「お兄さんに会ってきたよ。言いたかったことは全部言ってきたから」

二人掛けのソファーに横並びで座ってから、私は確かめるように千里くんへ伝えた。

「来月の連休中に旅立つんだって。日本に戻ってくるつもりもないから安心してほしいって言ってた」

「そっか。ありがとう、聖ちゃん」

「お礼なんて言わないでよ。私がお節介でやったことなんだから」

「ううん。俺、本当に感謝してるんだ」

「それならよかったけど……」

横目で千里くんを窺うと、膝の上で手を組んだ彼が俯いて押し黙ってしまったのが見えた。
きっと彼の中には計り知れないほどの葛藤があるのだろう。
心に折り合いをつけるなんて簡単なことではない。
今回のことが何かいい契機になればいいと考えていたけれど、彼の心をいたずらに乱してしまっただけだったようだ。
どうしたらその顔を晴らすことができるのだろうか。
伏されたままの千里くんの睫毛を眺める。
泣いてなんかいないのに涙を流しているようで、その見えない涙を払いたくなって手を伸ばした。

「聖ちゃん……?」

「あっ、ごめんっ……!」

しかしその頬に触れる寸前で我に返り、私は勢いよく手を引っ込めた。
不思議そうに瞬きをする千里くんが柔らかく目を細める。

「もしかして慰めようとしてくれた?」

「あ、う……せ、僭越ながら……」

ぎくしゃくと肯定すれば、千里くんはくすくすと笑った。

「それなら手を繋いでほしいかな」

「手?」

「そう。前よりはマシになってる気がするんだけど、よかったら確かめてみて」

「はい」と眼下に差し出された左手を認めて、私の背中には緊張が走った。
私と手を繋ぐことが、千里くんの慰めになんてなるはずもないのに。
訝しみながらも、促されるままにその手に自分の右手を重ねれば、触れたところから二人分の体温が混じり合って熱を持つ。

「どう……?」

「やっぱり前よりも怖くないし、体も震えない。動悸だけは相変わらずすごいけどね」

「無理はしないで」

「うん。でも俺、嬉しいんだ」

「嬉しい? どういうこと?」

この場にそぐわない発言に、頭にはてなが浮かぶ。
その真意を探るように千里くんを見上げると、彼は私の視線を受けて、溶けそうなほどに顔を綻ばせた。

「俺の感情を揺さぶるのは、全部君から与えられるものがいい。それならどんなものだって絶対に愛せるから」

そう言うと、千里くんは繋いだ手に優しく力を込めた。
彼はお兄さんにつけられた傷を、私の体温で塗り替えようとしているのか。
あまりにも盲目的で私に甘すぎるその行為に胸が張り裂けるような痛みを感じながら、私はしばらくのあいだ、彼に諾々と熱を分け与え続けた。