あまりにも勝手極まりないことを考えながら、恋の茨で傷ついた私の心は、まるで叫ぶように甘い血を流しているようだった。
今すぐ千里くんに会いたい。
名前を呼んでほしい。
笑いかけてほしい。
そしてできることなら、私に触れて、その熱を分けてもらいたい。
叶うはずのない想いを持て余して涙ぐみ、このまま夜の底にでも沈んでしまえたらいいだなんて思う。
けれどはたと考え直し、私はやにわに書斎へと続くドアを開けた。
そうだ、この気持ちを書き起こさなければいけないのだ。
涙なんか流している場合かとぎゅっとまぶたに力を入れ、無機質なパソコンを起動する。
書こう。
私には書くことしかできないのだ。
ならばそれだけは意地でも全うしてやる。
もはや義務感にも似た作家のプライドだけを支えに、私はもう一度原稿へと向き直った。
療養よりも検査がメインだったためか、千里くんの退院の日はすぐにやってきた。
打ってしまったという頭の損傷を心配していたが、検査の結果、異常は見つからなかったらしい。
とりあえず体の健康については安心していいのだろう。
退院当日、仕事で迎えにいくことのできない私に、千里くんは朝から電話をくれた。
「退院おめでとう」
「ありがとう。心配かけて本当にごめんね」
「ううん。体調が戻ったみたいで安心したよ」
次いで「早く会いたい」と滑らしそうになった口を慌ててつぐむ。
退院したとはいえ、心の方はまだ弱っているはずなのだ。
私の不用意な発言が彼の負担にならないよう、余計なことは言わないようにしなければ。
持ち前の迂闊さを発揮しないようにことさら注意していると、電話越しの千里くんが「聖ちゃん」と確かめるように私を呼んだ。
「紗英から連絡があったよ。一度きちんとあのときのことを話し合った方がいいって言ったって本当?」
「ああ、うん。きっとそうするのが二人にとっていいことだと思って」
千里くんの発した「紗英」という声に気を取られ、一瞬だけ返事が遅れる。
自覚した嫉妬心が彼に気づかれないか不安でいると、千里くんは大して気にした様子もなく「気を遣わせてごめんね」と言った。
「俺もきちんと話せた方がよかったって思ってたんだ。俺が臆病だったせいで、何も言えずに疎遠になってしまったから、それがずっと心残りだった」
「倉嶋さんも似たようなことを言ってたよ」
「そっかぁ」
どこか哀しさを帯びた返事が落ち、そのまま沈黙の時間が続く。
けれどその静かな時間からは、彼の決心が伝わってくるようだった。
「聖ちゃん。今からその足で紗英に会いに行ってきてもいいかな」
「うん。私は大丈夫だよ。千里くんこそ、病み上がりなんだから無理しないようにね」
やはり予想したとおりの答えが返ってきて、私は物分かりのいい振りをして送り出した。
切られた電話が名残惜しく、しばらくスマートフォンから耳を離せなかった自分を滑稽に思う。
本当はほかの女性の元へなんか行かせたくない。ずっと私のそばで、私だけを見ていてほしいのに。
けれど千里くんのためを思えば、そんなわがままなど言えるはずがなかった。
倉嶋さんと話をしたら、彼の心の中で変わってしまうものはあるのだろうか。
またしてもわき上がってくる苦い感情を留めておこうと、カバンから取り出した手帳に文字を書き殴る。
たとえこの恋が終わったとしても、私の苦しみは無駄ではなかったのだと証明するために、新しい物語を綴るのもいいかもしれない。
そんなネガティブなアイデアを思いついて、私はやるせなさから遠くを見つめた。
今すぐ千里くんに会いたい。
名前を呼んでほしい。
笑いかけてほしい。
そしてできることなら、私に触れて、その熱を分けてもらいたい。
叶うはずのない想いを持て余して涙ぐみ、このまま夜の底にでも沈んでしまえたらいいだなんて思う。
けれどはたと考え直し、私はやにわに書斎へと続くドアを開けた。
そうだ、この気持ちを書き起こさなければいけないのだ。
涙なんか流している場合かとぎゅっとまぶたに力を入れ、無機質なパソコンを起動する。
書こう。
私には書くことしかできないのだ。
ならばそれだけは意地でも全うしてやる。
もはや義務感にも似た作家のプライドだけを支えに、私はもう一度原稿へと向き直った。
療養よりも検査がメインだったためか、千里くんの退院の日はすぐにやってきた。
打ってしまったという頭の損傷を心配していたが、検査の結果、異常は見つからなかったらしい。
とりあえず体の健康については安心していいのだろう。
退院当日、仕事で迎えにいくことのできない私に、千里くんは朝から電話をくれた。
「退院おめでとう」
「ありがとう。心配かけて本当にごめんね」
「ううん。体調が戻ったみたいで安心したよ」
次いで「早く会いたい」と滑らしそうになった口を慌ててつぐむ。
退院したとはいえ、心の方はまだ弱っているはずなのだ。
私の不用意な発言が彼の負担にならないよう、余計なことは言わないようにしなければ。
持ち前の迂闊さを発揮しないようにことさら注意していると、電話越しの千里くんが「聖ちゃん」と確かめるように私を呼んだ。
「紗英から連絡があったよ。一度きちんとあのときのことを話し合った方がいいって言ったって本当?」
「ああ、うん。きっとそうするのが二人にとっていいことだと思って」
千里くんの発した「紗英」という声に気を取られ、一瞬だけ返事が遅れる。
自覚した嫉妬心が彼に気づかれないか不安でいると、千里くんは大して気にした様子もなく「気を遣わせてごめんね」と言った。
「俺もきちんと話せた方がよかったって思ってたんだ。俺が臆病だったせいで、何も言えずに疎遠になってしまったから、それがずっと心残りだった」
「倉嶋さんも似たようなことを言ってたよ」
「そっかぁ」
どこか哀しさを帯びた返事が落ち、そのまま沈黙の時間が続く。
けれどその静かな時間からは、彼の決心が伝わってくるようだった。
「聖ちゃん。今からその足で紗英に会いに行ってきてもいいかな」
「うん。私は大丈夫だよ。千里くんこそ、病み上がりなんだから無理しないようにね」
やはり予想したとおりの答えが返ってきて、私は物分かりのいい振りをして送り出した。
切られた電話が名残惜しく、しばらくスマートフォンから耳を離せなかった自分を滑稽に思う。
本当はほかの女性の元へなんか行かせたくない。ずっと私のそばで、私だけを見ていてほしいのに。
けれど千里くんのためを思えば、そんなわがままなど言えるはずがなかった。
倉嶋さんと話をしたら、彼の心の中で変わってしまうものはあるのだろうか。
またしてもわき上がってくる苦い感情を留めておこうと、カバンから取り出した手帳に文字を書き殴る。
たとえこの恋が終わったとしても、私の苦しみは無駄ではなかったのだと証明するために、新しい物語を綴るのもいいかもしれない。
そんなネガティブなアイデアを思いついて、私はやるせなさから遠くを見つめた。