「じゃあ、このくらいにしよっか?あまり同じことを続けるのも逆効果だし」

 方月さんは勉強を教えることに関しても一流だった。僕にとっては(というより殆どの高校生にとっては、だと思う)異国の言葉にしか聞こえない古文の文章が、初めてちゃんと理解できた気がする。
 彼女の教え方は明快だ。多分、うちの国語教師連中よりもわかりやすい。要点をまとめて、何が大事かを丁寧に説明した上で、問題を出される。それを反復するだけだ。余計な脱線や端折りはない。不可解なひらがなと漢字の羅列でしかなかった平家物語が、その反復を繰り返すうちに、血の通った英雄戦記へと姿を変えていった。

「ありがとう、滝藤くん」
「なんで? お礼を言わなきゃいけないのは僕の方だよ。めちゃくちゃわかりやすかった!」
「ううん、これは私のためでもあるんだ。人に教えるのって、自分の理解度も増すから」

 僕たちは、学校から3駅離れた場所にあるファミレスで教科書やノートを広げていた。方月さんは学校の自習室を使おうとしたみたいだけど、僕のような奴があの方月まひろに勉強を教えてもらう姿を晒すのは色々マズイ気がして、遠くの店を提案したのだ。
 店内には別の高校の生徒達が、やはり試験勉強のために来ていた。箱入り娘の方月さんは、放課後のこの時間帯にファミレスに来たことなんて無いらしい。
 というか「レストラン=食事をしに行く場所」という図式が頭の中にできあがっていたらしく、僕がファミレスで勉強しようと提案したとき、明らかに顔が「?」マークで埋め尽くされていた。

「まさかファミレスにこんな使い方があるなんて……」
「ランチタイムや夕飯時は禁止しているとこもあるけどね。けど、この時期のこの時間帯は、日本中のファミレスがこんな感じだと思うよ?」

 そう言いながら僕は席に備え付けられている、タッチパネル式のメニューを手にとった。

「滝藤くん?」
「とはいえ、2時間もいてドリンクバーだけじゃ流石にお店に悪いしね。せっかくだし何か食べてこうよ」

 人差し指でタップして、メニューを呼び出す。

「方月さんは何食べる? そういえば好きな食べ物ってあるの?」
「えっとそれじゃあ……グリーンサラダ」

 横から、方月さんの人差し指が伸びる。グリーンサラダ ¥320(税抜) 54kcal。

「え、それだけ?」
「それだけ? あー……それじゃあオニオンスープもいいかな?」

 オニオンスープ \280 62kcal

「…………」

 僕は無言で彼女の希望を却下し、画面をスクロールさせた。このチェーン店は何度も来ているから、メニューのどの位置に何があるかはすぐに分かる。

 山盛りフライドポテト \480 720kcal
 メープルパンケーキ \420 480kcal
 250gイタリアンチーズハンバーグ \860 980kcal
 
「ちょ、ちょっと滝藤くん!?」

 ハイスピードでメニューをタップしていく僕を見て、方月さんは動揺する。

「今日は部活休みといったけど、気が変わった。校外活動しよう」
「校外活動って」
「僕は知ってるよ? 方月さんが実はジャンクフードが大好きだってことを。そんな上品なメニューばっかじゃ満足できないでしょ?」
「そ、それは……」

 方月さん目が泳いだ。こころなしか、頬や耳の先が紅くなってる気もする。

「大丈夫、うちの生徒はここには来ないって。だから、生徒会長のイメージは保たれるよ」
「う、うん……でも、こんなにたくさん?」

 たくさん……かなぁ? 高校生2人ならこのくらい……ああ、そういうことか。

「安心してよ。もちろんシェアするつもりだから」
「シェ、シェア……? ああ、とり分けるってこと?」

 やっぱり。彼女には、頼んだメニューをシェアするという発想もなかったらしい。ならばなおの事だ。彼女にはこのファミレスで最高の"堕落"を味わってもらおう。

「うん、ちょっと取り皿持ってくるよ。それとドリンクのおかわりも」

 そう言って僕は席を立つ。


「おまたせ」

 2分後。僕は取り皿2枚とグラスをひとつ持って戻ってきた。

「これ、飲んでみて」
「え? 私のなのこれ?」

 方月さんはためらいがちにグラスを受け取った。

「……なにこれ?」

 ストローに口をつけ、少しすすった後、彼女は目を丸くして口元を抑えた。

「美味しい……けど、こんな飲み物あった?」
「昔、僕が編み出したオリジナルブレンド」

 ドリンクバーのブレンドは、中高生なら誰でも一度はやった事ある遊びだろう。案の定、彼女は未経験みたいだけど……。
 中学時代、僕は究極のブレンドを編み出していた。オレンジジュースにアイスティーとジンジャエール、そして少量の水道水を混ぜる。この水道水というのがポイントだ。ほんの少し入れるだけでのどごしが格段に良くなる。

「すごい! すごいよ滝藤くん! 天才かも……!!」

 彼女のもつグラスはみるみるうちに透明になっていき、あっという間にストローがズコッと音を立てた。どうやら期待以上に喜んでくれたようだ。