「今日は眠るまで話さない?」

そう言った千里くんに誘われ、私はその夜、彼のベッドの中へと招かれた。
室内はすでに暗く、ベッドサイドランプのオレンジ色の光だけが柔らかく灯っている。
拳ひとつ分の隙間を空けるようにして、おそるおそる彼の隣へ忍び込んだ私は、そのまま微動だにせず固まっていた。
同じベッドに入っただけだというのに、なんだかとてつもなく淫靡なことをしている気分になるのはなぜなのだろう。
一緒に暮らすようになってからおそろいのシャンプーやボディーソープを使っているけれど、彼からは私とは違う香りがするような気がして、その香りがさらに私の緊張を煽った。

「聖ちゃん、固まってる?」

「こういうことをするのが初めてで、緊張しちゃって」

素直にそう告げると、千里くんは愉快そうにははっと笑い声を上げた。

「ごめん、かわいすぎる。俺をどうする気?」

頭頂部に口づけられた感触がして、さらに体が固まってしまう。
いやいや、千里くんこそ私をどうするつもりだ。
このままだと緊張と照れとときめきで、心臓がキャパオーバーしてしまう。
どうにか落ち着きたくてさらに体を縮こませると、彼の左胸に額が当たってしまった。
そこから常より早い鼓動を感じてハッと顔を上げれば、千里くんは嘘がバレてしまった子供のような苦笑いを浮かべた。

「聖ちゃんの体温が怖いわけじゃないよ。君のことが好きで、こうなっているんだ」

平気だということを証明するように、千里くんは私の背中に腕を回した。
そのまま柔らかく抱きしめられて、私は大人しく彼に身を委ねる。
おそらく自分から触れる分には、それほど恐怖を感じることはなくなったのだろう。
彼の胸に手を添えて、その鼓動のひとつひとつを確かめるように耳を寄せる。

「俺、今まで生きてきた中で、今この瞬間が一番幸せかも」

「大袈裟だなぁ」

「大袈裟なんかじゃないよ。本当はね、俺の方こそ君に好かれている理由が分からないくらいなんだ」

「ええ? 千里くんと一緒にいて好意を抱かない人の方が稀だと思うけど」

優しくて誠実で容姿にも恵まれていて、非の打ち所がないような彼に特別視されて、舞い上がらない人間がいたら連れてきてほしいくらいだ。
そんなことを考えて見上げると、千里くんがくすぐったそうに目を細めた。

「聖ちゃんの言ってくれるように、もしも俺が器用な人間だったとして、そんな俺の心の隙間を埋めてくれるのは聖ちゃんだけなんだよ」

「それは私の書いた小説がでしょう? 私自身は特別なことなんて何もしてないのに」

「ううん。たとえば病院で、自分でも気づいてない俺の癖を言い当てたでしょう? 俺、実はあのときすごく嬉しかったんだ。ああ、この人は俺のことをよく見てくれているんだなっていうことが分かって」

「そんな些細なこと……」

「聖ちゃんにとっては些細なことでも、俺にとってはいつだって特別な出来事なんだよ」

またそんな呪われたような言葉を吐いて。
そう思ったものの、私はすぐに考え直して唇を引き結んだ。
恋心を疑われるのは辛いことだと、先ほど痛いくらいに理解したはずだ。
これ以上、彼の好意を顧みないようなことはしたくない。
そのために私も正直にならなければと、臆病ながらに剥き出しの心をさらけ出す決意をする。

「……あのね、千里くん」

「ん?」

「千里くんはその、私のことを好きだって言ってくれるけど、私はやっぱり自分のことを好きにはなれないみたいなの」