そう、昔から一人は嫌いではなかったのだ。
それを寂しいと思ったことだってない。
紙とペンさえあって物語を紡いでいられれば私はそれで満足だったし、誰かといると自分と他人を比べて劣等感を抱いてしまう。
だから一人でよかった。
ほかに望むものだってなかった。
けれど、きっと今は違う。
いつか千里くんの呪いが解けて彼が離れていったとき、私は以前のように寂しさを感じずに生きていけるだろうか。
穏やかで楽しく幸せな今と、いずれ訪れてしまうかもしれない別れ。
その落差を思うと、私は膝から崩れ落ちてしまいそうになるくらいに不安だった。



「おかえり、聖ちゃん」

「ただいま、千里くん」

玄関のドアを開けると、千里くんはいつもの笑顔で迎えてくれた。
コーヒーを淹れていたのか、ほのかにいい香りが彼から漂ってくる。
今日はどんな豆を使ったのだろうかと考えていると、私の視線を受け止めた千里くんは小首を傾げて甘く微笑んだ。
そんな表情を見て、わずかに息が止まる。

「どうかした?」

「えっ?」

「最近ちょっと大人しいから」

「そんな、人をまるでわんぱくな子供みたいに言って」

不本意な言葉に口を尖らせれば、千里くんはからからとした笑い声を上げた。
しかしとっさにはぐらかしてしまったものの、彼の言うとおり、ここ最近の私は本当にどうかしているのだろう。
だって千里くんの何気ない表情すら、私の目には異様にきらきらとして映るのだから。
元々千里くんは整った顔立ちをしているけれど、それにしたって私の心を惹きつけてやまないのだ。
先ほどのように少し微笑みかけられるだけで、息が止まるほど胸が締めつけられ、なんだか涙まで出てきてしまいそうになる。
その存在に魅入られた私は、こうなるともはや言葉すらも簡単には呟くことができなかった。
今までほとんど意識せずに会話をしていたはずなのに、何を話せばいいのか、どうやって話題を見つけていいのか、そんなことすらも分からなくなってしまうほどなのだ。
だから千里くんの目には急に大人しくなったように映ったのだろう。
恋の病とはよく言ったもので、まるで本当に病気にでもなってしまったかのように、私の心はいつもままならない。
そんな気持ちを知ってか知らずか、千里くんはのんきに鼻歌を歌っている。

「そう言う千里くんはなんだか嬉しそうだね」

「えっ、分かる? 実はさっきテレビを見てたら、ワイドショーで聖ちゃんの話題をやってて」

「ああ、そのことか。ごめんね、また私のことに巻き込んじゃって」

「謝らないでよ。俺が聖ちゃんの恋人なんだって、改めて実感できたら嬉しくなったんだ」

無邪気な言葉に顔を赤らめれば、千里くんは「照れてる」と言って私を茶化した。
そんないたずらっ子のような顔にすらときめいてしまうのだから、なんと言うか、もう本当に重症だと思う。
好きが積もって仕方ない。
誠実な性格も、柔らかい空気感も、意外と低めの声も、何もかも。
私は途方もなく、千里くんに恋をしていた。

「打ち合わせは順調に進んだ?」

「うん。相変わらず東雲さんは厳しいけどね」

すっかりと夜が更けた寝る前の三十分。
私たちはソファーに並んで座り、手を繋ぎながら他愛もない話をする。
いつしか習慣になったこの時間は、私にとって至福の時間だ。
千里くんの方も、最近は少しずつ触れ合うことに慣れてきてくれているらしい。
絡めた指や寄り添った肩に感じる体温は、いつも私より少しだけ高くて、その温度に自然と陶酔してしまう。