千里くんの住むマンションは、私と同じ1LDKの間取りだった。
予想どおりよく整理整頓され、掃除が行き届いている様子のその部屋には、好きだと言っていた釣りの道具や、購入したばかりだというサイフォンなどが置いてある。
淡いブラウンのカーテンや木目調の家具がまるでおしゃれなカフェの内装のようで、清潔で落ち着いた、実に千里くんらしさが窺える部屋だ。
変わった点で言うと、ベッドがリビングに置いてあるということだろうか。
普通は寝室として使いそうな一部屋を、彼は大きな本棚がひしめく書斎として活用しているのだ。
読書や仕事をする際に使用するというこの書斎に来客用の布団を敷いて、千里くんは好きに使っていいと言ってくれた。
「ここの棚が“日下部先生”の作品だよ」
「わ、すごい。これ全部揃えてあるよね」
書斎の本棚には、私の著書が一番スペースを多く取って並べられていた。
中には単行本と文庫本の両方で出版されていたりするものがあるが、彼はたとえ同じ作品でも、それぞれきちんと揃えてくれているらしい。
しかもすべてが初版本だというのだから驚きだ。
ほかにも雑誌に掲載されたエッセイやインタビュー、書籍の宣伝ページなど、日下部聖に関するありとあらゆるものを丁寧にファイリングしたものまである。
そのファイルに目を通しながら、私は感嘆の息をもらした。
「昔の記事なんて、自分でも取っておいてないよ」
「あははっ、すごいでしょう? 俺がとんでもなく日下部聖のファンなんだってこと、改めて思い知った?」
「うん。こんなに熱心に私を見守ってくれていた人がいるなんて知らなかった」
「それくらい、君は俺にとって特別な人だからね」
照れ臭そうに千里くんが笑う。
その笑みに嬉しさを感じる反面、私の心には苦しさも渦巻いていた。
彼から離れなければならないと思っていたはずなのに、もはや真逆のことをしてしまっているのだ。
彼は自分を頼ってほしいと言ってくれたけれど、やはり私がそばにいては悪い影響を及ぼしかねないだろう。
だから、ほんのしばらくのあいだだけ許してほしい。
私は千里くんの醸し出す優しい空気に、今少し微睡んでいたかった。
警察の方が言っていたとおり、犯人はすぐに捕まった。
しかし千里くんは次の部屋が決まるまでは居候をしていいと言ってくれたため、私は彼の言葉に甘えることにしていたのだった。
人と同じ空間で生活をするのは久しぶりだったが、千里くんは深く干渉しないでくれたため、私もストレスを抱えることなく過ごしている。
しかしふとした瞬間に、あの日の恐怖は脳裏にフラッシュバックして私を苦しめた。
外出をすることすらままならず、私は睡眠を長く取ったり、起きているあいだはひたすら仕事に集中したりしながら、余計なことを考えないようにしていた。
「お疲れ様です。その後、具合はどうですか」
「はい、大丈夫です。“日下部聖”にとってとても大切なときなのに、ご迷惑をおかけしてすみません」
「いえ、くれぐれも無理はしないでください」
東雲さんから電話がかかってきたのは、犯人が捕まった翌日の夕方のことだった。
スマートフォンの向こうからは、彼らしくもない神妙な声が聞こえてくる。
「仕事の調整は本当によろしいんですか。こんな状況なんですから、減らしていただいて構わないんですよ」
「平気です。何かをしていた方が気が紛れるので」
「それならいいのですが」
そこまで言うと、東雲さんは沈痛そうなため息を吐いた。
「テレビやネットニュースはご覧になりましたか」
「ええ、少しだけ」
予想どおりよく整理整頓され、掃除が行き届いている様子のその部屋には、好きだと言っていた釣りの道具や、購入したばかりだというサイフォンなどが置いてある。
淡いブラウンのカーテンや木目調の家具がまるでおしゃれなカフェの内装のようで、清潔で落ち着いた、実に千里くんらしさが窺える部屋だ。
変わった点で言うと、ベッドがリビングに置いてあるということだろうか。
普通は寝室として使いそうな一部屋を、彼は大きな本棚がひしめく書斎として活用しているのだ。
読書や仕事をする際に使用するというこの書斎に来客用の布団を敷いて、千里くんは好きに使っていいと言ってくれた。
「ここの棚が“日下部先生”の作品だよ」
「わ、すごい。これ全部揃えてあるよね」
書斎の本棚には、私の著書が一番スペースを多く取って並べられていた。
中には単行本と文庫本の両方で出版されていたりするものがあるが、彼はたとえ同じ作品でも、それぞれきちんと揃えてくれているらしい。
しかもすべてが初版本だというのだから驚きだ。
ほかにも雑誌に掲載されたエッセイやインタビュー、書籍の宣伝ページなど、日下部聖に関するありとあらゆるものを丁寧にファイリングしたものまである。
そのファイルに目を通しながら、私は感嘆の息をもらした。
「昔の記事なんて、自分でも取っておいてないよ」
「あははっ、すごいでしょう? 俺がとんでもなく日下部聖のファンなんだってこと、改めて思い知った?」
「うん。こんなに熱心に私を見守ってくれていた人がいるなんて知らなかった」
「それくらい、君は俺にとって特別な人だからね」
照れ臭そうに千里くんが笑う。
その笑みに嬉しさを感じる反面、私の心には苦しさも渦巻いていた。
彼から離れなければならないと思っていたはずなのに、もはや真逆のことをしてしまっているのだ。
彼は自分を頼ってほしいと言ってくれたけれど、やはり私がそばにいては悪い影響を及ぼしかねないだろう。
だから、ほんのしばらくのあいだだけ許してほしい。
私は千里くんの醸し出す優しい空気に、今少し微睡んでいたかった。
警察の方が言っていたとおり、犯人はすぐに捕まった。
しかし千里くんは次の部屋が決まるまでは居候をしていいと言ってくれたため、私は彼の言葉に甘えることにしていたのだった。
人と同じ空間で生活をするのは久しぶりだったが、千里くんは深く干渉しないでくれたため、私もストレスを抱えることなく過ごしている。
しかしふとした瞬間に、あの日の恐怖は脳裏にフラッシュバックして私を苦しめた。
外出をすることすらままならず、私は睡眠を長く取ったり、起きているあいだはひたすら仕事に集中したりしながら、余計なことを考えないようにしていた。
「お疲れ様です。その後、具合はどうですか」
「はい、大丈夫です。“日下部聖”にとってとても大切なときなのに、ご迷惑をおかけしてすみません」
「いえ、くれぐれも無理はしないでください」
東雲さんから電話がかかってきたのは、犯人が捕まった翌日の夕方のことだった。
スマートフォンの向こうからは、彼らしくもない神妙な声が聞こえてくる。
「仕事の調整は本当によろしいんですか。こんな状況なんですから、減らしていただいて構わないんですよ」
「平気です。何かをしていた方が気が紛れるので」
「それならいいのですが」
そこまで言うと、東雲さんは沈痛そうなため息を吐いた。
「テレビやネットニュースはご覧になりましたか」
「ええ、少しだけ」