ここは、力を示す剣がふるわれ、不可思議な魔法が行使される世界……
 
 多くの人間が日々、(かて)を求め働き、一喜一憂(いっきいちゆう)して必死に生きる世界である……
 一方、未知の精霊、妖精、そして人間に害為す悪魔、魔族、魔獣が跋扈(ばっこ)する異界と現世がつながる世界でもあった。

 そんな世界の中で、とある大陸に位置するティーグル王国王都グラン・シャリオ近郊に、高い防護壁に囲まれた大きな森がある……

 この森は、うっそうとして、見通しがあまりきかず視界の悪い森である。
 以前は公的な『王国演習場』であり、苛酷な訓練環境から、
 通称『地獄の森』と呼ばれた悪名高き訓練場であった。

 ティーグル王国軍の中心、(かなめ)たる精鋭とうたわれた騎士隊。
 更に主力の王国軍、各学校、冒険者ギルド等の組織が共同でこの訓練場を所有しており……
 生きたまま捕えられたゴブリン、オーク、オーガなど、魔物が放し飼いにされ、
 もっぱら戦闘訓練に使用されていた。

 建設後、数十年が経ち、施設が老朽化し、代替施設が造られた為……
 現在は民間へ払い下げられ、ある『商会』が買い取り、自社の専用訓練場として可動させている。

 この『旧地獄の森』で、日付けが変わろうとする深夜……
 地獄さながら『ひとりの男』が魔物の群れに追われていた。
 
 男は粗末な革鎧を着込んでいた。
 まだ若い。
 20歳を少しだけ超えたくらいという年齢である。
 この森を所有する商会に入社したばかりの『新人』らしい。

 若い男は革鎧(かわよろい)は着込んでいるが、一応は魔法使いである。
 
 魔物とのバトルに全く慣れてないらしく、戦意を完全に喪失していた。
 だが、『生への執着』は、しっかりとありそうだ。

 必死に逃げる男を追っているのは、おびただしい数のゴブリンである。

「だだだだ、誰かぁ!! た、た、た、助けてくれぇ~~!!!」

 必死に助けを呼ぶ男の声。
 しかし返事は全くない。
 聞こえて来るのは、ゴブリンの唸り声だけ……
 他の獣らしき咆哮も聞こえるが、応える人間は皆無であった。
 
 男の絶叫は深い闇へ吸い込まれていくだけであった。
 どうやら、現在この森に人間は、この男ひとりのようである。

 改めて見ても、エサだと男を追うゴブリンの群れは大群だ。
 数百体は軽く超えていよう。

 荒れ狂うゴブリンは相当腹ペコのようである。
 そして……
 狩りのやり方を知っているようだ。
 
 逃げる獲物の退路を断つという考えなのか、前に回り込み、若い男をあっと言う間に(はさ)()ちしたからだ。

 怯える男は、四方を見た。
 前にもゴブリン。
 後ろにもゴブリン。
 そして新たに、右にも左にも回り込んだゴブリン。

 若い男を追って来たゴブリンどもの動きは、意外なほど素早かった。
 すぐに男は、完全に……囲まれた。
 これでは、もう簡単には逃げられない。

 1対数百匹……
 普通に考えれば絶望的だ。
 取り囲まれた男は、餌食になるしかないだろう。

 男は怯えた目で周囲を見回した。
 
 ゴブリンどもは目を血走らせ、大きく口を開け、よだれをだらだらたらし、唸っていた。

 たかが、人間1匹。
 「さくっ」と殺して、「ぺろっ」と喰ってやる。
 男を取り囲んだゴブリンどもの真っ赤な眼が……そう言っていた。

 取り囲まれた男は……
 今にも喰われるというギリギリの土壇場で、ようやくゴブリンの弱点を思い出した。

 そ、そうだっ!
 こ、こ、こいつらに!
 効果的なのは火だっ!
 燃え盛る火が弱点なんだ!

 だが、この若い男が行使可能な火の魔法は……
 かまどの(まき)に火をつけるぐらいしか役に立たない、地味な生活魔法だ。
 絶体絶命のこの場面では、ほぼ効果はないであろう。

 があああああああああああっ!
 ごあああああああああああっ!

 いきなり!
 一斉にゴブリンどもがいきり立ち、大きく吠えた。

 来る!
 もう、猶予(ゆうよ)はない。

 男には分かる。
 奴らが発する、おぞましい気配で分かるのだ。

 死を目前に男は開き直った。
 放つ気合が完全に変わった。

 このヤローー!
 負けてたまるか!
 このまま喰われて、たまるものかよぉぉ!

 俺は生き残る!
 強くなって絶対に生き残る!
 
 このままでは、終われないっ!
 まだまだ俺は若いんだ!
 苦労して、自分で学費稼いで、やっと、学校を卒業したんだ。
 仕送りをして、面倒を見なけりゃならない病弱の母親だって居る!

 俺の人生はこれからっ!
 これからなんだっ!!
 
 邪悪なあいつらに(だま)されたまま、(むな)しく死んでたまるものかぁ!!!

 歯をむきだし、迫るゴブリンどもに気合負けしないよう、男も勇気を振り絞り、
 大声で咆哮した。

「くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっ!!!! ちくしょうぉぉぉぉ!!! ぶっ殺してやる~~~!!!! てめえらあああああああああああっっっ!!!!」

 窮鼠(きゅうそ)、猫を()む……という。

 ここで、奇跡が起こった。
 
 必死に反撃を試みた男の手から魔法が発動し、放たれた。
 火属性の攻撃魔法が発動したのだ。

 猛《たけ》る肉食獣《にくしょくじゅう》のように咆哮《ほうこう》した男の手から放たれた『炎』は弱々しい生活魔法などではなかった。
 けして、薪をつけるレベルなどではなかったのだ。

 ぐああああああああああああああああああっ!!!
 ぎゃああああああああああああああああああ!!!

 焼かれるゴブリンどもの断末魔の叫びが辺りに満ちた。

 追い詰められ、突如「覚醒した」男から放たれた、紅蓮(ぐれん)の猛炎は、
 矢のように凄まじい勢いで伸び……
 本能のまま、おぞましくうごめいていたゴブリンどもを焼き尽くし、あっという間に炭化させていたのである。