「お願いです。無茶しないで」
「わかった」
「どこにも、行かないで……」
あなたが好きだからとは、口が裂けても言えない。これは私の、自分勝手な願いだから。
もうこれ以上、大事な人を失いたくない。たとえその人の一番が、私じゃなくても。
「わかったって。だからもう泣くな」
ガラス細工に触るような力加減で私の髪をなでるのは、いつもより優しい土方さんだった。手が少し震えているのがわかる。
彼の胸から、悲しみと喪失感が伝わってくるような気がした。とくんとくんと、鼓動と共に彼の痛みが流れ込んでくる。
私は彼の背中に、ゆっくりと手を回した。私たちは支えあって、やっと立つことができていた。
「なんだい、昼間っから。痴話ゲンカなら他のところでやっとくんな」
剣呑な声にハッとし、土方さんから体を離した。すぐ近くのお茶屋さんから出てきた頑固そうなおじいさんが、お水を桶に入れて柄杓を構えていた。
まさかと思ったけど、おじいさんはそのまま私たちの足元目掛けてパシャっと水をまいた。よっぽど私たちが商売の邪魔だったのだろう。
「おっと」
土方さんはとっさに私を背後に回した。そのおかげで私は濡れなかったが、土方さんは膝から下をびちゃびちゃにされてしまった。