私の言葉を受けた倉嶋さんの表情が、さらに影を纏っていく。
まるで醜く残ってしまった傷跡を見ているような表情だ。
ううん、その傷はきっと、今でも痛みを放つのだろう。
でなければそんなふうに苦しげに顔を歪めるわけがない。
過去の恋愛を振り返っているとは思えない倉嶋さんを見て、私は瞬時に彼女の中に生き続けている未練や後悔を悟った。
きっと倉嶋さんは、千里くんを忘れることができなかったのだ。
「よければもう少しお話しできませんか」
倉嶋さんの方から誘われ、私たちはそれから病院を出てすぐのところにあるチェーン店のカフェに入った。
恋人の元想い人と対面しているという不思議な状況は、馴染みのあるカフェの内装によって中和されていく。
私がソイラテを、倉嶋さんがカプチーノをそれぞれ注文し、ソファー席で向かい合ったころには、頭の中もそれなりに冷静になってきていた。
しかし成り行きでこうなったものの、いったいこれ以上何を話せばいいのだろう。
改めて妙な緊張を感じ、目線を定められずにいると、私とは対照的に落ち着き払った様子の倉嶋さんは、手に持っていたカップを静かにテーブルへと置いた。
「彼方くん、まだ他人の体温がダメなんですね」
やはり話題に上るのは千里くんのことだった。
彼女の問いに、神妙な顔でひとつ頷く。
「ああでも、最近は手くらいなら繋げるようになったんです」
「手を、ですか」
私の答えが予想外だったのか、倉嶋さんは大きな丸い目で何度もまばたきをした。
やがてその表情が、自嘲するような笑みへと変わっていく。
「昔の彼も、今と変わらないくらいに人当たりがよかったのですが、最後の壁だけは誰にも越えさせてくれなかったんです。だけど日下部さんはもう、すべてをご存知なんですよね」
すべてという曖昧な問いの意味が、けれども私には手に取るように理解できたのは、私たちが千里くんに恋をした者同士だからなのだろう。
しかしそれを素直に肯定するのはなかなかに気まずく、ぎくしゃくとしながらもう一度頷くと、彼女は「やっぱり」と言って微笑んだ。
「私が入院に必要なものを買ってこようかと提案したとき、彼方くんは恋人が持ってきてくれるから大丈夫だよって言ったんです。以前振った女の手前、それ以上恋人の話をするのは遠慮してくれたようですが、ふいに見せた横顔がすごく幸せそうで。その人は彼の壁を越えられたんだって、すぐに分かりました」
倉嶋さんの饒舌さが、切ない心の内を隠しているようで、私は不用意に言葉を返すことができなかった。
たしかに私は千里くんの壁を越えられた初めての人間なのかもしれない。
けれど彼の中に聳えるその壁を打ち砕くことはできていないのだ。
他者と自分を遮る壁に、彼はまだ傷つけられている。
彼女の話を聞きながら、もしかしたらその壁を壊すのは自分ではないのかもしれないと考えて、私はまるで心臓を握りつぶされるかのような苦しさを感じた。
「もう過去のこととはいえ、彼方くんのことはずっと胸の奥で燻っていました。だから彼と再会したとき、期待をしなかったと言えば嘘になります。だけど彼のその表情を見て、私はようやく諦めをつけられると思ったんです」
「それは……」
「日下部さんのおかげです。私は今日、やっと彼への想いを吹っ切ることができます」
早口に言い切り、倉嶋さんは深く頭を下げた。
「ごめんなさい。こんなことを言われてもご迷惑でしかないというのは分かっているんですが、誰かにこの気持ちを知ってもらいたかったんです。そうすれば、すべてがなかったことにはならないような気がして」
まるで醜く残ってしまった傷跡を見ているような表情だ。
ううん、その傷はきっと、今でも痛みを放つのだろう。
でなければそんなふうに苦しげに顔を歪めるわけがない。
過去の恋愛を振り返っているとは思えない倉嶋さんを見て、私は瞬時に彼女の中に生き続けている未練や後悔を悟った。
きっと倉嶋さんは、千里くんを忘れることができなかったのだ。
「よければもう少しお話しできませんか」
倉嶋さんの方から誘われ、私たちはそれから病院を出てすぐのところにあるチェーン店のカフェに入った。
恋人の元想い人と対面しているという不思議な状況は、馴染みのあるカフェの内装によって中和されていく。
私がソイラテを、倉嶋さんがカプチーノをそれぞれ注文し、ソファー席で向かい合ったころには、頭の中もそれなりに冷静になってきていた。
しかし成り行きでこうなったものの、いったいこれ以上何を話せばいいのだろう。
改めて妙な緊張を感じ、目線を定められずにいると、私とは対照的に落ち着き払った様子の倉嶋さんは、手に持っていたカップを静かにテーブルへと置いた。
「彼方くん、まだ他人の体温がダメなんですね」
やはり話題に上るのは千里くんのことだった。
彼女の問いに、神妙な顔でひとつ頷く。
「ああでも、最近は手くらいなら繋げるようになったんです」
「手を、ですか」
私の答えが予想外だったのか、倉嶋さんは大きな丸い目で何度もまばたきをした。
やがてその表情が、自嘲するような笑みへと変わっていく。
「昔の彼も、今と変わらないくらいに人当たりがよかったのですが、最後の壁だけは誰にも越えさせてくれなかったんです。だけど日下部さんはもう、すべてをご存知なんですよね」
すべてという曖昧な問いの意味が、けれども私には手に取るように理解できたのは、私たちが千里くんに恋をした者同士だからなのだろう。
しかしそれを素直に肯定するのはなかなかに気まずく、ぎくしゃくとしながらもう一度頷くと、彼女は「やっぱり」と言って微笑んだ。
「私が入院に必要なものを買ってこようかと提案したとき、彼方くんは恋人が持ってきてくれるから大丈夫だよって言ったんです。以前振った女の手前、それ以上恋人の話をするのは遠慮してくれたようですが、ふいに見せた横顔がすごく幸せそうで。その人は彼の壁を越えられたんだって、すぐに分かりました」
倉嶋さんの饒舌さが、切ない心の内を隠しているようで、私は不用意に言葉を返すことができなかった。
たしかに私は千里くんの壁を越えられた初めての人間なのかもしれない。
けれど彼の中に聳えるその壁を打ち砕くことはできていないのだ。
他者と自分を遮る壁に、彼はまだ傷つけられている。
彼女の話を聞きながら、もしかしたらその壁を壊すのは自分ではないのかもしれないと考えて、私はまるで心臓を握りつぶされるかのような苦しさを感じた。
「もう過去のこととはいえ、彼方くんのことはずっと胸の奥で燻っていました。だから彼と再会したとき、期待をしなかったと言えば嘘になります。だけど彼のその表情を見て、私はようやく諦めをつけられると思ったんです」
「それは……」
「日下部さんのおかげです。私は今日、やっと彼への想いを吹っ切ることができます」
早口に言い切り、倉嶋さんは深く頭を下げた。
「ごめんなさい。こんなことを言われてもご迷惑でしかないというのは分かっているんですが、誰かにこの気持ちを知ってもらいたかったんです。そうすれば、すべてがなかったことにはならないような気がして」