入り口側の外の様子が見える部屋は店長の自室だけだ。一瞬入っても大丈夫なのかと思ったけど特に店長も何も言わなかったのでそのまま一緒に部屋に踏み込んだ。

 六畳の畳の上には文机と箪笥と行灯としかない。意外だったのは散らかっていないということ。気がついたら散らかしている性分の店長が片付けをしたり散らかさないように気を使うところは想像できないので、綺麗だということはあまりこの部屋で過ごしていないということなのだろう。

 窓から外を見渡すと遠くの方まで竹林が広がっていて、そのさらにもっと先は靄のようなものがかかっていて見渡せない。見上げれば晴天。雲一つない水色の空。

 そしてすぐ下を見下ろすと予想通り誰かいた。そこにいたのは青年。いや、単に青年と言うにはかなり語弊がある。見たものをそのまま正確に言うなら狐の耳と尻尾が生えた青年がいた、だ。年齢はあやかしだから分からないけど見た目だけで言うなら私と同じくらいだろうか。それにしてもかなり派手な着物を着ている。


「店長、借金取りですか?」

「いや、見たことない顔だな」


 小声で話しているとこちらの視線に気づいたのか狐の青年が顔を上げた。視線がかち合う。


「ここに何の用だ」


 先手必勝と言わんばかりに少し圧を与えるような声音で店長が問う。


「え、何って、ここお店だよな……?」


 きょとんとする青年の言葉に私はハッとした。そして愕然とした。店、そうだここは店だ。店なら誰が来たっておかしくない。誰か来たからそれは借金取りかもしれないだなんて、完全に思考が私とヒヨコさんに水をぶちまけときの店長と同じになっていた。


「て、店長!もしかしてお客さんじゃないですか!?」

「え、お、お客!?」


 二人して慌てふためいていると青年は快活そうに、にかっと笑った。


「俺は九尾狐の山影(やまかげ)。色を買いに来た!」


 働き始めておよそ三週間。初めてのお客様が来店されました。




 *



 
 お客様初来店。何もしなくていいと言われているけど、お客さんがいるときにバイトとして本当に何もしないというのは気が引ける。かといって出来ることは限られているわけで、私は鬼火が置いていってくれたわずかな残り火で急いでお湯を沸かした。

 店長と打ち解け始めてわりと図々しくなった私は、少し前から店の奥にある明らかに使用した形跡のない台所を借りてお茶や紅茶、珈琲なんかも置かせてもらうようになった。店長は飲まないからもちろん自分用に。だけどバイトとしてお客さんにお茶を出すくらいしてもいいはずだ。紅茶と珈琲は好みが分かれるからここはとりあえず緑茶で。冷蔵庫がないから今のところ熱いお茶しか出せないけど。

 というわけで急いでお茶を用意して戻ると二人は話をしているようだった。店長はカウンターの内側に、お客さんはカウンターのイスに。おお、この光景はすごくお店っぽい。


「あの、よろしければどうぞ」

「おう!珍しいな人間か!ありがとう」


 お茶を差し出すと山影さんは私を見てさっきと同じように笑った。人間がここにいることをさらりと受け入れられた。人間はあやかしを見ればきっと驚くけど、あやかしは人間を見ても驚いたりしないらしい。それはここが双方から行き来可能な狭間だからという理由もあるのだろうけど。

 後はもう私に出来ることはないので大人しく後ろの方で二人の話を聞くことにした。色屋として仕事をする店長を見るのはこれが初めてだ。バイトを始めて三週間も経つというのにいまいちどんなことをする店なのかも分かっていないので正直とても楽しみだ。


「それで、どんな色をご所望で?」

「良い感じの色だ」


 あやかしというのは店長しかり、ざっくばらんな性格が多いのだろうか。


「良い感じというのは」

「こう、パッと目立つような派手な色だよ。あんたは相当地味だな。本当に色屋か?」


 私がずっと思っても言わなかったことをまさか初対面で言うとは。まぁ誰だってきっと最初にそれを思う。山影さんの着物はいろんな色が織り込まれていてカラフルで派手だ。知らない人にどちらが色屋だと思うか聞いたら百人中百人が山影さんのほうを指差すだろう。

 それでも私が気になった目隠しのことを言わないということはあやかしにとってそれは違和感を抱くものではないのだろ。だけど店長がその言葉を気にした様子はなかった。というか店長もちゃんとお客さんには敬語を使えるのか……なんて失礼なことを思ってしまった。