「ただいま、聖ちゃん」

「おかえり、千里くん」

「遅くなってごめんね。紗英と会ってきたよ」

千里くんがマンションへと帰ってきたのは、すっかりと日が暮れた夜の七時すぎだった。
久しぶりに家主が現れたせいか、今まで暗く澱んでいた部屋の中が、どことなく喜んでいるように明るく見える。
心配していた千里くんの様子はというと、今はいたって落ち着いているように見えたが、その本心までは計り知ることができなかった。

「あのときに考えていたこと、全部話して謝ってきた」

二人分のハーブティーを淹れてから並んでソファーに座ると、千里くんは今日起こったすべてのことを教えてくれた。
倉嶋さんの手をとっさに振り払い、彼女を傷つけてしまったあのとき。
いつかまた同じように傷つけてしまうかもしれないと考えて告白を断り、彼女を遠ざけてしまったのだと説明すると、倉嶋さんは「そのときにきちんと話してほしかった」「疎遠になってしまったことの方が悲しかった」と言ったそうだ。
しかし「私も何も言えなくてごめん」と謝られ、お互いにずっと言えなかった本心を打ち明け合うことができたらしい。

「紗英とこうして話すことができなかったら、俺はたぶん、一生後悔していたと思う。そうならなかったのは聖ちゃんのおかげだよ」

千里くんが感謝の眼差しで私を見つめる。
けれど私は二人のあいだを取り持つようなことがしたかったわけではないのだ。
むしろこれ以上、彼の口から倉嶋さんの話なんて聞きたくないとさえ思っている。
心の狭いことばかり考えてしまうことが情けなく、こんな醜い感情を気取られたくはないと、私は無理やりに笑顔をつくった。
本当はこのまま千里くんの手を離してあげた方が、彼にとってはいいことなのだろう。
それは分かっていても、どうしてもできない。
したくない。

「それでね――」

強欲な自分に吐き気すら催していると、千里くんが躊躇いがちに言葉を続けた。
なんとなく話の先が見えるような気がして、背筋が凍りついていく。
それでも耳を塞ぎたくなる衝動をなんとか堪えていると、彼はなぜか「聖ちゃんは?」と問うた。

「えっ……?」

「聖ちゃんも俺に言いたいことがあるでしょう?」

「なんのこと……?」

「分かってたよ、君が一人で苦しんでいること。ずっと気づかない振りをしていてごめん。でももうなんだって受け止めるから、正直に話してほしい」

千里くんが力強い目で本心を吐くように促す。
予想外の言葉に取り繕う余裕もなく、私は時が止まってしまったかのように硬直していた。
どうして、いつから、どこまで、私の気持ちを察していたのだろう。
呼吸の仕方すら忘れそうになるほどに動揺していると、千里くんの大きな右手が私の左手を包み、口を閉ざすことは許されないような気分にさせられた。
彼の瞳に射抜かれたまま、震える唇で言葉を紡ぐ。

「私……」

「うん」

「私ね……」

「うん」

「……千里くんのことが、好きなの」

ううん。
もはや好きなんて陳腐な言葉では言い尽くせないくらい、私は千里くんが好きなのだ。
ブレーキだってもうとっくに壊れていて、後戻りができないくらいにいつも彼のことを想っている。
初めて千里くんに好きだと伝えたときのものを何倍も濃縮した上に膨れあがったようなこの気持ちは、自分でも怖ろしくなるくらいにグロテスクに思えた。
それでも押し殺され続けた心は、一度解放されれば止まることを知らない。