図書新聞の原稿入力は間もなく完了し、松木先生のチェックでOKが出た。俺が書いた文章も、そろったフォントで印刷されると上手そうに見えるから不思議だ。
上手そうに見えるのは活字の効果と言ってしまえばそれだけかも知れない。でも、もしかしたら、大鷹が褒めてくれたせいかも、と、ふと思った。
あのとき、彼女は具体的に良いと思うところを伝えてくれた。今、印刷されたものを読んでも、確かにそのとおりのような気がする。あくまで気がするだけだし、その評価がほんとうに正しいかどうかは分からない。けれど、彼女のおかげで俺の文章コンプレックスが少し減ったのは間違いない。
新聞の印刷作業は放課後に担当みんなで集まってやった。印刷とクラスごとに分ける作業は8人いればどんどん進む。
集まって作業をすると、それぞれの性格が出たりして面白い。まだあまり親しくなかったメンバーが、作業が終わるころには冗談がちらほら出るくらいになっている。
「え? やだ! 違うよ!」
小さな作業部屋に大鷹の声が響き渡った。「え~、違うんですか~?」という不満そうな声は1年生の女子たちだ。
「どうした?」
手を止めて尋ねると、大鷹と1年生ふたりが振り返った。俺の顔を見て三人とも後ろめたそうに口をつぐむ。もしかして、誰かの悪口でも言っていたのだろうか?
微妙な表情で目を伏せる大鷹と、こそこそと合図を送り合っている1年生。これはいったいどういう意味だろう? 小さな部屋の中に緊張感が薄く広がっていく。もしかしたら、悪口のターゲットは俺だったりして……。
「だから早とちりするなって言ったのに」
1年生唯一の男子、飯山くんが呆れた調子で言い放つと、大鷹の隣の女子ふたりが身を縮めた。どうやら彼は事前に話を聞いていたらしい。小さくなっている女子たちにため息をついてみせたあと、俺の視線に気付いて姿勢をあらためた。説明できないでいる女子たちに代わって、何の話か教えてくれるようだ。
「鵜之崎先輩と大鷹先輩は恋人同士に違いないって、ふたりが言ってたんです」
はっ――と息を詰めたけれど、飯山くんの飄々とした話しぶりに救われた。あまりにも落ち着いていて、俺が取り乱す余地がない。
「先輩たち、昼休みに図書館で入力作業をしていたじゃないですか。それが仲が良さそうだからって、絶対そうだって言い出して……。俺は、解釈が一気に跳び過ぎだし、違ってたら失礼だって言ったんですけど、ふたりは勝手に盛り上がっちゃって」
「だって、見つめ合ってるように見えたから……」
「へ、へえ……、そうだったっけ?」
そんなふうに観察されていたとは気付かなかった。
まあ、見つめ合っていたというのはかなりの拡大解釈だろう。ただ、楽しかったのは本当だから、仲が良さそうに見えたのは間違ってはいないと思う。
でも、大鷹はきっぱりと否定した……ということだ。彼女にはそんなつもりはまったくなかったのだ。
「悪かったねえ、勘違いさせちゃって」
恐縮して小さくなっているふたりに向けて言う。へらへらした態度はあまり格好良くないけれど、この場を丸く収めるにはこのくらいがいいだろう。
「俺が図書委員初心者だったから、心細くて委員長にたくさん頼っちゃってさ。委員長、面倒見がいいから、入力のあいだずっと付き合ってくれて。誤解されちゃってごめんな、委員長」
これはほんとうの話だから大鷹が困ることはない。なのに彼女は、まるで俺がウソをついたみたいに目を見開いて見返してきた。
「う、ううん。気にしてないよ」
すぐに笑顔をつくって答えた大鷹に、1年生の女子が頭を下げる。それにも笑顔で首を横に振る彼女。
「よし、じゃあ、配布物ボックスに入れに行こう。それで完了だよな?」
「うん」
大鷹がうなずくと、2年2組のふたりが手際よく1年生に指示を出して図書新聞の束を持たせていく。
「ボックスにはあたしたちが入れておくから、鵜之崎くんと紫蘭は消灯と戸締りお願い」
「分かった。じゃあ、そのまま解散で」
「はーい。みんな、自分の荷物も持ってね」
「お疲れさまでしたー」
配布物ボックスに向かう6人を見送り、窓や印刷機など室内を点検する。電気を消して鍵を閉め、そこで初めて彼女と向き合った。
「忘れ物、ないよね?」
「うん。全部持ってる」
もう一度、自分たちの荷物を確認。
「鍵は俺が返してくる。大鷹も部活行っていいよ」
俺を見上げた大鷹の唇が小さく開いた。けれど、言葉が出ないまま小さく息を吐いただけ。
「……ありがとう。じゃあ、行くね。お疲れさま」
ただ下を向いたのか、俺に頭を下げてくれたのか、よく分からなかった。歩いていく彼女がどんな表情をしているのかも、まったく分からなかった……。
遅れて参加した部活の休憩中、高砂が怖い顔で近付いてきた。
「景、聞いたぞ」
「何を?」
今日はいろいろな話が出てくる日らしい。
高砂を不機嫌にさせるような話って何だろう。もしかしたら、次の試合のメンバーが決まったのかも。で、俺だけがスタメンに選ばれたとか? それだったら嬉しいけれど。
「お前、彼女ができたんだって?」
「んん?!」
危うく麦茶を噴き出すところだった! またその話だなんて!
「俺の前では女子に興味がないような顔してたくせに! 陰でちゃっかり彼女持ちになってるとは何事だ!」
ゲホゲホと咳込んで答えられない俺に、礼央が「大丈夫?」と声をかけてくれた。それに手を上げて応えているあいだに、高砂がさっきの言葉を礼央に繰り返した。
「ああ、その話。俺も知ってる」
咳が収まった耳に礼央の声が聞こえた。タオルで口を押さえて礼央を見ると、笑顔をこちらに向けた。
「景と大鷹ちゃんのこと、うわさになっちゃったみたいだね。1年生のあいだで」
なるほど。バレー部の1年生にも伝わっていたのだ。昼休みの作業はほんの3日だったのに、情報のスピードのなんと速いことか。ついでにさっき否定された情報も高速で伝わっていればよかったのに。
「あれは勘違いなのに……」
ため息交じりにつぶやくと、「え? そうなのか?」と高砂の眉間のしわが消えた。
「昼休みに図書委員の仕事をしてたのを見た1年生が勘違いしたんだよ。さっき、その話の出どころに『違う』って言ってきたんだけど」
「その前に広まってたね」
礼央がさわやかに笑って続ける。
「俺はきのう聞いたけど、景にわざわざ教える必要はないと思って」
「教えてくれればよかったのに……」
「それを知ってどうなるの? もう大鷹ちゃんとはしゃべらない? それともうわさを訂正してまわる? どっちも非現実的だよ」
「それはそうだけど……」
不意に大鷹の否定する声が頭の中でよみがえった。俺の視線を避けるような態度も。鳩尾のあたりが重苦しくなる。でも――。
「その話、礼央がちゃんと否定しといてくれたんだよな?」
こんなところで落ち込んでちゃダメだ。まるで失恋したみたいじゃないか。
「まあ、一応ね」
「なんだよ、一応って! 勘違いだって知ってたくせに。これで俺に憧れてた誰かがあきらめちゃったらどうするんだよ?」
そうだ。俺はまだ彼女のことを好きなわけじゃなかった。好きになるかも知れないって思っただけで。
「うわーん、高砂、助けて! 景が暴力に訴えようとするよぅ」
「待て、礼央」
大鷹にはまったくそんな気持ちがないって、早く分かって良かったじゃないか。これでもう恋かどうかなんて悩まなくて済むのだから。これからはすっきりと “友だち” として付き合える。
なのに――。
胸に広がる暗い空間は……。
喪失感、だろうか。