「それで、店長はその触れられないことをどう思っているんですか?」


 以前触れられていたものに触れられないというのは何かトラウマのようなものがあるのかもしれない。理由も分かっていると言っていたし、無理に克服するメリットを本人が感じていないのならその必要はないのだろう。


「何とも思わないとは言えない。それに彼には申し訳ないと思う。〝俺が俺のことをもっと好きになるため〟だったか──何だ?」


 驚いたような視線を向けてしまったからか、店長は小首を傾げた。こういう仕草も意外と似合ってしまうのだ。


「あ、いえ。店長が一人のお客さんに思い入れるようなタイプには見えなかったので」


 綺麗な狐色を変えてしまうのは少し惜しいとも言っていたし。


「まず大前提として俺はその物が持つそのままありのままの色に敬意を持っている。一番最初に宿った色が綺麗なのは当然だ。後から植える色なんて所詮紛い物だからな」

「それはなんというか、色屋らしからぬ発言ですね」

「だが変えたいと言う思いを決して否定はしない。色には確かに力があるからな。客にとっては色を変えることなんて単なる娯楽でしかないかもしれないが、それでも俺は色屋という仕事に誇りを持っている」


 ああそうだ。彼はどうでもいいなんて思わない。どうでもいいと思うようなら、あんなに触れられないことを苦しんだりしない。あの苦悶の表情はそのトラウマに真剣に向き合おうとするからだ。

 それを知ってしまえば私が提案することは必然だった。


「店長、それならもう少しだけ頑張ってみませんか」


 店長は私を見つめるだけで何も言わない。


「きっとそうやって仕事に誇りを持っている店長ならもう頑張った後ですよね。だからもう少しだけ、今度は私も手伝います。心理学とかそういうの詳しくないのでどこまで力になれるか分かりませんが、それでも一人で抱えるよりは二人で考えた方が何か見つかるかもしれません」

「お前さんが気にすることじゃない」

「気にしますよ」

「どうしてだ?」

「これでも時給が発生しているので、それに見合う働きをすべきでしょう?なので店長のトラウマ克服のお手伝いは仕事の一環です」


 と、あっけらかんと言うと店長は脱力して至極愉快そうに笑った。


「ハッ、無償の愛なんて言われたら断ろうかと思ったが仕事の一環と言われれば断りようがない」

「バイトに無償という言葉は存在しませんよ」

「これ以上時給は上がらないぞ!?」

「あ、そこまでがめつくはないです」


 そしてその日から私と店長のトラウマ克服訓練が始まった。

 まずは確認のための簡単なテスト。私が手を差し出して店長にその上に手を重ねてもらう。だけど触れるギリギリのところで固まってしまう。もう少し、あと少し。そう心の中で祈りながら手の手の隙間を息を詰めて凝視する。そうしているうちに店長の顔色はどんどん悪くなっていき、その日の訓練は中断。多分私が不意をついたら触れてしまえるのだろうけどそれだと全く意味はない。


「悪い、今日もダメそうだ」

「いえ。また明日頑張りましょう」


 そもそもトラウマの理由を店長は教えてくれない。言いたくないというのだから仕方ないけど、理由が分からないまま協力するのは難しい。理由が分かれば対処法も考えられるかもしれないのに。

 理由が分からないなら想像するしかない。店長ほどのあやかしがそんな風になるなんてよほどのことがあったのだろう。もしかして誰かに殺されかけたとか……と考えた後にやめた。やはり他人の心の柔い部分を勝手に想像するというのも気分がいいものではない。

 だけどこれだけは言っておこうと思って、本を読む店長の隣に座って真剣に伝えた。


「私は絶対に店長を傷つけたりしません」

「は?当たり前だろ。どう考えても無理に決まってるだろ」


 何言ってるんだこいつと言わんばかりのご返答をいただいた。どうやら私の真意は伝わらなかったようだ。

 それからネットや本でトラウマの対処法をいろいろ調べて試してみたけどどれも店長には効かなかった。店長はいろいろ手を尽くす私に対しても申し訳なさそうな顔をするようになった。結果が出ないからだろう。そんな顔をしてほしくて提案したわけじゃないのに。

 私はもう一度ヒヨコさんに会いに行くことにした。店長が嫌になったというならまだしも、私に申し訳ないなんていう理由でやめてしまうのは嫌だ。


「ヒヨコさん、そろそろ手詰まりなんだけどどうすればいいと思う……!?」

「わしに分かると思うか?」

「だって病院の守り神だし、何か良い案ないかなと」

「わしは神であって医者ではない。お前が聞くべきはわしではなくそっちだろう」

「そっち?」


 ヒヨコさんが羽を広げて鞄を差す。鞄を持ち上げていろいろな角度から眺めてみるけど分かるはずもなく。


「紹介状を貰ってただろうが!」


 痺れを切らしたヒヨコさんが早々に答えを教えてくれた。紹介状、そうだった。鞄の中にはあれからずっと入れっぱなしだった精神科の紹介状が入っていた。


「ありがとうヒヨコさん!やっぱり頼りになる神様だね」


 満更でもなさそうにチチチと鳴いた。