ブグロー部長への抗議を(あきら)めたシモンが大きなため息を吐いたその時。

 階下が急に騒がしくなった。
 何者かが、一階ロビーへ大人数で強引に踏み込んだらしい。

 いつもの癖で、索敵(さくてき)スキルを使い、シモンはそんな気配を察した。
 そして踏み込んだ者は……
 発する気配で正体がすぐに判明した。
 
 踏み込んだのは、王都の治安を守る衛兵の集団である。
 衛兵隊が公務でコルボー商会へ踏み込んだのだ。

「な、何だ!? す、凄い殺気だ!?」

 珍しくブグローが動揺する。
 シモンと同じく、ただならぬ気配を察したらしい。

 やがて階段を「どかどか!」と駆け上がって来る音がした。

 ばん! と乱暴に扉が開けられた。
 踏み込んで来たのは、衛兵ふたりである。
 衛兵は何か、文字が書かれた一枚の紙片をぶらさげている。

「ウジェーヌ・ブグロー! 神妙にしろ! 逮捕状が出ている」

「な!? た、逮捕状!?」

「そうだ! 労働者の意思に反する労働の強制、中間搾取(ちゅうかんさくしゅ)、債権と賃金の相殺(そうさい)法定時間超過労働(ほうていじかんちょうかろうどう)、休憩、休息、有給の皆無等々、王国労働法違反の指示、関与の疑いにより逮捕するっ!」

「え~っ! そ、そんなぁ!! ぜ、ぜ、全部! やむを得ずですぅ! か、会頭の指示なんですよぉ! わ、私は中間管理職ぅ! ううう、上には、さ、逆らえないんですよぉっ!!」

「シャラップ!! 言い訳無用!! 今、吐いた虚偽(きょぎ)の罪も追加!! じたばたするな、ウジェーヌ。証拠書類が山ほどあるっ!」

「えええええっ、そ、そんなぁ~~っ!!」

「ウジェーヌ。お前は上級幹部社員として自ら会頭へ提案し、労働者に対する数々の非道を実行。首謀者のひとりとして大いに関与した」

「ううう……」

「それと! 会頭に内緒で金貨10億枚の横領もしているだろ! こっちも重罪だ! 少なくとも30年は臭いメシを食わせてやる!」

「うううう……ああああああああああっ!!!」

「抵抗すれば、罪がもっと重くなる。下手をすれば終身刑だ。こっちはそれでも構わんが、大人しく連行された方が、身のためだ」

 何と!
 ブグロー部長は、衛兵隊に逮捕されてしまった。
 
 今までシモンに向けていた、(おご)り勝ち誇ったブグローの表情は、
 全くといっていいほど失われていた。

「シ、シモン!! た、た、助けてくれぇ!! 俺とお前は上司と部下、し、師弟コンビだろうがぁ!!」

「……………」

 ブグローの絶叫に対し、シモンは無言で応えた。
 醒めた目でブグローを見つめるだけであった。

 シモンの無反応さを見て、がっくりとうなだれたブグロー。
 そこには、シモン達部下を単なる駒だとうそぶき、
 己の出世だけの為に「死ぬまで働かせた上に使い捨ててやる!」と豪語した外道の面影は全くなかった。
 
 人生全てに絶望したというくらい青ざめ……
 今にも慟哭(どうこく)し、号泣(ごうきゅう)しそうな顔で、衛兵のひとりに、背を何度もこづかれながら、室外へ出て行く。
 
 確実に重罪となる雰囲気である。
 あの「がはははは」という独特な笑い声をシモンが聞く事は二度とないだろう。

 シモンは思いっきり、
 「ざまあああああああああああああああっっ!!!!!」
 と、心の中で叫びながらも……
 
 自分と同じく商会の単なる『歯車』に過ぎないブグローを哀れにも思い、ほんのちょっぴりだけ、複雑な感情であった。

 残った衛兵がシモンを見て、話しかけて来る。

「おい、君は、コルボー商会の社員か」

「そ、そうです」

 一瞬の沈黙。
 緊張の瞬間。
 まさか逮捕?
 果たしてシモンの運命は?

 しかし、心配は杞憂(きゆう)であった。
 衛兵は憐れみを込めた眼差(まなざ)しを投げかけて来たのだ。
 シモンに同情しているらしい。

「大変だったな、君。生きていただけ良かったよ。ここの社員には殉職者(じゅんしょくしゃ)がいっぱい出ている」

「は、はあ……確かに同期入社の奴が何人も死んでます。俺は何とか生きてました」

「うんうん。君も、コルボー商会にはいろいろなものを搾取(さくしゅ)されていたのだろう」

「いろいろなものを搾取……まあ、確かに……」

 シモンの目が遠くなった。
 命の危機にさらされていた上、金、時間、やりたかった仕事……
 もろもろ、商会には、違法にむしり取られていた。
 そう思う……

 衛兵は更に告げる。

「コルボー商会は会頭以下、幹部社員が全員逮捕。閉鎖(へいさ)、廃業……倒産となる」

 シモンは最も気になる事を尋ねてみる事にした。
 もしも衛兵が知っていればと考えたのである。

「あ、あの……俺、永久雇用契約書を結ばされているんですが……どうなります?」

 対して、衛兵はきっぱりと答えてくれた。

「そんな契約書は違法だし、当然無効だ。君は解放される……自由になるのさ」

「自由に……なるっすか」

「ああ、君は完全に自由だ。縛るモノは何もない! まだまだ若いようだし、いちから人生をやり直すと良い」

 衛兵はそう言い、部屋を出て行った。

 もう……ここには用がない。

 どうしようかと思う。

 大学を卒業したての未熟なシモンとは違う。
 もうおどおどしてはいない。
 借金はないし、世間に慣れ、逆にずうずうしくなった。
 
 トレジャーハンターとしても名を売った。
 身体も著しく頑丈になったし、身体強化魔法も完璧だろう。

 元々所持していた魔法鑑定士の経験もバッチリ積んだ。
 
 数多のスキルも習得した。
 生活の手立てはいくらでもある。
 
 探せば、どこか良き「ライトサイド」で好条件の仕事が見つかるだろう。
 今回の教訓を踏まえ、二度と超「ダークサイド」な会社に騙されないよう、
 しばらく、ゆっくり、じっくり優良企業を探し、就職活動をしよう。
 
 取得したばかりな魔法鑑定士ランクAの資格もある。
 冒険者ギルドあたりでバイトをしても良い。

 衛兵が言った通り、自分はまだ23歳。
 いちから人生をやり直す。
 そう、決めた。

 と、その時。
 誰かが階段を上がって来る。

 この気配は……衛兵ではない。

 やがて現れたのは……
 シモンの見覚えが無い上級貴族らしき大人の女性である。
 
 年齢は40代半ば過ぎだろうか……
 金髪碧眼(きんぱつへきがん)端麗(たんれい)
 上品さが醸し出される美しい顔立ちをしていた。
 スタイルも抜群で、シックな濃紺の法衣(ローブ)を素敵に着こなしている。

「ねぇ、貴方が、シモン・アーシュさん?」

「え?」

 見ず知らずの貴族女性は、いきなりシモンの名を呼ぶと、にっこり笑ったのである。