――剣の道か……。

ベッドにごろんと横たわり、天井を見上げる。文庫本の『五輪書』に人差し指をはさんだまま。

昼休みに学校の図書館で借りてきた『五輪書』。原文と現代語訳が載ったその本は、思っていたよりも読みやすかった。と言っても、まだ最初の「地の巻」だけど。

剣豪と言われた宮本武蔵は、一部で失われつつあった真正の武士としての生き方や研究の末にたどり着いた剣の極意を伝えようとこの書を著したらしい。()(すい)()(ふう)(くう)と五つに分けられた巻はそれぞれ兵法の道、二天一流の基本、戦い、他流派との違い、心の有りようを説いている。

まだ少ししか読んでいない俺にも伝わってくるのは、この宮本武蔵という人物の迷いのなさだ。武士として生きる覚悟。

当時の身分制度による考え方があるにしろ、武蔵は武士の道をただ歩むだけじゃなく、究めようと生きてきた。独自の二天一流――二刀流――を編み出したのもその一環だ。あくまでも勝つことにこだわったのは、武士の戦いは命のやりとりだからだ。戦の現場では負けたら死んでしまう。中途半端な気持ちで刀を抜くことは――まして、金儲けの種にするなど――あり得ない。

読みながら頭に浮かんだのは諒のことだ。小さいころからあらゆることを知りたがっていた諒は、だから勉強が好きで、今では宇宙の謎に挑む研究の道に進もうとしている。武蔵とは道は違うけれど、ひとすじに進み続けているのは同じだと思う。

じゃあ、俺は? ――そう思ってしまった。

俺がひとすじに進みたい道とは何だろう?

勉強? べつに嫌いではないけれど、ピンと来ない。

バレーボール? 中学から続けてきたし、好きだ。でも、ひとすじに打ち込めるかと問われたら……、受験もあるし……。

ほかに何がある? これから何が見付かる? 見つかる可能性はあるのか?

「はあ……」

腹の底からため息が出てしまった。自分の未来がつまらないもののような気がして。自分が何者にもなれないような気がして。

諒には進みたい道がある。そして才能があり、自らの力で扉を開けてきた。でも、俺にはやりたいことも才能もない。

何かを見つけようと思うと、浮かんでくるのは濃い霧が渦巻く中に立ちすくんでいる自分。この真っ白な中を手探りでうろうろするしかないのか。

こうやって考えているあいだにも時間は流れていく。明日になり、明後日になり、やがて一か月、一年……。止まらない時間に、将来のことを早く決めろと急かされている気がする。

俺はいったい何をやりたいんだろう? 何ができるんだろう? 悩まずに「スポーツ選手」などと答えていた小学生時代はなんて気楽だったんだろう……。



朝になってみると、昨夜の悩みは少し薄らいでいるような気がした。けれど本が目に入った途端、悲しい気分が静かに戻って来た。カーテンを開けると小雨が降っていて、薄暗い空と音のない雨がまるで俺の胸の中を映し出しているようだ。

小さいころから、俺は朝の日差しを浴びるのが好きだった。透明な光が世界も俺も新しくピカピカにしてくれるような気がするから。でも、今朝はピカピカにはなれない。

朝食を食べていると諒が起きてきて、「おはよう」と言いながら俺の頭をくしゃくしゃと撫でた。俺も笑顔で「おはよう」と返す。

諒が俺を撫でるのは小さいころから続いている朝の儀式のようなもの。高校生になった今は少し照れくさいけれど、ないと淋しい。今みたいに複雑な気分になるとしても。

まだ眠そうな諒が電子レンジで牛乳を温めているあいだに俺は食べ終わり、支度をして家を出る。最寄り駅まで徒歩十分。傘をさして歩いているあいだも、胸の中に悲しさがひんやりと居座っている。

学校のある椿ケ丘駅はうちの駅から五つ目だ。上り方面の電車はそこそこ混んでいて、部名入りのエナメルバッグと濡れた傘に気を使う。場所を確保してつり革につかまると、ほっとしたと同時にポケットの重みが気になりだす。

――どうしようかな。

学生服のポケットに入っているのは『五輪書』。時間も限られていることだし、少しでも読み進めておいた方がいいと思って入れてきた。でも、道を見つけられない自分に駄目出しをされているような気がして、続きを読むのが気が重い。わざわざ大鷹に手伝ってもらったのに。……大鷹?

そうだ。手伝ってもらった。

自分の仕事じゃないのに、昼休みを使って一緒に考えてくれた。

それだけじゃない。委員会初日に、俺が彼女に言ったんだ。「できることならちゃんとやる」って。

あのとき彼女は少し驚いたような顔で俺を見た。それからにっこりして、自分も頑張るって言ったのだった。なのに、偉そうなことを言った俺が途中であきらめるなんてあり得ない。口ばっかりの意気地なしだ。そんな俺を見せるわけにはいかない。それに、そもそも時間がないのだ。

傘の柄を腕にかけ、ポケットから本を取り出す。周囲に気を使いながら、「(すい)の巻」を開く。ここには実際の動き方や技術が書いてあるらしい。

――……え? あれ?

「序」の終わり部分から、心持ち、身なり……と続く具体的な教え。たどる文章がするすると体へと広がっていくような気がする。

――分かる。なんとなく分かる、これ。

教えをただなぞるだけじゃなく、自分のものにすること。心のありようと求めるべきもの。姿勢。周囲を見る方法。

書かれていることが分かるし、バレーにも通じる部分がある。すべてじゃないけれど納得できる。

驚いた。俺にも宮本武蔵の教えが分かるなんて。

そして、七沢先生が言っていた部分。それぞれの技の説明の最後に必ずある「よくよく鍛錬すべき」「よくよく稽古すべし」などという言葉。これらが予想外に効いてくる。

練習しなければ上手くならない、という当たり前のこと。なのに、ここで読むとお説教っぽさがないのが不思議だ。ほかのひとはどうか分からないけれど、「鍛錬」や「稽古」という言葉には、どこか自発的なイメージを感じる。本人がやるかやらないか。自分が「キミはやるのか?」と問われている気がする。

やるかやらないか。

そうだった。あの日、俺の言葉を大鷹が「やるかやらないか、だよね」と言い換えた。できるかできないかを考える前に、やるかやらないか。そこが肝心だと。

納得して思わずうなずいたら、前に座っているおじさんと目が合ってしまった。気まずい――と思いかけた瞬間、おじさんが俺に向かって力強くうなずいた。

――なんとなく、「頑張りなさい」って言われたような気がする……。

表紙がむき出しだから、『五輪書』を読んでいるなんて感心だって思われたのかも。しかもうなずきながら読んでいたわけだし。ちょっと恥ずかしい。でも。

嬉しいという気持ちもある。知らないおじさんに応援されたこと。昨日の晩にはあれほど俺を悩ませた宮本武蔵の言葉に、今度は励まされたこと。

悪くない。いや、読んでよかった。最初だけでやめないでよかった。

この感じなら、あのインタビュー原稿もどうにか書けそうだ。心配してくれた大鷹と礼央にも報告しておこう。大鷹には原稿チェックもしてもらわないと。

――それにしても、結構面白いな。

文章に慣れてきたせいか、読むだけなら、わりとすらすら読める。剣術のことはよく分からないけれど、親と一緒に見ていた大河ドラマの記憶が役に立っている。

こういう本を自分が楽しめるとは思わなかった。図書委員になって、ちょっと得した気分だ。

この発見を誰かに――大鷹に話したら、一緒に喜んでくれるような気がする。教室に着いたら話せるかな? ちゃんと説明できるように、もう少ししっかり読んでおこう。