「申し訳ありません。今日は少し……」

「何だ、調子悪いのか?」

「はい」

「何だそれを早く言えよ。無理させて悪かったな。酷い顔色だぞ。大丈夫か?」


 山影さんは怒っている様子はなく、むしろ心配してくれているようだ。優しいあやかしだ。借金取りかもしれないだなんて一瞬でも疑って申し訳ない。


「はい。申し訳ありませんが今日のところは……」

「ああ、今日はもういい。少し休むべきだな」

「お金は返金させていただきますので」

「いや、いい。また明後日の朝に来るからそのとき色を変えてくれればいい」

「明後日ですか」

「問題あるのか?」

「いえ。お待ちしております」

「ああ。しっかり休んで調子戻しといてくれよ?」


 そうして山影さんは帰っていった。山影さんを見送ったあと、店長は深く息を吐いて脱力するようにイスに腰かけた。顔色は依然として悪いけど汗は引いているようだ。


「店長、具合悪かったんですか?」

「……せっかくお前さんに色屋の仕事を見せてやれる機会だったのに悪いな」


 店長がしおらしい。しおらしい店長はしっくりこない。ずっと具合が悪かったというならなんて不調を隠すのがうまいあやかしだろう。気づかなかった。いや、気づいてあげられなかった。


「いえ。それより早く二階の布団で休んでください。店番は私がしますから」

「いや、今日はもう店を閉めるからお前さんももう帰れ。明日も閉めることにするから来なくていいぞ」


 確かにそれがいいだろう。肝心の店長がこの調子では色を売れないのだから。


「分かりました。だけど心配なので今日はもう少しいてもいいですか?」

「心配されるようなもんじゃないんだ。ちゃんと休むし俺は大丈夫だから帰れ」

「……分かりました」


 心配だけどここで食い下がるのは余計に店長の負担になるだけだろうしやめておこう。それでも少し後ろ髪を引かれる思いを持ちながら私は現世に戻った。

 翌日、私は悩んでいた。さすがに店が閉まっているのに様子を見に行くのは恩着せがましいというか、図々しいだろうか。だけどやはり昨日の店長は調子云々以外に様子がおかしいように思えたし、もしあの誰も来ない店の中で倒れでもしていたら。だけど私が行って何ができるというのか。人間ならまだしも彼はあやかしだ。どうしよう一人で決められない。


「……で、だからって何でわしのところに来た」


 私の膝の上には不満顔のヒヨコさんがいた。病院から一時奪還してきたのだ。いや奪還じゃないな。なんだろう、誘拐とでも言っておこうか。とりあえず病院から連れ出したのだ。もちろん今回は紹介状はないし予約もないから急に診察は受けられない。だから勢いで診察室に飛び込んで「すみません間違えました!」とすぐに外に出た。予想でしかなかったけど案の定ヒヨコさんは同じ先生の頭の上に乗っていた。いきなり飛び込んできて頭の上から〝見えざる何か〟を掠め取っていった私のことを先生はどう思っているだろう。もしあのときの患者だと気づいていれば、だから精神科に行けと言ったのにと思っていることだろう。


「だって私があやかしのことを聞けるのってヒヨコさんだけなんだよ。ねぇ、店長本当に大丈夫なのかな」

「あやかしがあやかし全てに詳しいと思うなよ。猫が犬の生態に詳しいはずがないのと同じことだ。そもそもわしはあいつが何のあやかしかも知らん」

「そうなの?店長はヒヨコさんのことすぐに何のあやかしか当ててたよね?」

「わしは高貴で知名度のあるあやかしだからな。星の数ほどいる知名度のないあやかしの種類など知らん」

「そうなんだ……」

「だがあいつは来るなと行ったんだろ。それなら行けば逆に休みを妨げることになるかもしれんぞ」

「やっぱりそう思うよね。店長は心配するようなものじゃないって言ってたけど」

「あやかしとは人間よりも遥かにしぶとい生き物だ。今回のこともどうせ人間のお前が心労を溜めるほどのものではない」


 良かれと思ってやったことも独り善がりならただの自己満足だし偽善だ。心配な気持ちを抑えつけ、その日はそっとしておくことを選択した。

 そしてまた翌日、昼過ぎまで大学の講義があったため夕方からバイトに向かった。山影さんは朝に来ると言っていた。色を変えるところを見られなかったのはかなり残念だけど仕方ない。働いていればいずれまた機会は来るだろう。

 十五夜堂に入るとちょうど鬼火が行灯に入るところだった。暗闇の中で遭遇するとまだ悲鳴をあげそうになるけど、ぐっと飲み込んだ。店長はカウンターに突っ伏して眠っているようだった。だけど私が来たことに気づいて顔を上げた。


「すみません、起こしてしまいましたね」

「いや、そろそろ起きるつもりだった」


 顔を上げた店長を見てハッとする。まだ顔色が悪い。調子は悪そうだ。