「聖ちゃん」

「えっ……?」

突然響いた声で我に返る。
すると真っ暗な部屋の中で、デスクライトとパソコンのディスプレイだけが煌々としていることに気づいた。
振り返ればドアのところで、会社に行っているはずの千里くんが佇んでいる。

「千里くん……? えっ、今何時!?」

「夜の八時だよ」

「八時!?」

千里くんの言うとおり、とっぷりと日が暮れてしまっている窓を見て呆然とする。
この時間なら彼も帰宅していて当然だ。
母に電話をしたのが三時だったから、どうやら私はあれから五時間もパソコンに向かい、ノンストップで仕事をしていたらしい。
同じ体勢を続けていたせいで凝り固まった体を、うんと伸ばして立ち上がる。

「すごく集中していたみたいだね。声をかけるまで俺が帰ってきたことにも気づかなかったでしょう?」

「そうみたい。ごめんね、お迎えもできないで」

「そんなこと気にしないでよ。家に帰ったとき、変わらず聖ちゃんがいるってだけで、俺は嬉しくてたまらないんだから」

その言葉を体現するかのように、千里くんが幸せそうに破顔する。
告白を受けたあの日から、彼は臆面もなく私に甘い言葉を囁くようになった。
元々の綺麗な顔立ちと相まって、まるでどこかの王子様のような彼の風情は、私の顔を自然と熱くさせてしまう。
そもそも私は恋愛というものに対してまるっきり免疫のない人間なのだ。
それなのに少し刺激が強すぎると、恨めしく思いながら彼を見上げる。

「なぁに? かわいそうな人だなって目をしてるね」

「それはそうだよ。はたから見たら千里くん、悪い呪いにでもかけられてるとしか思えないもん」

「あははっ。いいよ、同情してくれて。そうしたら聖ちゃんはずっと俺のそばにいてくれるでしょ」

「まぁ、その呪いが解けるまでは」

「だったら一生、俺から離れられないね」

またそういうことをけろっとした調子で言ってのける。
満足したような千里くんの表情には納得できなくても、ここまでくれば私は理解しなければならないと思った。
この人は本当に、私のそばにいることに価値を見出してくれる人なのだ。
ならばその呪いが解けるまでは、彼の隣にいさせてもらおう。
私らしい後ろ向きな覚悟は、それでもちょっとした進歩でもあった。
まさか自分が誰かと一緒に生きていきたいと願うだなんて、いまだに信じられなくて、そしてとても誇らしい。

「はい。お仕事を頑張ってた聖ちゃんにお土産」

暗がりの書斎を後にして千里くんとともにリビングに行くと、彼から白い箱を手渡された。
開けてみれば、途端に中から甘い香りが立ち込める。
箱の中に行儀よく詰められていたのは、ころんとした形のかわいい、白い粉砂糖をまとったシュークリームだった。

「もしかしてこれ、前に雑誌で見て美味しそうって言ってたお店の!?」

「そうだよ。同居継続のお祝いに買ってきた。それからこれも」

「わぁ、こっちはお花だ!」

もうひとつ手渡されたのは、ピンクや白、淡い紫といった花が咲いた、可憐な鉢植えだった。

「かわいい鉢植えだね」

「真ん中の花はペチュニアっていう名前なんだけど、あなたと一緒なら心が和らぐっていう花言葉があるらしいよ」