まるで彼の優しさを体現したような味だと思いながら堪能していると、千里くんは気遣わしげに「お母さん、なんだって?」と聞いてくれた。

「将来を考えている人がいるなら、同棲をする前に親に挨拶をするのが筋でしょうって、長々とお説教だよ」

溜め込んでいた息がはぁと漏れる。
その言い分はもっともだけれど、どんな失礼な言葉が飛んでくるかも分からないというのに、千里くんを母に会わせたくはない。
だいたい自分だって再婚するときは事後報告だったくせに、私に説教ができた義理か。

「もう、いっつも自分本意なんだから」

するといつの間にか眉間に皺を寄せて怒っていた自分に気づいて、私はハッとした。
このごろ母の不当な行為に対しては、相応の怒りを表せられるようになったと思う。
いいか悪いかは別として、そんなふうに図太くなっていく自分がどこか誇らしい。
なぜなら今の私が母の言葉に傷つかないでいられるのは、千里くんが私のことを大切にしてくれるおかげだからだ。

「たしかに挨拶くらいは行った方がいいよね」

「ええ? そんなことしなくていいよ。千里くんにだって何を言うか分からないし」

「俺のことは何を言われたって平気だよ。でも聖ちゃんのことを悪く言われたら、俺も言い返してしまいそうだからなぁ。お母さんによく思ってもらえないかもしれない」

もしも私の恋人に言い返されたら、母はいったいどんな顔をするだろう。
少し怖ろしいけれど、いつかそんな日が来るような気がして、私はひっそりと苦笑いをした。

「まぁ、お互いの家族についてはゆっくり考えていこうか」

「そうだね。時間はたくさんあるんだし」

「あっ、嬉しいな。それって俺と生きていく覚悟を決めてくれたってことでしょう?」

まるで花が咲くように千里くんが微笑む。
その笑みに迷うことなく頷くと、彼は満足そうに伸びをして、それから突然何かを思い出したかのようにそばにあった棚を漁った。

「そうだ。聖ちゃん、これ覚えてる? さっき掃除をしてたら出てきたんだ」

そう言って千里くんが取り出したのは、見覚えのあるシンプルなレターセットだった。

「カナタさんのファンレター……!」

「そう言えば俺のこと、カナタさんって呼んでたんだっけ」

懐かしい水色を目にして、一瞬で憂鬱だった気分が吹き飛ぶ。

「デビューのころから、新作が出るたびにいつも送ってくれてたよね」

「うん。日下部先生に初めて手紙を書いたときのことは今でも鮮明に覚えてるよ。読み終わってから居ても立ってもいられなくて、すぐにレターセットを買いに行ったんだ」

「何を考えながら書いてくれてたの?」

「俺が先生に救われたように、少しでも先生の力になれたらいいなって思ってたよ。何度も何度も推敲してから送ってた」

思い返してみれば千里くんは、カナタさんだったころから真っ直ぐで飾らない言葉を何度も贈ってくれていた。
私は出会う前からずっと、彼の与えてくれる優しさに救われてきたのだろう。

「聖ちゃんと出会ってから感想を直接伝えられるようになって、こいつの出番がなくなっちゃったんだよね」

「千里くんがよければ、また書いてほしいな。私、このファンレターが届くのをいつも楽しみにしてたんだ」

「そっか。聖ちゃんが望んでくれるなら、いくらでも書くよ」