王立ロジエ魔法学院キャンパス内へ入った、理事長のアレクサンドラとシモン。

 理事長室は、本校舎の5階だという。
 受け付けとロビーがある広々とした1階ホールの片隅に、魔導昇降機の乗り場がある。 

 魔力で動く箱型の昇降機が魔導昇降機であり、原理が不明の古代魔法を使用した昇降機である。

 この昇降機で一気に5階へ……

 何と!
 理事長室は5階のフロア全てを使っていた。

 アレクサンドラの後を、おっかなびっくりという感じでシモンは歩き……
 豪奢《ごうしゃ》だが、洗練されたデザインの調度品が置かれた理事長専用の応接室の中へ……
 
 遠慮なく、長椅子《ソファ》へ座るよう言われた。
 ふかふかで身体が沈む……

 だが、シモンの緊張はまだ解けない。
 全く落ち着かない。
 
 コルボー商会における悪夢のような経験が、身体にトラウマとして染み付いていたのからである。

「うふふ、シモン君。楽にして、そんなに緊張しないで。取って食うってわけじゃないんだから。言葉遣いも、いつもの通りで構わないわ」

 笑顔のアレクサンドラはフレンドリーにそう言うが、シモンは全く信じなかった。

 いやいやいや!
 世の中は弱肉強食。
 ちょっとでも、油断すれば取って食われるだろ?

 この麗しき先輩はブグロー部長みたいに凶悪じゃないだろうが……
 絶対に超が付く『肉食系』
 確信出来る。
 もう絶対に絶対にっ!
 前回みたいには騙されないぞっ!

 それにこんな女子だらけの花園は、落ち着かね~!
 おぞましい魔物が「うじゃうじゃ」出る迷宮や遺跡に潜っている方がまだ緊張しないぜっ!

「つらつら」考えるシモンを他所《よそ》に、アレクサンドラは話を続けて行く。
話の内容は、やはりシモンの待遇のようだ。

「言った通り、シモン君にはぜひうちの学園の魔法教師になって欲しいの」

「はあ……」

 ロジエ魔法学院の教師ねぇ……
 まあ、同じ公務員且つ教員で一応は希望範囲内だけど……
 女子の相手は気を遣って、疲れる。
 
 弟みたいな男子学生相手に、バカ言ってる方が肩がこらない。
 たまにエッチな話もしたりしてさ。
 だから第二志望がビータル魔法学院だったんだ。

 つらつら考えるシモンに対し、ミラベルは話を続けて行く。

「姉弟校のビータル魔法学院で教育実習を行ったなら、魔法学院の教師についてにある程度の知識があるという前提で話をするわね」

「はい、構いません」

「シモン君には、いきなりクラスを任せるのはきついだろうから、先輩の教師と組んで、ふたりで受け持つ形にする。つまり副担任となって貰うわ」

「はい、了解です」

 補足しよう。
 副担任とは、担任教師を補佐する役回りの教師。
 魔法女子、男子の両学院では新人が務める事が多い。
 魔法男子学院で、教育実習を行った際、シモンはそう教えられ、認識していた。

「でも、専門科目に関しては期待しているわ」

「ですか?」

「うん! シモン君の前職キャリアに凄く期待してる!」

「俺のトレジャーハンターの経験にですか?」

「ええ! それと君が取得した魔法鑑定士ランクAのライセンスにね! ここのところ、ず~っと魔法鑑定士を育成する魔道具研究の教師が足りなかったのよ」

「成る程! 先輩が、俺を引っ張った意味を理解しました」

「分かる? 教師は足りない。でも魔道具研究へ志願する生徒は、専門科目の中で、最も多いという超シビアな状況なの。だから急ぎクラスを新設して、シモン君が新たに魔道具研究の担当教師になってくれると、学院としては大いに助かるわ」

「分かりました! もしも契約したら、頑張ります」

「宜しい! 給料は、他の新人教師と同じ条件。固定給で月額金貨40枚だけど、残業代はちゃんと払うし、毎年10%の昇給。それと前職の実績も考慮して、高額のインセンティブも考えてる。各種手当もばっちりよ!」

 金貨40枚……
 結構な初任給である。
 多分、教育実習を経験したソルシエ魔法学院とほぼ同じ……だと思う。
 一般の初任給より遥かに多く、王都で一家4名を養える金額である。
 
 よっし!
 病弱な母への仕送りは大幅に増やせる。
 王都では高級3LDKのアパートメントが金貨10枚で借りる事が可能だし、
 今住んでいる銀貨5枚のボロ長屋よりも、段違いで良い場所に住めるに違いない。
 
 残業代の確実な支払いは、全く不払いだったコルボー商会に比べ、涙が出るほど嬉しい。
 
 それに毎年10%の昇給は魅力的……
 
 高額のインセンティブは、どういう内容だろう?
 頑張れば、頑張った分報いてくれるって事か!
 
 各種手当って、どんな手当があるのだろう!

 明るい未来への夢がふくらみ、いろいろ思いをめぐらすシモン。
 
 だが、アレクサンドラへ戻すコメントは、たかぶる気持ちを何とか押さえ、だいぶ控えめである。

「な、成る程! し、新人で月額金貨40枚っすか。わ、悪くないですね。というか結構な好待遇です。魔法学園の教師の給料って、それくらいなんですか……」

「うん! そしてね、当学園が支払うシモン君の契約金は金貨10,000枚をノータックスの現金で払うから。後は君の成果次第、昇格も柔軟に考えるよ」

 ブグロー部長の支度金で懲りている。
 だから、契約金の話など華麗にスルーしようと思ったシモンであったが……
 アレクサンドラから提示された『金額』を聞き、耳を疑った。

 えええええっ!?
 い、い、今なんて!!
 この人、今何言ったぁ!?

 い、い、い、一万!?
 一万枚!?
 き、き、き、金貨!!
 10,000枚ぃぃぃ!!!

 補足しよう。
 金貨1万枚は、王都貴族街区にそこそこ広い屋敷が購入可能。
 王都市民一家4名が約20年間、遊んで暮らせるくらいの金額なのである。

 シモンはコルボー商会在籍時、毎月平均金貨1万枚を売り上げてはいた。
 だが、実際に手にする金額とは、全く別物……なのは充分にご理解頂けるだろう。

「は!? せ、せ、せ、先輩! な、な、何か、とんでもない事言ってません?」

「言ってないわ。金貨10,000枚って、はっきり言ったわ」

「ななな、なっ!? い、い、い、10,000枚ってぇ!? ば、ば、ば、馬鹿なっ!! あ、あ、ありえないでしょぉぉ!! りりり、立派なぁぁ!! や、や、や屋敷が買えますよぉぉっっっ!! せ、せ、せ、先輩っっ!!」

「いいええ! きっちり金貨10,000枚! 間違いなく理事長の私が承認したシモン君の契約金! これが契約書よ!」

 アレクサンドラは、にっこり笑い……
 契約書らしき数枚の紙片を取り出し、「ひらひら」させたのであった。