出発時刻や保安検査のことを考えれば、そう時間は残されていない。
ああは言ったものの、さすがに飛行機に乗り遅れさせるわけにもいかず、急いで車を走らせる。
たどり着いた国際空港は連休の中日とはいえけっこうな人出で、だだっ広いフロアを進みながら、私たちは必死で優さんの姿を探した。

「千里くん、あそこっ!」

国際線ターミナルの隅。
ついに探していた人物を見つけた私は、逸った声とともにその姿を指差した。
パートナーらしき男性と一緒にいた優さんもどうやら私たちに気づいた様子で、驚きに溢れた目と視線がかち合う。
その瞬間、がやがやと騒がしい雑踏の音が、なぜだかまったく聞こえなくなった気がした。
私の隣で無言を貫いていた千里くんが、臆する素振りもなく優さんに近づいていく。
その背中を追いながら、私は上手く呼吸することができなくなっていた。

「千里っ……」

久しぶりに会ったであろう千里くんを見て、優さんが棒立ちのまま言葉を失う。
そんな彼を淡々と見据えながら、千里くんがわずかに息を吸い込んだ。

「謝れ…………俺に謝れっ!」

まるで悲鳴のように放たれたのは、彼からは聞いたこともないような大きな声だった。
いつも穏やかな笑みをたたえるその顔も、今はわざと怖い表情をつくっている。
そうすることできっと、自分の心を奮い立たせようとしているのだろう。
千里くんは今、これからの人生を何にも囚われずに生きるために、必死で闘っている。
彼の心が手に取るように分かり、分かるからこそ、私は息もできないくらいに苦しかった。
お願い、もうこれ以上、誰もその心を傷つけないで。
祈るような気持ちで見守っていると、千里くんの言葉を聞いた優さんが静かに床へと膝を突いた。

「本当に、申し訳なかった……」

そのまま額を擦るくらいに頭を下げて、全身で強く詫びる。
その姿を冷ややかな目で見下ろした千里くんは、やがて「……もう、いい」と掠れた声で呟いた。

「俺とあんたは他人だ。二度と会うことはない」

最後にそう言い残し、千里くんが私の手を引きながら優さんの元を離れる。
いっさい振り返ろうとしない彼の代わりに確認すれば、力なく膝を突いたまま、憑き物が落ちたかのように涙を流す優さんが見えた。
きっと彼は自分の人生を守るのと同時に、意地を押し曲げてまで、優さんの心を救ってあげたのだろう。
もちろん今でも許せないはずだ。
謝ることすらさせたくなかったはずだ。
それなのに。

「千里くんは、強いね」

足早に空港を後にしようとする千里くんに声をかける。
過去を吹っ切るようにひたすら歩みを進めていた彼は、やっと足を止めると、私の方に振り向き、泣きそうな顔で微笑んだ。

「聖ちゃんが隣にいてくれたからだよ」

けれどその瞳は涙を浮かべることなく、ただ前だけを見つめていた。



「千里くん、寝ちゃったの……?」

空港からマンションへと戻ると、千里くんは電池が切れてしまったかのようにソファーでうたた寝を始めてしまった。
ここのところは心が落ち着かないせいでよく眠れていなかったようだし、今日は今日でとても疲れたはずだ。
自分を傷つけた人間に会って、あんなにも拒んでいた謝罪を許して、いったいどれだけのエネルギーを消耗しただろう。
体が冷えないようにブランケットをかけてあげて、ソファーの下に座り込んでから、その表情をそっと窺う。
彼は元々童顔な方だけれど、目を瞑っていると、いつもよりももっと幼く見えた。