「ちょっと!」
 柚子は何かを言おうとするが、さっきまでの勢いはもうない。

 藪本くんは無視して、私の腕をつかむ。
「ほら、水岡さん。行くよ」

「……で、でも」
 柚子が押し付けようとしていた仕事はともかく、私が担当するはずだったペンキ塗りも、まだ終わっていない。

「水岡さん、行ってきなよ」
「え?」
 クラスメイトの明るい女の子が、目を輝かせながら私に言った。

「こっちは大丈夫だから! 水岡さんが担当してたところ、うちらやっとくし。今まで、色々と押し付けててごめんね。ほら、早く行っといで!」

 その代わり、今度色々と聞かせてね。彼女は私の耳元に口を寄せて、小声でそう付け足した。

 恋愛系の話が大好きな子で、きっと私と藪本くんのことをそういう関係だと思っていることは明らかだった。訂正するのも面倒だし、そのまま私は教室を後にする。

「手、もう大丈夫」
 本当はもう少し繋がれていてもよかったのだけど、手汗が気になってきてしまい、私は言った。

「あ、ごめん。つい」
「ううん。それより、さっきはありがとう」

「別に。本番まで時間もないのに、余計なことに時間を割かれるのは嫌だっただけ」
「でもさ……。あれはまずいんじゃない?」

「あれ、って?」
「私と藪岡くんが……その、付き合ってるとかどうとか……」

「ちゃんと、仮にって言ったし、付き合ってるとは言ってないよ」
「そうだけど……」
 あんなの、肯定したようなものではないか。

「水岡さんは、僕と付き合うのは嫌?」

 真面目なトーンでそんなことを言ってくるものだから、
「っ……。何、言って……」
 私は言葉につまる。

「あはは。冗談」
 藪本くんは楽しそうに笑って言った。

「もう! ばか!」
 後頭部にチョップを入れる。もう少しで、嫌じゃないよ、って答えるところだった。

 私は、藪岡くんの少し後ろを歩く。
 お願いだから、今はこっちを見ないでほしい。絶対に顔が赤くなってるから。