千里くんの家に居候をさせてもらうようになってから二週間が経ち、カレンダーは九月を迎えてしまっていた。
私はここのところ毎日のように物件情報とにらめっこをしながら新居を探している。
今月中には必ず、この部屋を出ていくつもりなのだ。
次に借りるマンションはセキュリティーが前よりもしっかりとしていて、都心に近く、千里くんにも簡単には会えなくなるような距離のところを予定していた。
彼のためにも、一日でも早くここを去らなければ。
その気持ちだけをもって、真剣に物件を見比べていく。
「ハイキングとかどうかな?」
ふと、私の隣で雑誌を眺めていた千里くんが呟いた。脈絡のないその言葉を不思議に思い、彼の方へと振り向く。
「ハイキング?」
「うん、日帰りで。綺麗な景色とかが見られたら癒されるかなと思って」
どうやら彼は今月の後半にある大型連休の予定を立てていたらしい。
その手に持っていた旅行雑誌の見開きページを掲げられ、視界に捉えた雲海の写真に目を奪われる。
「わぁ、綺麗……」
「雲海も一度見てみたかったんだよね」
「早朝から行けば人も多くなさそうでいいかも」
「でしょう? よかったら一緒に行かない?」
千里くんが優しく微笑みながら私に尋ねる。
この顔で誘われて落ちない人間がいるのだろうかと馬鹿なことを考えながら、最後の思い出としてハイキングくらい行かせてもらおうかと頷くと、彼はとても無邪気に喜んでくれた。
なんて幸せそうに笑ってくれるのだろうと、嬉しさと悲しさが半々に胸を占める。
私との予定をこんなにも楽しみにしてくれるなんて、彼の幸せはとても不幸だ。
待っててね、千里くん。
きっともうすぐ、そばを離れてあげられるから。
「晴れてよかったね」
「うん。絶好のハイキング日和かも」
ハイキングが実行されることになったのは、連休の中日のことだった。
三時起き・四時出発という気合いの入りようでマンションを出た私たちは、車で高速道路をひた走り、目的地の雲海が見える山を目指す。
途中、サービスエリアでコーヒーを飲みながら休憩していると、前日まで降っていた雨が嘘のように晴れ渡った空が頭上に広がった。
「雲海って前日が雨だった日の方が見られる確率が上がるんだって」
「そうなんだ! ラッキーだね!」
「きっと俺らの日頃の行いがいいからだよ」
たしかに私たちは毎日真面目に働いて生活しているのだ。
たまにはこうして神様からのご褒美があってもいいだろう。
綺麗に見られるといいなと期待しながら視線を移すと、ふいに青い空にひとすじ、白い線が伸びていくのが見えた。
「千里くん、見て、向こうの空。長い飛行機雲だ」
まるで空を割くように飛んでいく飛行機に向かって、私は童心にかえりながら指を差した。
飛行機雲は青いキャンバスに引かれるまっすぐな白がとても潔くて、眺めているとそれだけで気持ちが晴れ晴れとする。
「どこまで飛んでいくんだろうね。海の向こうかな」
振った話題はそんな何気ないものだったが、直後に私はハッとして口を噤んだ。
ああもう、どうして私はこうも間が悪いというか、気が利かないというか、いつも上手く立ち回ることができないのだろう。
自分の不甲斐なさを改めて感じながら、おそるおそる千里くんを窺う。
すると彼が苦しそうに飛行機雲を見つめている姿が目に映って、私はひどい罪悪感を覚えた。
私はここのところ毎日のように物件情報とにらめっこをしながら新居を探している。
今月中には必ず、この部屋を出ていくつもりなのだ。
次に借りるマンションはセキュリティーが前よりもしっかりとしていて、都心に近く、千里くんにも簡単には会えなくなるような距離のところを予定していた。
彼のためにも、一日でも早くここを去らなければ。
その気持ちだけをもって、真剣に物件を見比べていく。
「ハイキングとかどうかな?」
ふと、私の隣で雑誌を眺めていた千里くんが呟いた。脈絡のないその言葉を不思議に思い、彼の方へと振り向く。
「ハイキング?」
「うん、日帰りで。綺麗な景色とかが見られたら癒されるかなと思って」
どうやら彼は今月の後半にある大型連休の予定を立てていたらしい。
その手に持っていた旅行雑誌の見開きページを掲げられ、視界に捉えた雲海の写真に目を奪われる。
「わぁ、綺麗……」
「雲海も一度見てみたかったんだよね」
「早朝から行けば人も多くなさそうでいいかも」
「でしょう? よかったら一緒に行かない?」
千里くんが優しく微笑みながら私に尋ねる。
この顔で誘われて落ちない人間がいるのだろうかと馬鹿なことを考えながら、最後の思い出としてハイキングくらい行かせてもらおうかと頷くと、彼はとても無邪気に喜んでくれた。
なんて幸せそうに笑ってくれるのだろうと、嬉しさと悲しさが半々に胸を占める。
私との予定をこんなにも楽しみにしてくれるなんて、彼の幸せはとても不幸だ。
待っててね、千里くん。
きっともうすぐ、そばを離れてあげられるから。
「晴れてよかったね」
「うん。絶好のハイキング日和かも」
ハイキングが実行されることになったのは、連休の中日のことだった。
三時起き・四時出発という気合いの入りようでマンションを出た私たちは、車で高速道路をひた走り、目的地の雲海が見える山を目指す。
途中、サービスエリアでコーヒーを飲みながら休憩していると、前日まで降っていた雨が嘘のように晴れ渡った空が頭上に広がった。
「雲海って前日が雨だった日の方が見られる確率が上がるんだって」
「そうなんだ! ラッキーだね!」
「きっと俺らの日頃の行いがいいからだよ」
たしかに私たちは毎日真面目に働いて生活しているのだ。
たまにはこうして神様からのご褒美があってもいいだろう。
綺麗に見られるといいなと期待しながら視線を移すと、ふいに青い空にひとすじ、白い線が伸びていくのが見えた。
「千里くん、見て、向こうの空。長い飛行機雲だ」
まるで空を割くように飛んでいく飛行機に向かって、私は童心にかえりながら指を差した。
飛行機雲は青いキャンバスに引かれるまっすぐな白がとても潔くて、眺めているとそれだけで気持ちが晴れ晴れとする。
「どこまで飛んでいくんだろうね。海の向こうかな」
振った話題はそんな何気ないものだったが、直後に私はハッとして口を噤んだ。
ああもう、どうして私はこうも間が悪いというか、気が利かないというか、いつも上手く立ち回ることができないのだろう。
自分の不甲斐なさを改めて感じながら、おそるおそる千里くんを窺う。
すると彼が苦しそうに飛行機雲を見つめている姿が目に映って、私はひどい罪悪感を覚えた。