺れる髪や、長いまつ毛ばかり見てしまっていた。
いや別に、色気がある展開を期待していたわけではない。断じて、そうではないから!
私の視線に気づいたのか、土方さんがふと顔を上げた。
「ちょっと待ってろ。終わったら、相手してやるからな」
「ななななんの相手ですか」
どもった私に、土方さんは薄く笑いかけ、紙に視線を戻した。
今、子供扱いされたの? それともからかわれたの?
私はむっと頬を膨らませ、筆の動きを見ることにした。