そう、今日は優さんが海外へ旅立つ日でもあったのだ。
千里くんは何も気にしていない素振りをしているようだったけれど、この日が近づくにつれて思い悩むことが多くなっている様子だった。
きっと彼は、このまま優さんと縁を切ることになってもよいのかと考えていたのだろう。
しかしこればかりは、もうどうすることもできない。
以前千里くん自身が言っていたように、心に空いた隙間は別の何かで埋めて、痛みも時間に解決してもらうしかないのだ。
だからこそ、優さんのことはなるべく思い出させたくなかったのに。

「ごめん、千里くん……」

「ううん、こっちこそ気を遣わせてごめんね」

表情を隠す余裕もないような千里くんは、それでも無理やりに笑顔をつくって「そろそろ行こっか」と言った。
車に戻ろうとする背中を見ながら、何もできないもどかしさに胸が苦しくなる。
これでいいのだろうか。
このまま二人を離れ離れにさせることが、はたして本当に千里くんにとっての最善なのだろうか。
答えの出ない問いに悩みながら、それでも無意識のうちに足は動いていた。
千里くんの前に回り込めば、彼が驚きに目を丸くする。

「千里くん、今ならまだ間に合うよ。お兄さんに会いにいこう」

「な、何言ってるの、聖ちゃん」

「だってずっと迷ってたんでしょう?」

これ以上その心に傷を負わせるようなことなんてさせたくない。
けれど今ここで行かなかったら、いつか彼は後悔してしまうような気がするのだ。

「でも嫌だよね。怖いよね。だからその、大丈夫だよなんて無責任なことは言えないんだけど――」

拳をギュッと握る。
どうしたら彼を勇気づけられるか考えて、私にできることはひとつしかないと思った。
――俺はずっと聖ちゃんに守られてきたんだ。
以前、千里くんが言っていたことが本当ならば。

「私がいるよ」

正直に言えば、今でも彼の言葉を信じてはいない。
けれどもう、そんなことはどうだってよかった。
私が千里くんの力になる。
どんな手を使ったって、彼の心を守ってみせる。
そんな激流のように強い意思でもって彼を見上げると、その瞳が切なげに揺れた。

「聖ちゃん、俺……」

「千里くんはどうしたい?」

「俺は……」

千里くんの目が伏せられる。
着ていたシャツの胸のところを苦しげに掴んで、彼は一度瞼を閉じると、それから力強く私を見据えた。

「ごめん。ありがとう。俺、空港に行ってみる」

「うん、一緒に行こう……!」

強い眼差しに覚悟を感じて、私は頷いた。
駐車場に停めた車に向かって駆け出しながら、ポケットに入れたスマートフォンを取り出し、急いで優さんに電話をかける。
耳元で鳴るコール音を焦ったく聞いていると、七回目でようやく電話は繋がった。

「はい、彼方で――」

「もしもしっ、今どちらにいらっしゃいますかっ!?」

「えっ、く、空港に向かっておりますが」

「今から千里くんがあなたの元へ向かいます! それまで絶対に飛行機に乗らないでください!」

一方的かつ無茶苦茶なことだけを言って電話を切る。
それから走ってきた道を引き返して、私たちは空港へと向かった。